第15話 - 「敗軍」
ローゼンが敗軍を率いてカルナスへと帰還したのは、太平三〇一年、十一月十四日の事である。晴れ渡る空をゆっくりと流れゆく雲に歩調を合わせ、イトアニア兵はカルナスの地を踏んだ。
損害の少ない軍勢に、当初、多くの者がイトアニア軍勝利の凱旋と声を上げたが、同時にその気勢の低さには困惑せざるを得なかった。
そして、猛将グスタフ・グレイクの不在に、もしやと声を潜めたのである。
帰還したローゼンは、一切の報告をすべく城へ赴いた。
領主ブロス・アラニアは、グスタフの兄バルドス・グレイクを従え、謁見の間にて吉報を待ちわびていた。
この年、イトアニア領主は三十九歳。狡猾そうな切れ長の目を持つ鷲鼻の男である。若くして領主の座を手に入れた男は、十二年に渡る贅沢な暮らしにすっかり肥え太り、髪は大きく後退していた。最近では、日に日に増える体重に玉座が抗議の声を上げるほどだ。
総大理石で設えた室内は、イトアニアの豊かさを示すべく赤と金で豪勢に飾り立てられている。玉座の前には、この国の文官、武官らが左右に分かれて整列し、サーディアス領占領の報告を待っていた。
ローゼンは扉から玉座へと伸びる深紅の絨毯を踏みしめた。
玉座の後方から差しこむ陽射しが、長い影を作っている。
ローゼンは、主の影を踏まぬ位置で立ち止まると、片膝を付き頭を垂れた。
本来であれば、総大将であるグスタフがこの場にいるはずである。
場に居合わせた一同は等しく眉根を寄せた。
「サーディアス出兵の任、ご苦労。して……首尾は? グスタフ将軍はなぜ姿を見せぬ?」
広い室内に重厚な声が響き渡った。バルドス・グレイクである。筋骨逞しい大柄な男で、大きめの服装の上からでも、引き締まった身体つきが見て取れる。短く刈り上げた褐色の髪の下に鋭い目を備えている。弟が狒々であるならば、兄は大猩々といった顔つきであったが、報告の内容を察してかその表情は険しい。
「ご報告致します。去る十月二十七日。グスタフ・グレイク将軍討ち死に。騎士隊は全滅、各部隊を率いていた方々も悉く……」
ローゼンの報告に室内は静まり返った。
「……戦闘続行は不可能と判断し、潰走する兵をまとめ、此度の顛末をご報告すべく恥を忍んで帰参した次第にございます」
唖然とするブロスの横で、随一と称される闘将の身体が傾いだ。
弟の出兵前に感じた不安が的中したのである。その不安ゆえにローゼンを副官に付けたわけだが、見事無駄になってしまった。恐らくは弟の性格が災いしての結果であり、ローゼンに落ち度はあるまい。むしろ、敗軍をまとめ上げ無事に帰還したことは称賛に値する。
「あれだけの大軍を率いて、サーディアス如きに負けただと!?」
「はっ! 誠に面目次第もございませぬ!」
衝撃のただ中にあっても冷静さを失わないバルドスの傍らで、領主たる男が声を荒げた。
重い腰を上げ、平身低頭する男の元へ足早に歩み寄る。
豪奢な衣装がその肥満体型を懸命に隠そうとするも、ゆさゆさと揺れる脂肪は誤魔化しようがないほどに肥大している。むっちりとした手には大きなダイヤの指輪がはまっていた。
ブロスは宝石をちりばめた錫杖を目一杯まで振り上げると、無防備な背中へ向け力の限りに振り下ろした。
鈍い打撃音が耳朶を打った。
歯を食いしばり耐えるローゼンの背を、続けざまに打ち据える。
肉が裂け、衣服が赤く染まった。
その容赦のない仕置きに対し、一同が顔を顰める中、ローゼンは遠のく意識を懸命に繋ぎとめた。
「ブロス様! 我が弟の不甲斐なさは、まことに恥じ入るばかり。イトアニア貴族から成る騎士隊を始め、我が軍は多くの高級武官を失いました。ローゼンには弟に代わり、被害の拡大を防いだ功績があります。どうか寛大なる処遇をお願い申し上げます」
最終的にグスタフを総大将と決めたのは、ブロスである。全ての責任をローゼンに転嫁するわけにもいかない。
ブロスは忌々しげに舌打ちすると、侍従を呼びつけ意識の混濁するローゼンを下がらせた。
ローゼンの去った謁見の間はにわかに騒然とした。
文官、武官共に声を張り上げ議論を交わし合う。
誰もが予想だにしなかった事態であった。
歯牙にも掛けぬ弱小国に、戦で負けたのである。兵の損害こそ少なかったが、総大将たるグスタフを始め、各部隊の指揮官は全員死亡。その上、貴族諸子で構成される騎士隊まで全滅とあっては、大敗と言ってよい。
「サーディアス如きに負けたとあっては、周辺各領に舐められる! 今後の外交にも関わってくる問題ぞ! 即座に、再出兵すべきだ!」
「だが、多くの指揮官が失われたのだぞ? 新たな指揮官を人選せねばならん。すぐに出兵など無理だ」
右列に並ぶ外交を役目とする文官の意見に、年かさの武官が反論した。
「そんなことより、騎士隊の全滅の方が問題だ! 騎士隊は皆、有力貴族の諸子によって構成されていたのだぞ? 彼らの親である諸侯からの非難と責任の追及をどうするのだ! 下手をすれば内紛にすら発展しかねんぞ!」
「兵士として参戦したのだ。身分があろうがなかろうが、死ぬ時は死ぬものだ。彼らとて危険は承知であったはず。一々、そんな抗議に取り合っていられるか」
「そうは言っても、戦死者は一人や二人ではないのだぞ。責任の追及は免れんだろう」
左列でも意見の一致を見ないようで、各々、主張と反論を繰り返す。
「彼らを納得させるためにも、やはり再度出兵すべきだろう。危険を冒したのに、何も得る物がないからこそ憤慨するのだ。ウーツ鋼の採掘権さえ手に入れてしまえば、諸侯に相応の賠償もできよう。彼らも納得するはずだ」
「そうは言っても、もうすぐ冬です。この時期の出兵はあたら兵を死なせるだけで、何も得る物はない。サーディアスは山岳地方、厳しい寒さの中で籠城策でも取られれば、こちらには為す術もない」
「その通りだ。ここでまた負けるようなことあらば、イトアニア軍の名声は地に落ちましょうぞ。再戦は春まで延期した方がよい」
「ならば諸侯への対応はどうするのだ!」
議論は紛糾し、一向にまとまる様子を見せなかった。
南方方面軍の指揮官として赴任しているグラハム・カストールがいれば、あるいは何か良い案を出したかも知れない。バルドスが同僚について想いを巡らせていると、玉座で不機嫌そうに話を聞いていた領主が、重い腰を上げた。
「揃いも揃って何たる様か! 対応策が決まったら報告に来い!」
ブロスは苛立ちを顕わに言い捨てると、謁見の間より退出してしまった。
今回の敗戦で、イトアニアは大きな窮地に立たされることになった。本来ならば、領主自らが率先して動くべきところである。
日頃から領主らしからぬ言動が目立つ男だけに、ブロスの活躍を当てする者はなかったが、同時に苦々しく思わぬ者もまたいなかった。
この場にあるのは、現領主によって引き立てられた者たちばかりであったが、こんな時には仰ぐべき御旗を誤ったやも知れぬと、そう思わずにはいられなかった。
人の口に戸は立てられぬというが、それは圧政を敷くイトアニアであっても変わらぬ事実である。イトアニア軍が帰還して三日目の夜。中心都市カルナスにある一軒の酒場で、その会話はなされていた。帰還したイトアニア軍は、勝利を得られなかったらしい。というものである。
酒場に入った若い男は、耳聡いのか真っ直ぐその話題を話す卓へと歩み寄った。
「どうも。ちょっと私も混ぜて頂いてよろしいですかね?」
柔和な笑顔で話しかける。柔らかな物腰の男だ。町に着いたばかりなのか大きな荷物を背負っている。男は店主に言って卓の男たちに酒を振る舞うと、空いた席の一つに腰掛けた。この男を知る者であれば、平素とのあまりの違いに驚いたことだろう。イェルンの長、ワルアである。
本来であれば長という立場上、ワルアが自ら動くことは殆どない。
しかし、今回はウルシアとサーディアスの命運、何よりイェルン一族の悲願が掛かっている。元よりこの国には多くの者を配していたが、それでも尚、ワルア自らことに当たらずにはいられなかったのである。
「おお、すまないな、若いの。見たとこ東の人か。街には着いたばかりかい?」
同業者と見たのだろう。卓を囲む三人は、誰一人ワルアの同席を断らなかった。
「はい。さっき着いたばかりなんですよ。母が東の大陸出身でしてね。儲け話がありそうだと来てみたんですが、どうやら遅すぎましたかね?」
荷物を脇にどけて給仕を呼ぶと、自身の食事を注文する。
「いや、どうかな。お前さんもイトアニアとサーディアスの戦を聞きつけてやってきたクチだろ? そいつに関しちゃあ、確かにもう終わっちまったんだがよ……どうやら、もう一戦ありそうだからな」
「どういう事です?」
ワルアの問いに、最も年かさの男は、幾分声を落とした。
年齢は六十代前半といったところか。口と顎に真っ白な髭を豊かに蓄えた男である。
「どうやら、イトアニアは戦に負けちまったらしいんだ」
「まったくもって信じられんことだがな。まず間違いねぇ」
すっかり禿げ上がった四十代半ばであろう男が、白髭の男の言葉を継いだ。
屈辱の敗戦である。イトアニアとすれば出来るだけ隠しておきたい事実だが、大軍で臨んだ以上それは無理というものであった。
「冬の間はなかろうが、春になると同時に再侵攻が始まるだろう」
「なぜ負けたのか、理由は分かってるんですか?」
「そいつぁ分からねぇな。俺たちは軍人じゃないし、いまいち詳しい情報は回ってこねぇんだ。ただ、部隊を指揮していた人間があらかたやられちまったらしい。あのグスタフ将軍まで討ち死にしたってんだから、きっと余程のことがあったんだろうよ」
どうやら、彼らはサーディアスには行ったことがないらしい。そう判断したワルアは、仕事に掛かることにした。
「やはりサーディアスで最近軍師に就いたという方の策に嵌ったということでしょうかね」
「どういうことだ? 若いの」
それまで黙っていた男が乗ってきた。歳は五十代前半といったところか。ずんぐりとした体格の男だ。頭髪は残っておらず、危ない橋を渡ることが多いのか頬に長い傷跡がある。
「いや実は私、少し前までサーディアスにいたんですよ。ちょっと噂を聞きましてね。確かめに行ったんです。皆さん、今回の戦の発端をご存じですか?」
「確か逃げ出した罪人を、サーディアスが匿ってるとかなんとかって話だな」
白髭の男の言葉に、ワルアは口の端を上げた。
「どうやらそれが違うらしいんですよ」
「と、言うと?」
禿頭の男も興味を示した。商人たちが売るのは物だけとは限らない。何より鮮度の高い情報は儲け話につながるものだ。彼らにとって、互いの情報を交換することは必要不可欠なことなのである。
「サーディアスが匿っているのは、何の罪もないイトアニアの領民だということです」
ワルアの言葉に、商人たちは合点がいったと頷いた。つまり、戦争の口実が欲しかったということだろう。しかし、そうまでして貧しく且つ何もない地を欲っする理由は何なのか。首を傾げる商人たちに、ワルアは情報を明かしていく。
「しかし、それも表向きの理由に過ぎず、本当の理由は別にあったようです」
ワルアは声を潜めた。
「実は、サーディアスでウーツ鋼が産出したらしいんですよ。イトアニアはその採掘権を得るために、色々と細工して戦端を開いたみたいなんです」
商人たちは互いの顔を見合わせた。
もしも目の前の青年の話が事実であるならば、イトアニアの主張する正義は崩れることになる。更に希少金属であるウーツ鋼が発見されたとなれば、今後、各領にとってサーディアスの重要度は大きく変わる。新たな商いのチャンスに結びつきそうな情報であった。
「で、産出量はどうなんだ?」
「そこまでは何とも……ただ、どうせ商いをするのであれば、サーディアスが体制を維持してくれる方が、我々にとっては都合が良さそうでしたね」
ワルアはここで一度口を噤んだ。
給仕の者が近づいてきたためである。
このご時世、酒場を訪れるのは商人か下級貴族くらいのものである。
情報交換の場として使うわけだが、公共の場であるにも関わらず、時に不穏な会話がなされることもあった。
下手に聞き耳など立てれば、寿命を縮めることにもなりかねない。
店内がそれなりに賑わっていた事もあり、給仕は頼んだ麦酒と食事を卓に並べると、慌ただしく他の卓へと注文を取りに行った。
商人たちは麦酒で舌を湿らせた。ワルアも麦酒を一口含むと話を再開する。
「噂には聞いてたんですが、領主が代わってからというものサーディアスは善政を敷いているようなんですよ。実際、関所ごとに賄賂を要求されるようなことはありませんでしたし、貧しい土地のわりには領民たちも元気でした。領内も色々と整備されつつあるようでしたしね。日頃から自警団の人たちが領内を見回っているらしくて、私が行った時には丁度、山賊を退治して帰ってきたところでした。特産品もできたことだし、これから賑わうんじゃないでしょうか。それにね。税金が安いんですよ。私ら商人もそうですが、農民が笑顔だったってのが印象的でしたね」
「なるほどな。そりゃあ、確かに都合が良さそうだ」
サーディアスがイトアニアの属領となれば、無論そうはいかない。不正と賄賂が横行するイトアニアの体制が持ち込まれるのは明らかだ。商人たちは唸った。
「そういやあ、さっき軍師がどうこう言ってたな」
傷の男の言葉に、ワルアが頷く。
「イトアニアと一戦するに当たって、新たに任命された将軍と軍師がいたんですよ。何せ自警団はあっても軍隊はなかったところですからね。そこで現サーディアス領主の弟でウォレスという青年が将軍に任命されたみたいなんですよ。この人が先程言った山賊退治をした人なんですが、これがまためっぽう強いらしくて、わずか数騎の共を率いて百人近い山賊をあっという間に斬り捨てたって話なんですよ。自警団の人が言うには、ほとんど単騎駆けに近かったとか」
話を聞く商人たちは、いつの間にか身を乗り出していた。
「で、軍師に任命されたって人なんですが、どうやら領主の知り合いらしいんですけどね。女性なんですよ。私も一目見たんですが、偉いべっぴんさんでびっくりしましたよ。天から女神様が降りてきたのかと思ったくらいです」
老いたとりはいえ、商人たちも男である。
美しい女軍師の話題に興味を持ったようであった。
「いくら人望があっても戦には勝てませんからね。将来性はともかく現状はまだ弱小国に過ぎないですし、イトアニアが負けたとなればその将軍も軍師も相当な実力を持ってるとみていいんじゃないでしょうか」
この時、ワルアの話を聞いていた三人は、恐らく同じ事を考えていたに違いない。商売がやり易いのも重要ではあるが、何よりも家族と共に安心して住める国が欲しかったのである。サーディアスが大きくなれば、それだけ住みよい場所が増えるのだ。
ワルアは話を切ると、食事を取り始めた。
「なんにしろ、再度戦になるってんなら商売のチャンスはまだあると思うぜ」
大きなチャンスを掴むべく、プランを練り始めたのだろう。傷の男の呟きを最後に、一同は黙してしまった。会話のないまま、卓上の料理だけが減っていく。
ワルアに課せられた任務は、まだ始まったばかりであった――。




