1章 6話 「シ」
俺とテレグは歩きながら地図を眺める。先程、目撃者の男から、やつらを最後に見た地点を地図に示してもらったのだ。
「あくまで目安ですが、この目撃地点付近から探索をしようと思います。シュンさんは絶対に、僕のそばを離れないで下さいね。」
テレグが念を押す。言われなくても当然離れるつもりはない。俺は自衛の手段を持ってはいないし、この世界の魔獣が果たしてどれほどの強さなのかもわからない。そんな状態で単独行動なんて、バカの極みだ。
俺は少しおどけた口調で言う。
「当然、離れるつもりはないぞ。俺の事、しっかり守ってくれよ〜?」
俺の心の奥底にある恐怖は、消して拭いきれてはいない。だからこそ、少しでもふざけたり、明るく振舞って、気を紛らわせようとしているのだ。
テレグは得意気な笑みを浮かべる。
「えぇ、任せて下さい!」
全く、頼もしいったらありゃしない。彼なら、俺のことを必ず守ってくれるだろう。
俺達は森の奥深くへと歩を進める。奥へ奥へと行くにつれて、木々の数は増えていき、次第に陽の光を完全に遮ってしまった。心なしか雰囲気も暗くなってきた。今にも魔獣が飛び出してきそうだ。
テレグが腰に携えていた剣を抜く。言葉を放つことは無かったが、ここから先は魔獣が現れる可能性がある、ということだろう。彼の無言の警戒が何よりの証拠だ。不用意に音を立てれば、すぐさま魔獣が襲ってくる、ということなのだろう。ここから先はテレグに任せきりではなく、俺も十分に警戒する必要がありそうだ。
ガサガサッ。
俺は思わずビクついた。すぐ横の草むらから物音がしたのだ。まさか…ついに魔獣が現れたのだろうか。テレグが草むらへと向き、剣を構えた。彼が放つ気迫に、思わず圧倒されそうだったその時。
ガサッ。
草むらから出てきたのは、1匹の兎だった。俺はふぅ、とため息をつく。よかった。恐ろしい魔獣を想像していたが、出てきたのはただの兎のようだ。俺はそのまま歩きだそうとする。が、しかし。テレグが俺の前に手を伸ばした。進むな。そう言っているのだ。彼はまだ剣を下ろしていなかった。まさか、この兎に警戒しているのか?
俺は小声でテレグに耳打ちする。
「いつまで剣構えてるんだよ。ただの兎じゃないのか?先へ進もう。な。」
しかし彼は答えない。一体この兎に何があるというのか。と、その時だった。
後ろからもう1匹、兎が飛びかかってきた。と同時にテレグが振り返り、剣を振り下ろす。兎は真っ二つになってしまった。最初に現れた1匹は、仲間が死んだのを見て慌てて逃げ出して行った。
俺はテレグに兎を斬った理由を聞く。
「なぁ、なんで斬っちまったんだ?ただの兎じゃないか…」
テレグは兎の死体の足を指差す。何か光っている。近づいてよく見てみると、それはなんと鋭利な刃だった。
「こいつは殺人兎です。見た目は確かにただの兎ですが、それは油断させる為の擬態。かなり気性が荒く、知能が高い。獲物を見つけると群れでジワジワと追い詰め、足の刃で刺し殺してきます。幸い、群れから孤立した個体だったようで、事なきを得ましたが…これが5体以上いるとかなり厄介でした。運がいい、としか言いようがありませんね。」
これが擬態だったのか。もし仮に俺1人だったならば、俺はすっかり油断してこいつに切り刻まれていたかもしれない。そう考えると恐ろしい。油断させて切りつけるなど、中々に凶悪な生態をしている。森にいる外敵よりも、俺達人間を狩るためのものに思えた。
「もしかしたら、この近くに殺人兎の群れがいるかもしれません。そうなったら、なりふり構わず逃げて下さいね。僕は大丈夫ですから。」
確かに、そうなったら2人で固まっているよりも、テレグに任せ、俺は距離を置くのが最適解だろう。
「わかった。そん時はお前も死なないようにな?」
「えぇ、もちろんですよ。死ぬつもりなどありません。」
俺達はそのまま森の探索を続けていく。2、3時間程経った頃だろうか。森の中に建物が見えてきた。
「あれは……!やつらの拠点じゃないのか…!?」
俺は急いで調べようと建物へ急ぐ。テレグも俺の後を追う。
そこにあったのは紫色のテントと、焚き火の跡や解体された魔獣の死骸だった。漂ってくる血の臭い。間違いない。やつらはここにいた。この魔獣の死臭がなによりの証拠だ。肉を食うために狩ったのではなく、楽しむ為に狩ったような跡。
「これは………猪か?」
「えぇ、そうです。こいつは魔猪。どれだけ攻撃をしても倒れないタフさが特徴で、その巨体から繰り出されるタックルを喰らってしまえば、立つこともままならなくなるでしょう。」
そんな魔獣もいるのか。恐ろしい。だが更に恐ろしいのは、その魔猪が無惨な死体と化している事だ。奴らは一体どれほど強いのか。未だに底が知れない。
「どうやらここはもぬけの殻のようだな。一足遅かったか。」
すると、テントの中に入っていったテレグが大きな声で叫ぶ。
「シュンさん!これ、見てください!」
テレグが俺に向かって掲げたのは、表紙が両方とも赤黒く染められ、題名も作者名もない本だった。
「どうしたんだ、この本になにか書いてあったのか?」
テレグは本を開いた。残念なことに、俺には読むことはできなかった。言葉は通じるものの、文字は日本のものとは大きく異なるようだった。
テレグが本の内容を要約する。
「ここに書かれているのは、例の儀式についてのようです。彼らが行っているのは、超越存在を現世に降臨させるための儀式。邪教と呼ばれるカルト宗教にとっての神のような存在です。名前を【無へと還す者】。残念ながら詳しい情報は記載されていませんが、超越存在に善い存在などいません。ろくなものではないでしょう。」
おぉ、なんと厨二心をくすぐる名前なんだろう。と、そんなことを考えている場合じゃない。何もかも捨て置いてここを去ったということは、儀式の準備が整いつつあるということだ。
「あともう1つ、この本の他にこんなものがありました。」
テレグが懐から取り出したのは、ボロボロの地図だった。そこには赤いバツ印がつけてある。
「この印は、奴らの襲撃を受けた村の場所と一致します。ここから何か法則を導ければ…」
俺はその地図を見て、驚愕する。地図に付けられた印は、俺には図形に見えたのだ。あと1ヶ所。つまり1点が欠けた図形。俺はそこで気づいてしまった。
「…………なぁ、これ…六芒星じゃないか……?しかも、星の中心は………」
テレグが苦悶の表情を浮かべた。
「ッ……………!ラフドリア王国…………!」
「これはマズいぞ………!!テレグ、直ぐにこの最後の1点に向かうんだ!全力で馬を走らせれば、まだ間に合うかもしれない!」
「……!!えぇ!」
俺とテレグは駆けだし、奴らの拠点を後にする。
あれから1時間。俺達は村に停めた馬車の元を目指して、森を抜けようとしていた。だが、様子がおかしい。どういうわけか周囲が霧がかってきているのだ。視界不良のせいで、俺達は急ぐに急げない状況に陥っている。苛立ちが募っていく。こいつは一体何をしているんだ。もしかして迷ってるんじゃないのか?今こんなことになっているのはこいつのせいなんじゃないのか。
「なぁ、おい、変だろこれ。つい1時間前まで霧なんて出てなかったじゃねぇか。それがこんなに濃くなるなんて。お前、道か何か間違えたんじゃねえのか?」
「申し訳ありません、シュンさん。」
テレグが俺に謝る。一体何に謝っているのか、俺にはわからなかった。テレグが口を開く。
「霧使いです。嵌められました。この霧には認識阻害と精神汚染の効果がある。僕は防護壁があるので、精神汚染は効かないのですが…認識阻害にやられたようです。いつの間にか、奴らの住処へ誘導されてしまった。」
「はぁ!?」
クソッ、こいつは何をしているんだ。何でも出来る男だとか思っていたが、肝心な時に使えない。このままじゃ、俺の無実が証明できなくなるじゃないか。
「クソッ、なんて事してくれたんだ!?お前のせいだぞ、どう責任取ってくれるんだ。もしかして、俺に死んで欲しいのか!?」
苛立ちだけじゃない。あらゆる負の感情が膨れ上がり、それがテレグへと向かっていく。
「落ち着いて下さい、シュンさん!あなたはこの霧に精神を犯されているんだ。自分をしっかりもって!!」
こいつ、自分のミスをあたかも俺がおかしくなったみたいに言いやがる。うぜぇ、うぜぇ、うぜぇ。
「もういい!!俺1人で行く!」
「ダメです!単独行動は危険だとあれほど───」
俺はその言葉を無視し、1人で先へと進む。俺はその判断を、すぐに後悔することになる。
ドンッ
なにかにぶつかった。木かなにかに当たったのか?だが、木にしては妙に温かい。すると、それはゆっくりと動き出した。霧が少し晴れたかと思うと、そこにいたのは──────
熊だ。俺の何倍もの巨体を誇る熊だった。牙を剥き出しにし、よだれを垂らし、荒い息を吐いている。驚く暇もなく、そいつが鋭い爪を振り回す。鋭いものが手首を掠った。
「う…………うわァァァァァァァァァァァァッッ!?!?!?」
本能でわかった。死ぬ。このまま立ち止まれば死ぬ。逃げなければ。今すぐこの場を離れなければ。俺は全力で走り出す。テレグの事など目もくれずに。
「シュンさん、ダメです!!シュンさ─────んッ!!!」
知るか、知るか。俺の代わりに殺されろ。少しでも俺の為に時間を稼げ。俺は逃げる、逃げてやる。こんなところで死んでたまるか。俺は生きるんだ。
「ハァッ、ハァッ、死に、死に、し、死にたくない……!」
と、その時。視界が歪む。足元がおぼつかなくなり、地面に倒れ込む。何だ、何が起きた。そう思い、俺は自分の体を見ると───────
腕が、無かった。
「ッぐ──!?がぁぁぁぁあぃぃぁぃぁいぅあぁァァァァァ!!!いた痛い痛いた痛い痛い痛いた痛い痛いたいた痛い痛い痛い痛いィィィ…………」
気づかなかった。無我夢中だったのだ。手首を掠ったと思ったやつの爪は、俺の腕を引き裂いていたのだ。血が止まらない。尋常ではない激痛と、燃えるような熱を感じる。血が止まらない。流しすぎたのだ。
「あ……………う…………死にたく………ない………」
涙が止まらない。なぜ涙を流しているのかすらわからない。とにかく死ぬことが怖かった。覚悟だのなんだの抜かしていたが、結局そんなものは出来ていなかったのだ。いや、出来るはずがない。俺はただの学生だぞ?いざ死を目の前にすれば、怖いに決まっている。こんなことなら、テレグの目を盗んで脱げ出せばよかった。何もかもを忘れて。
背後から巨体の駆ける足音が聞こえる。ドシン、ドシンと。俺が身体を起こし、背後を振り返る。奴が、熊が迫ってきていたのだ。
「嫌だ…………嫌だ嫌だ嫌だ嫌だやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだァァァァァァァァァァ!!!」
俺の目の前で熊が止まる。次の瞬間、奴が俺の腹に噛み付いてきた。
「ッッッッッぐ──────!?!?!?!?」
耐え難い痛み。いたい、いたい……痛い以外考えられない。頭が真っ白だ。
ぐちゃ、ぐちゃ、くちゅ、みちょ。
何の音だ?これ。────────あぁ、そうか。俺の肉が、内臓が、食われているんだ。
薄れゆく意識。視界が次第に暗くなってきた。最後に俺が抱いたのは、母や父に対する謝罪と後悔だけだった。
「ご…………めん…………な…………さ…………」




