第72話 父母の帰国
『ようやく夏休みが取れたから、父さん母さん帰国するからな~』
このメールを見たのは、今朝。
久しぶりに惰眠を貪って、カーテンから洩れる夏の日差しで自然に目覚めた時だった。
最近は、無料塾の運営と、夏休み明けを見越した王城さんへの無料塾運営の引継ぎ作業に追われていて、あまりスマホを構っていなかった。
あの無料塾が、実はセックスしないと出られない部屋である事を王城さんに知られないために対策が必要であることに、スカウトした後に気付いた俺は、そのためのレイアウト設計や人員配置に追われていたのだ。
スタッフ講師周りについては、別の管理担当の人、まぁこの人もセクサロイドなのだが、王城さんとの分担を明確にすることで上手い事、無料塾の講師がセクサロイドであるのがバレる事を回避できた。
そんなこんなで一息ついて、スマホの溜まったメッセージやらに返信していると、父さんからの帰国について連絡するメールを見つけた次第だ。
「帰って来るの、今日じゃん! こうしちゃいられない!」
俺は慌ただしく、両親の寝室の掃除やベッドメイキングを済ませる。
普段から家の中の掃除はしているが、今日は特に念入りにやっておく。
なにせ、一人暮らしでも、しっかりとした生活を送っている事が、俺が日本に残って一人暮らしを許されている条件の一つなのだ。
つまらない所で、両親の不興を買うわけにはいかない。
(ピンポ~ンッ!)
「うわ! 早い!」
掃除を終えて、次は何か和食でも振舞おうと、冷蔵庫にある食材をチェックしていた所で玄関のインターホンが鳴った。
とにかく、最低限の掃除や片づけは済んでいるので問題はない。
「おかえりなさ……って、瑠璃か」
「うん。お兄ちゃん、しばらくぶり」
帰って来たのは瑠璃の方だった。
当然、娘である瑠璃にも両親が連絡してだだろうから、会いに来たのか。
「瑠璃はまだ全国ツアー中じゃないのか?」
「移動は今日の夜だから平気。父さん、母さんに会いたいから、今泉社長に無理言ってスケジュール調整してもらったんだ」
そう言って、瑠璃がソファにゴロンと横になる。
「何時に日本に到着の便なんだろ?」
「もうすぐだと思うよ。お兄ちゃんったら、スマホのメール全然見てないでしょ? 無料塾が忙しかったんだろうけどさ」
「歌姫の瑠璃ほどじゃないさ」
笑いながら、俺は御飯の支度に取り掛かる。
「なに作るの? お兄ちゃん」
後ろからくっつきながら、瑠璃が俺の手元を覗き込む。
「父さん母さんは久しぶりの帰国だから、やっぱり、肉じゃがとサバの味噌煮かと思ってな」
赴任先のミャンマーにも、日本の食材や調味料も手には入るのだろうが、かなり高額だし種類もあまり無いと、料理番の父さんが嘆いていたからな。
「私も、久しぶりのお兄ちゃんの手料理楽しみ~」
「父さんの料理の腕にはまだまだ届かないけどな」
そう言いながら、俺は洗ったジャガイモの皮をピーラーで剥きだす。
「なんか、新婚夫婦みたいだね」
「……いや、ただの兄妹のじゃれ合いだろ」
料理の邪魔にならない程度に瑠璃が俺の背中に身体を寄せてくる。
「ねぇ、お父さん、お母さんに私たちの今の関係のこと話しちゃう?」
耳元で、いたずらっぽい声でささやく瑠璃の言葉に、思わず俺の身体が固まる。
「瑠璃。それは……」
「フフッ冗談だよ。でも……ちょっと寂しいな」
そう言って、瑠璃が俺の背中に、ススッと優しいフェザー―タッチで指先を這わす。
「さ……寂しいって?」
「自分の好きな人を両親に紹介できないのが」
「いや、両親に紹介もなにも、家族なんだから最初から知ってるだろ」
「聞いたわよお兄ちゃん。優月の両親と、珠里の両親とはすでに顔合わせが済んでるんでしょ?」
クイクイッと、腰で止めたエプロンの紐をひっぱってくるのは、瑠璃の不満を表しているのか?
それとも、私にもっと構ってよというサインなのか。
「べ、別に、珠里の両親とは元々小さい頃から道場で知ってただけだし、優月は色々と、お姉さんの件で関りがあった流れで」
「ふーん……」
俺の言い訳がお気に召さなかったのか、瑠璃がエプロンの紐を引っ張る。
「こ、こら……。料理中だぞ」
結び目が解けて、エプロンがはだける。
「妹に脱がされちゃったね、お兄ちゃん」
耳元で吐息まじりにささやかれて、こそばゆくて、たまらずピーラーとジャガイモを置いて振り返る。
「こら、イタズラも大概に」
「イタズラする妹に、お兄ちゃんはお仕置きする?」
振り返ると、先ほどまでふざけてちょっかいを出していたのに、熱視線で俺を見上げる瑠璃が目の前にいた。
2人、見つめ合い、空調の音だけが響く静寂の時間が流れる。
そのまま2人の距離が縮ま。
「ただいま~~! お父さんだぞぉ~!」
「お、おお⁉ おかえり、父さん」
ピンポンも鳴らさずにリビングに上がり込んできた父の一刻が、静寂をぶち壊す。
危なかった……つい雰囲気に流される所だった。
「うわ、抱き着いてこないでよ、お父さん」
「高校生にもなって中年オヤジに抱き着かれてるの、色んな意味でキツイ」
帰宅早々、俺と瑠璃を腕に抱え込む父さんから、オッサン特有のスメルが漂う。
臭いけど、どこか懐かしい感じもするので嫌ではないが。
「そんないきなり抱き着いたりしたら、思春期の息子と娘に嫌われますよ一刻さん」
そう言って、父を諫めながら母親の花香もリビングに入って来た。
女優が避暑地にバカンスに来ましたみたいなツバの大きい帽子を脱ぐさまは、まさに世界をまたにかけるバリキャリ女性という印象だ。
「え~、ハナちゃんもやろうよ」
「それもそうね。一心~! 瑠璃~~!!」
って母さんもかい!
結局、一家4人で団子状になり、久しぶりの再会を祝した。
「あ~、肉じゃがもサバの味噌煮もホッとする味ね。日本に帰って来たんだって実感する」
「うん、お兄ちゃんのお料理美味しいね、お母さん」
女性陣は、俺の料理の出来栄えに満面の笑みだ。
作り手としての何よりの喜びだ。
「ふむ、あえて基本の和食にしたのは、俺に対する挑戦か?」
「フフッ。赴任先のミャンマーじゃ、中々、和食は作れないだろ? 母さんの海外赴任の間に、和食については父さんの料理の腕を超えてやるよ」
「私はお兄ちゃんの味付けの方が好きかな」
「ありがと瑠璃。おかわり食べるか?」
「食べる~♪」
久しぶりの一家4人水入らずの食卓で美味しい料理で話に花が咲く。
離れていても、すぐに違和感なく一体感が出るのは、やはり家族と言うべきか。
「ところで瑠璃。いつの間に、またお兄ちゃん呼びに戻ったの?」
母さんの突然のツッコミに、俺と瑠璃は思わずお茶碗を持ったまま固まってしまう。
しまった。違和感あったわ。
最近は、瑠璃が『お兄ちゃん♪ お兄ちゃん♪』と懐いてきてるから、すっかり忘れてたが、両親がミャンマーへ海外赴任するまでは俺と瑠璃の兄妹仲はかなり悪く、ろくに会話も無かった。
そんな兄妹が、いきなり仲良くなってたら、母さんも怪訝な顔になるのは至極当然だ。
「え? ああ……まぁ、最近……ね? お兄ちゃん」
「あ、ああ……そうなんだよアハハッ」
さっきは、俺に小悪魔ムーブで『お父さんお母さんに話しちゃう~?』なんて言っていた瑠璃も、いきなり母さんに突っ込まれたせいか、しどろもどろで、それに釣られて俺も答えになってない答えを返す。
「ふ~ん……」
母さんは、どこか納得いっていない様子で俺と瑠璃の顔を順番に見る。
この、子供の事ならば全てを見透かしているのではと思ってしまう母親の眼力。
俺と瑠璃は小さな子供の頃から幾度となく、母さんのこの眼力に射すくめられて、イタズラやウソを白状させられてきた。
ひたいを汗がつたう。
「まぁ、兄妹仲が良くなったのは喜ばしいことよね」
「そうだな。これも、両親から離れて暮らすことになったおかげだよハナちゃん」
ふ~~っ。
良かった。
何とか、追求から逃れられた。
さすがに、両親だからと言って、いや両親だからこそ、俺と瑠璃との間の本当の事は言えない。
横をチラッと見ると、瑠璃も同じくホッとした表情をしている。
何やかんや、瑠璃にもまだ本気で、両親に俺との関係を打ち明ける気は無いらしい。
「ところで一心。見た所、この家には女の子を連れ込んでいる形跡が無いんだけど」
「ブフォ!? いきなり、何だよ父さん」
「高校生男子で一人暮らしをしていれば、必ずラブコメ展開してると思ったのに、何もないじゃんか。泊まった時用の歯ブラシとか化粧水とか」
不満げに頬を膨らませるな中年男性が。
ちっとも可愛くねぇんだよ!
「ね、ねぇよ。そんなもん」
「どっかに隠したのか? お父さんに見せてみ。今度の新作ラブコメ小説の参考にするから。どこだ? ベッドの下か?」
この家にはそんな物はない。
そしてもちろん、優月や珠里の物が置いてある、セックスしないと出られない部屋なんて見せられない。
そんな面白い物を、ラブコメラノベ作家の父さんに見せたら、光の速さで本にされてしまう。
「一刻さん。思春期の息子にそういう絡み方をすると嫌われますよ」
「お父さん、きも~」
うざったい父さんに、目ざとい母さん。
だけど、こういった騒がしい団らんも懐かしいなと、俺の部屋に入ろうとする父さんにチョークスリーパーを掛けながら俺は思った。




