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第十五話 旦那様と呼んでもいいですか?

 翌朝。


「エレノアちゃん!」


 朝食を終えたエレノアのもとへ、セシリアが勢いよくやってきた。


「今日は私と一緒に過ごしましょう!」


「……はい」


「よかった!」


 セシリアは嬉しそうにエレノアの手を取る。


 その様子を見ていたレオンハルトが口を挟んだ。


「母上」


「何?」


「エレノアに無理をさせるな」


「分かってるわよ」


「疲れたらすぐ休ませてくれ」


「はいはい」


「食事の時間も――」


「レオンハルト」


 セシリアが呆れたように息子を見る。


「あなた、エレノアちゃんのお母さんなの?」


「……」


 レオンハルトは黙った。


 エレノアが小さく笑う。


「公爵様、お義母さんみたいです」


「……君まで言うのか」


 セシリアが吹き出す。


「ほら、行きましょう。エレノアちゃん!」


「はい」


 二人が去っていく。


 レオンハルトはその背中を見送った。





 ◇


「エレノアちゃん、今日は何をしましょうか?」


 セシリアと二人きりになった部屋で、エレノアは少し考える。


「……何でも大丈夫です」


「じゃあ、お買い物に行きましょう!」


「お買い物?」



「ええ」


「何を買うのですか?」


「それを今から決めるのよ」


 エレノアは首を傾げた。


 セシリアは笑う。


「エレノアちゃんは、欲しいものない?」


「ありません」


「本当に?」


「はい」


 エレノアは少し考えてから答えた。


「必要なものは、全部用意していただいています」


「……」


 セシリアの笑顔が少しだけ曇った。


「そう……」


「はい」


「じゃあ、欲しいものじゃなくていいわ」


「?」


「好きなものは?」


「好きなもの……」


 エレノアは真剣に考える。


 花。


 焼き菓子。


 美味しい料理。


 そして。


「……本、です」


「本?」


「はい」


「どんな本が好き?」


「植物の本や、動物の本が好きです」


「じゃあ、決まりね!」


 セシリアは立ち上がった。


「本を買いに行きましょう!」


「……私が選んでいいのですか?」


「もちろんよ」


 エレノアは困ったようにセシリアを見る。


「もう!」


 セシリアは笑った。


「遠慮しなくていいの」






 ◇


 街の本屋。


 エレノアは棚の前で立ち止まっていた。


「……」


 目の前には、たくさんの本。


 植物図鑑。


 動物図鑑。


 料理の本。


 童話。


 歴史書。


「好きなだけ選んでいいのよ」


 セシリアが後ろから言う。


「……」


 エレノアは一冊の本を手に取った。


 植物図鑑。


 そして、動物図鑑。


 もう一冊。


 料理の本。


「三冊も選んだわね」


「……多いでしょうか」


「少ないくらいよ」


「そうですか?」


「ええ」


 セシリアは嬉しそうに笑う。


「ありがとうございます、お義母様」


エレノアは大切そうに本を抱える。


「どういたしまして」


 セシリアは嬉しそうに微笑んだ。




 ◇


 屋敷に戻ると。


「おかえりなさいませ」


 レオンハルトが玄関で出迎えた。


「ただいま!」


 セシリアが答える。


「……なぜ母上が先に答える」


「いいじゃない」


 その横から、エレノアが顔を出した。


「おかえりなさいませ、公爵様」


「ああ。ただいま」


「今日はお義母様と本を買いに行きました」


「そうか」


 エレノアが嬉しそうに本を見せる。


「植物の本と、動物の本と、料理の本です」


「……三冊?」


「はい」


「他には?」


「ありません」


 レオンハルトが少し眉を寄せる。


「それだけか?」


「はい」


「欲しいものはなかったのか?」


「これが欲しかったです」


「……そうか」


 レオンハルトは本を見つめる。


 そして。


「なら、よかったな」


「はい」


 エレノアが笑う。


 その笑顔を見て、レオンハルトも微笑んだ。


「それで、今日は楽しかったか?」


「とても楽しかったです」


 その言葉が、レオンハルトには嬉しかった。


 最近。


 エレノアは「楽しい」とよく言うようになった。


 以前の彼女からは考えられない。


 そして。


 そんな変化を、一番近くで見られることが嬉しい。


「また行きたいか?」


「はい」


「なら、次は俺と行こう」


「……お義母様とではなく?」


 エレノアが不思議そうに尋ねる。


「……」


 レオンハルトは一瞬黙った。


「俺とも行けばいい」


「はい」


 エレノアは素直に頷いた。


 セシリアが後ろでニヤニヤしている。


「レオンハルト」


「何だ?」


「あなたも可愛いところがあるのね」


「何の話だ」


「何でもないわ」




 ◇


 夕食後。


 エレノアは今日買ってもらった本を部屋で読んでいた。


 そこへレオンハルトがやってくる。


「エレノア」


「はい」


「まだ読んでいたのか」


「はい。面白いです」


「そうか」


 レオンハルトは向かいの椅子に座る。


 エレノアは本を閉じた。


「どうされました?」


「いや」


 少しだけ沈黙が流れる。


 そして。


「……そういえば」


「はい」


「君は俺のことを、いつまで『公爵様』と呼ぶつもりだ?」


「……?」


 エレノアは瞬きをした。


「駄目ですか?」


「駄目というわけではない」


「では、何とお呼びすれば?」


 レオンハルトは少し考える。


「家の中なら……『旦那様』でもいい」


「旦那様……」


 エレノアが小さく呟く。


「呼んでみろ」


「今ですか?」


「ああ」


 エレノアはレオンハルトを見る。


 少しだけ緊張したように。


「……旦那様」


 レオンハルトの動きが止まった。


「……」


「旦那様?」


「……ああ」


「大丈夫ですか?」


「問題ない」


 問題はあった。


 想像していた以上だった。


 今まで何度も「公爵様」と呼ばれてきた。


 けれど。


「旦那様」


 その一言には。


 自分たちが夫婦であることを、改めて突きつけられるような響きがあった。


「変ですか?」


「いや」


 レオンハルトは目を逸らした。


「……悪くない」


「では、これからそう呼びます」


「ああ」


「旦那様」


「……何だ?」


「おやすみなさいませ」


「……おやすみ」


 エレノアが笑って部屋へ戻っていく。


 扉が閉まる。


 レオンハルトは一人になった。


「……」


 そして小さく息を吐く。


「……これは、慣れるまで時間がかかりそうだな」





 ◇


 翌朝。


「おはようございます、旦那様」


「……おはよう」


 朝食の席。


 エレノアが自然にそう呼んだ。


 レオンハルトは一瞬だけ固まった。


 だが。


「おはよう、エレノア」


 今度は自分から、彼女の名前を呼ぶ。


「今日もたくさん食べろ」


「はい」


「それから、昼に時間があるなら庭へ行こう」


「いいのですか?」


「ああ」


「嬉しいです」


 エレノアが笑う。


 レオンハルトも笑う。


 その様子を見ていたセバスチャンは、静かに紅茶を注いだ。


「……」


 そして心の中で思う。


 ――旦那様は、もう完全に手遅れでございますな。


 だが。


 それでいいのだろう。


 契約から始まった夫婦は。


 少しずつ。


 確かに。


 家族になり始めていた。

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