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第一章 はじめて褒められた日

幼稚園の教室には、クレヨンの匂いが満ちていた。

窓から差し込む午後の日差しの中で、子どもたちは思い思いに画用紙へ色を塗っている。


「できた!」


五歳の少女――朝倉ひよりは、画用紙を両手で持ち上げた。

そこに描かれていたのは、大きな太陽と、緑色の山。そして山のふもとに立つ、ひより自身だった。


太陽は画用紙からはみ出している。

山は三角形がいくつも重なっただけ。

人の手足も、棒のようだった。

決して上手な絵ではない。

けれど、担任の先生は絵を見た瞬間、目を丸くした。


「ひよりちゃん、すごいね」


「すごい?」


「うん。ひよりちゃんの絵って、見ていると楽しくなる」


ひよりは不思議そうに首を傾げた。


「楽しい?」


「そう。太陽も山も、ひよりちゃんが楽しそうに描いたのが伝わってくるよ」


その言葉を聞いた瞬間、ひよりの胸が熱くなった。


「……ほんと?」


「本当」


先生は笑いながら、絵を教室の壁に飾ってくれた。

ひよりは自分の絵を見上げた。

たった一枚の絵なのに、いつもより少しだけ特別に見えた。


「先生、もう一枚描いていい?」


「もちろん」


「今度はね、おっきなお城を描く!」


「じゃあ、楽しみにしてるね」


ひよりは新しい画用紙を受け取ると、すぐにクレヨンを握った。


赤。

青。

黄色。

緑。


次々と色を重ねていく。


「ひよりちゃん、何描いてるの?」


隣の席の女の子が覗き込んだ。


「お城!」


「誰のお城?」


「私のお城!」


「じゃあ、私も描いていい?」


「うん!」


二人で一緒に画用紙へ色を塗った。

ひよりは笑っていた。

絵を描いていると、頭の中にあるものを何でも自由に作れる。

現実には存在しない大きなお城も、空を飛ぶ鳥も、虹色の雲も。

画用紙の上なら、全部自由だった。


その日、家に帰ったひよりは、母親に幼稚園で描いた絵を見せた。


「お母さん、見て!」


「わあ、上手ね」


「先生がね、楽しい絵だって!」


「そう。よかったね」


「明日も描く!」


「そんなに絵が好きなの?」


「うん!」


ひよりは胸を張った。


その日の夕食後。

ひよりはテーブルの上に画用紙を広げていた。


「ひより、宿題……はまだ幼稚園だからないか」


母親が笑う。


「何描いてるの?」


「今日のお城!」


「またお城?」


「今度はもっと大きいの!」


ひよりはクレヨンを走らせる。

窓の外は、もう暗くなっていた。


「ひより、そろそろ寝る時間よ」


「あと五分!」


「さっきも聞いた気がするけど?」


「今度こそ五分!」


母親は苦笑しながら時計を見る。


五分後。


「ひより、寝るよー」


「あとちょっと!」


「さっき五分って言ったでしょ」


「もうちょっとだけ!」


結局、その「ちょっと」は三十分続いた。

ベッドに入ったひよりは、枕元に置いた今日の絵を眺めた。


少し歪んだお城。

その隣には、笑っている自分。


「明日は何描こうかな……」


そう呟きながら、ひよりは眠りについた。


翌朝。

目を覚ましたひよりは、朝食より先に画用紙を探した。


「お母さん、画用紙どこ?」


「昨日の夜、全部使ったでしょう?」


「じゃあ、買いに行こう!」


「朝ごはん食べてからね」


「はーい!」


それからひよりは、暇さえあれば絵を描いた。


家でも、幼稚園でも。

テレビを見ながら。

ご飯を食べ終わったあと。

眠る前にも。

時には、外で遊ぶ時間を忘れて絵を描いていることもあった。


「ひよりちゃん、外で遊ばないの?」


友達に誘われても、


「この絵が終わったら行く!」


と答える。


そして、絵が完成する頃には、もう遊びの時間が終わっている。

それでも、ひよりは楽しそうだった。

絵を描くことが好きだった。

褒められることも好きだった。

何より、自分の頭の中にある世界が、白い紙の上に少しずつ現れていく瞬間が好きだった。

五歳のひよりにとって、絵はただの遊びだった。


けれど同時に――。


初めて見つけた、**「自分が夢中になれるもの」**でもあった。

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