後編
勇者レオンハルト、聖女シェリア、魔法使いフレイヤ、騎士ガレス。そして、支援者ラナ。
魔王を封印した英雄達を讃える凱旋式として、王都の大通りを勇者一行がゆっくり歩いていく。
沿道に並んだ人々の歓声と共に、色とりどりの祝福の花びらが舞っていた。
「聖女様、ありがとう!」
「勇者様、万歳!」
「世界を救ってくださってありがとう!」
投げかけられる言葉に照れくさくなりながら手を振り返し、シェリアは仲間たちの様子を伺った。
レオンハルトは堂々とした笑みを浮かべて余裕の態度で応えており、まさに勇者そのもの。
フレイヤは魔法で花びらに光を付与して舞わせ、より歓声を増やしていたし、ガレスは得意げにしながらも緊張でたまに手足が同時に出ている。
自分はただの手伝いだ、と固辞したがっていたラナは、シェリアに半分隠れるようにしつつ、おずおずと一緒に歩いてくれていた。
勇者と聖女は高位貴族。
加えて魔法の探求にかまけて世間知らずの魔法使いと、平民出身ながら立身出世したが、細かい気遣いには欠ける王国騎士。
そんな、大半が貴族の、しかも年頃の男女で構成された勇者一行の旅が円滑に進んだのは、ラナの尽力によるものが大きかった。
魔王封印の為の戦力に問題はなくとも、王都を出て旅をする上で、市井を知らない世話役がいないのは死活問題だった。
かと言って、仰々しくぞろぞろと侍女や侍従を連れていけるはずもない。
ラナの親戚は商家を営んでいて、旅商人との付き合いもあり、旅をする上での最低限の知識は持っていたし、伝手もあった為、勇者達に同行するにはうってつけの人材だった。
ガレスは市井のことを知っていても、貴族の実情は知らない。
両方を知り、バランスを取れるラナがいなければかなり危うい旅路だったと一行は深くラナに感謝していた。
市井での買い物も、宿の手配も。
食料の調達や保存方法に、旅で何が必要で、野営とは何をするのか。
衣服の手入れ、地図の見方、馬の世話――例を挙げればきりがない。
高位貴族令嬢として、複数人に世話をされることが当然だったシェリアにとって、救世の旅は困難を極めた。
自分で身支度することも出来なかったシェリアが、簡単にでも一人で服を着れるようになったことが、まず凄いことだ。
他の仲間達も何度ラナに助けられたか知らない。
だからこそラナの献身も知られてほしい、という四人の意志は固く、凱旋式にも同行させた。
居心地悪そうなラナにも、感謝の花弁は振ってくる。
「ありがとうー!!」
老若男女の手のひらが、花びらを空に撒く。
晴れ晴れとした笑顔と共に、陽の光を浴びて降り注ぐ花弁。
それは、とても素敵な光景だった。
シェリアは人々のお礼の声を聞いて、自分達がこの平和を守り抜いたのだと、感慨深く、胸を熱くする。
「聖女様、ありがとう!」
歓声の中で、幼い子どもに花を手渡された。
シェリアに花を一輪渡すと、隣の子がラナにも差し出す。
おずおずと受け取ったラナも、微笑んでいた。
無事に花を手渡せて、どこか誇らしげな子どもたち。
そのきらきらとした瞳が無数の未来を表しているようで、ああ、この目を見るために頑張ったんだと、旅の苦難が自然と思い出された。
聖女に選ばれ、王子妃教育を受けながら同時に国を守る為に働き。
魔王が復活したとの報せを聞いてから、人々の暮らしを守る為に、はじめて王都の外へ出てから、もう三年も経ったのだ。
どれだけ自分が外の世界を、民の暮らしを知らないのかを知った。
良い人もいれば悪い人もいた。
ドレスではない動きやすさを重視した服に身を包むことも、ベッドではない場所に寝ると身体が痛くなることも、身を清めるのは濡れた布で拭うことが普通で、湯浴みなど極稀な贅沢であることも。手づかみで食べる食事への困惑も、草木をかき分けて進むつらさも、魔物の醜悪さも、怪我の痛みも、仲間を喪うかもしれないという恐怖も――全部、知らなかったことだ。
単に魔物や魔王と戦う為の仲間ではなく、野営や狩りはお手の物のガレスがいて、魔法で飲み水の調達や火起こしをしてくれるフレイヤがいて。細々としたことに気を配ってくれるラナがいて。
人でも魔物相手でも、真っ先に表に立って守ろうとしてくれるレオンハルトがいたから、シェリアは頑張ることが出来たのだ。
世界の平和を喜ぶ民からの花びらが、舞う。
いつの間にか、『未来の第二王子妃』より、『聖女』と呼ばれることが増えた。
民からすれば王族の結婚相手よりも、世界を救う聖女の方が身近だからだろう。
帰還を歓迎されるのも嬉しい。
――今のシェリアにとって大切なことが何なのか、こうしているとわかってくる。
「お嬢様。――私は、何があってもお嬢様の味方ですよ」
何かを察したように、唐突にラナがそう言った。
シェリアは瞬きをして、微笑む。
「ありがとう、ラナ」
この日、世界を救った勇者と聖女達の凱旋式に、国中が沸いた。
――そしてその後の宴のことも、まことしやかに囁かれることとなる。
◇◇◇
凱旋式が無事に終わり、今は王城にて、勇者一行を労うための宴が開かれていた。
着飾った人々が集うのは、夜会にも使われる、王城で一番格式高い大広間だ。
高い天井から吊るされた豪奢な照明の魔道具が煌めき、複雑な模様が描かれた床はぴかぴかに磨き上げられている。
真っ白な布が掛けられたテーブルには贅を凝らした様々な料理が並び、色鮮やかな果実や菓子、香り高い酒が惜しげもなく振る舞われていた。
つい先日まで、泥と埃にまみれ、野営の焚き火を囲んでいたのに、雲泥の差だ。
魔王城の前で決戦前に齧ったフレイヤお手製の携帯食料は、栄養は摂れてもお世辞にも美味しいとは思えなかったので、落差が激しい。
「……わぁ、すごい」
シェリアが小さく呟くと、隣にいたラナがくすりと笑った。
「お嬢様、王宮のお料理を楽しみにしていらっしゃいましたものね」
「だって……三年ぶりよ?」
シェリアも小さく笑い返す。
とは言え、毒見の後に提供されているものなので、冷めても美味しいものばかりなのだろう。
期待に胸を高鳴らせながらも――ご馳走を楽しみにしていたのに、どうしてか、野営でレオンハルトが作ってくれたスープの味を思い出してしまった。
『……すまない、皆。私もそろそろできるかと思ったんだ……』
一見素朴な普通のスープ。一口食べた全員が固まったのを見て。
レオンハルトは肩を落としてそう謝った。
何でも卒なくこなす彼のそんな姿は初めて見た。
整った顔立ちの男性がしょんぼりしている姿が、妙に可愛く見えてしまったものだ。
『まあ、ちょっと塩が足りてないだけだろ! ……いや、塩は足りてるか……? なんかこう、癖になる味というか……』
『勇者特有の恩寵とか関係してるのかしら? ただの干し肉と野草のスープよね。独特な味』
『まずいとはっきり言ってくれて構わない……』
『いや、まずくはないぞ!』
『うん。美味しくもないけどね!』
『フレイヤ様! はっきり言い過ぎです!』
『あ、しまった』
ガレスの気遣いをフレイヤが木端微塵にしてラナが慌てる。
レオンハルトはますます身を縮めていて、勇者とは思えない様子に思わず笑ってしまった。
『ふ……ふ、ふふっ。貴方にも苦手なものがあるんですね』
『……シェリア……』
あの時の、情けないようななんとも言えない表情のレオンハルトが、胸の奥にずっと眠っている。
決して味が良いわけではなくても、あれほどあたたかいスープをシェリアは他に知らない。
仲間を思って作ってくれた勇者のスープは、特別だった。
「……懐かしいわ」
きらびやかな宴、社交に耽る人々。
こうして見ると、王都も王城も、何も変わっていないように思えた。
けれど、シェリア自身は確実に以前と同じではない。
「シェリア、ぼーっとしてるけど、大丈夫か?」
向かいからガレスに声をかけられ、シェリアは慌てて顔を上げた。
「え? ああ、ごめんなさい」
「腹減ってるのか? 食え食え。ご馳走がいっぱいだぞ!」
料理を山盛りにした皿を片手に、もりもりと詰め込んでいる騎士は、かなりの健啖家だ。
さくっと口の中に消えていくので見苦しさはない。
「まあ。ガレス、今日は一段と遠慮がないわね」
「三年ぶりの王宮料理だぞ? 遠慮してたら損だろ」
豪快に笑うガレスに、フレイヤも呆れたように肩を竦める。
「あなたは旅の間もずっと食べていたでしょうに」
「野営料理と王宮料理は別物だ!」
そんな二人のやり取りに、シェリアも思わず笑った。
「ほどほどにしておくんだぞ」
「おう! 勇者様も食えよ!」
「わかっているよ、久々の晩餐だからな」
レオンハルトはやれやれと言いたげに優雅にグラスを傾けている。
三年の空白があっても、身に付いた王族としての気品は健在だった。
遠巻きに貴族の女性たちが頬を染めている。
「――レオン様のスープほど、温かくて美味しいものはなさそうですけどね」
「……シェリア……」
困ったように眉が下がる様子が、楽しい。
(本当に、人生でいちばんあたたかいスープだったのだけれど)
シェリアはつい、仲間といると、いつも完璧な勇者様の表情を崩したくなってしまうのだ。
人を困らせて楽しむような性格ではなかったと思うのだが、自分でも不思議だ。
ガレスとフレイヤも愉快そうで、ラナだけが、何故かため息をついていた。
以前なら社交が主目的で料理は二の次だっただろうが、どうしても三年間の不在を埋める気にはなれず、仲間達と料理に舌鼓を打つ。
その間、次々に貴族が集い、祝いの言葉をかけてきた。
魔王を封印した英雄という立場は、思っていたより大きいようだ。
「世界を救った勇者様に乾杯を」
「聖女様の御帰還を祝して」
「我が国の英雄達に、永遠の栄光あれ!」
次々と掲げられる杯と、楽団の奏でる音楽。
様々な駆け引きが入り混じる人々の笑い声。
それはまさに、貴族達の華やかな祝宴だった。
「うへー。平民上がりのくせにって散々見下してた奴らが掌を返す様ってすげぇな」
「ほんとよね。見かけによらず魔法しか取り柄がないとか言ってたのに」
ガレスとフレイヤは白けた目で周囲を見てぼそりと呟き、食事を楽しんでいる。
久しぶりの宴はどこか息が詰まるようだと思っていた所に聞こえた、仲間の普段通りのその言い様。笑いそうになったシェリアは慌てて扇で口元を覆う。
(皆がいてくれて良かったわ)
――暫くのち、広間に王の訪れを報せる声が響き渡った。
国王が王妃を伴い、その後ろに王太子と第二王子が続いている。
アランの顔を見ても、苛立ちは残るが、思ったよりシェリアの胸は落ち着いていた。
王族の入場に、先ほどまで賑わっていた広間はしんと静まりかえり、人々が一斉に礼を取る。
「本日は我が国の英雄達を讃える為に催した宴だ。彼らに感謝を捧げ、大いに楽しむが良い」
広々とした広間に、王の重々しい声が響く。
「――さて、勇者達よ。此度の魔王封印の旅路、まことに大義であった」
王の目線を受けて五人は丁寧に礼を取り、代表してレオンハルトがその言葉を受け止めた。
「勿体ないお言葉を賜り、恐悦至極に存じます」
「ああ、そう改まらなくてもよい。そなたは私の甥であり、世界を救った勇者だ。もはや立場などあってないようなものだろう。皆も楽にせよ」
王がそう述べたことで、ゆっくりと垂れていた頭を上げる。
「ありがとうございます、陛下」
にこ、と微笑んだレオンハルトの麗しさに、人々の心が掴まれたような気がした。
「険しい試練に耐え、世界に平和をもたらしたことを心より感謝する。また、救世の功績に対し王家より褒賞金を与える。そのほか、そなたらが望むものがあれば、何でも遠慮なく申すがよい」
その言葉に、シェリアは目を伏せた。
望むものを、何でもと王は言った。
……自分は、何を願うべきなのだろう。
「――陛下。僭越ながら、聖女を除く私たち四人から、お願いがございます」
レオンハルトがそう言うと、ガレス、フレイヤ、ラナも頷いた。
シェリアは驚きに目を見張る。
「今回の旅で魔王を直接封印し、世界に平和をもたらしたのは聖女シェリアです。我々は多くを望みません。ですから、最も重い責務を果たした彼女の願いを、最優先していただきたいのです」
「……!?」
「今すぐに彼女が決められなくとも、必ず彼女が望む道を進めるよう、陛下の後援を頂けませんか」
「レオンハルト様!? ……みんな……!?」
思わず声を上げたシェリアに対して、仲間達はにこにこと笑っていた。
「――大きく出たな。それが国益を損なうことであっても、か?」
王がレオンハルトを睥睨する。
「これまで彼女は、この国と民の為に十分尽くして参りました。世界を救った献身に見合うのは、本人の心からの望みを叶えることかと」
「ほう。……代わりにそなた達の願いが叶わなくなってもか?」
レオンハルトは穏やかに笑った。
「ええ。それが我らの総意ですから」
決して譲らぬその瞳に、王はため息をついた。
そして、少し離れた所にいる人物――王弟へと目をやる。
王弟は素知らぬ顔で我関せずを貫いていた。
「……息子がこう言ってるが、どう思う?」
「どうもこうも、本人に任せておりますので」
「……強情っぷりは父親似か」
さらっと答え、それ以上は何も言わない弟と、真っ直ぐな目の甥に、王は再度嘆息した。
「……よかろう。聖女の望みを最大限叶えると約束する。だがそれだけでは示しがつくまい。他の者たちも、後で希望を聞こう。ただし、聖女の後に行き過ぎた願いは聞かんぞ」
「はい、構いません」
きっぱりと頷く四人。
王は気持ちを切り替えるように、シェリアを見た。
「それでは……聖女シェリア。そなたの望みは何だ?」
シェリアは動揺して、返事が遅れてしまった。
「……はい、陛下。私は……」
仲間達は何を思って、あんなことを言ったのだろう。
ガレスは平民出身が苦労しない為の道を作りたい、フレイヤは王家の貴重な魔法書を見たいとか、旅の終わりに言っていたのに。
(ああ、でも――)
レオンハルトとラナは、旅が終わったらどうしたいのかを、ずっとシェリアに聞いていた。
思えばあの時から、皆で密かに話していたのだろうか。
仲間達の想いに、ぐっと胸がつまる。
「……私の、願いは……」
三年前なら、国のため民のため、アランのためになる答えを、迷うことなく口にしただろう。
それか、皆平等に願いを叶えてほしいと言ったはずだ。
王子妃として恥じない自分になるために。
けれど、今は――。
仲間達の心遣いが何より嬉しくて、無碍に出来ない。
でも、何を願えばいいのか。
「……もし決まっておらぬなら、勇者の言うとおり、今すぐでなくても良いだろう」
シェリアの逡巡が伝わったのか、王はそう言った。
「その、私は――」
口を開いたその時。
「お待ちください父上!」
突如として王の近くに控えていた第二王子、アランが声を上げた。
隣にいた王太子が厳しい目線を向けているが、全く気付いた様子もない。
「――何だ。公の場だぞ、陛下と呼べ。せっかくの宴に水を差すような真似をするな」
「ですが、シェリアに褒美を与える前に、申し上げておきたいことがございます!」
王の声が一段と重くなったというのに、アランは気にも留めない。
「……何だ」
「俺はヒール子爵家のリリアと、真実の愛に目覚めました!」
その言葉に、広間がざわめいた。
シェリアも啞然としてしまう。
この場で、しかも今言うことではない。
そこまで考え無しだったろうかと眉を顰めて、はたと、気付く。
もしや、アランは私がそのまま第二王子妃の座を望むと思っているのでは。
「婚約は解消するとシェリアにも伝えました! 彼女が何と言おうとも、俺はこの愛を貫き通します!」
やはり、と額をおさえたくなった。
補償の話をしたことで、シェリアが婚約を取りやめることに反対なのだと曲解したのだろう。アランの隣を惜しんで、王に婚約の続行を願い出ると思っているに違いない。
アランはそういう人間だということを失念していた。
覚えていたからといって、アランの思考はシェリアには及ばぬものなので、軌道修正は出来なかっただろうけれど。
「黙れ、アラン」
王太子の低い声が飛んだ。
「この目出度い場で何を言っている」
「兄上、俺は――」
「黙れと言っている!」
「いいえ、黙りません! シェリアとの婚約は解消します!」
――しん、と場が静まり返った。
「……アラン様……」
可憐な声だけが、喜びに満ちていた。
いつの間にか貴族たちの間から姿を現していたリリアが、頬を染めて淑やかに立っている。
「ああ、リリア。こちらにおいで」
アランが手招き、リリアはその側に侍る。
「確かに聖女として世界を救ったことに対する感謝の気持ちはありますが、この一年支えてくれたのはリリアです。まだ若く美しいリリアこそが、第二王子である私の妃として相応しい!」
「まあ、アラン様……嬉しいです」
「リリア……」
見つめ合う二人。
貴族の間にざわめきが広がった。
――確かに聖女はもう二十を過ぎているが……。
――だがまだ二十一だろう。
――聖女との仲は元々良くなかったな。
――第二王子と子爵令嬢が仲睦まじいのは本当だったのか。
――しかしこんな時に聖女を選ばないとは……。
「おねえさま。おねえさまとアラン様は恋仲ではなかったのでしょう? 先日は申しそびれましたが、私とアラン様は心から愛し合っているのです。どうか祝福して頂けませんか?」
皆が言葉を失っている内に、リリアはそう言った。
「――ヒール子爵令嬢……」
思わず呼んでしまうと、リリアは目を丸くする。
「まあ、名前で呼んでくださいな。私とおねえさまの仲ではありませんか」
そういう問題ではないし、どんな仲だというのか。仲良くもない従姉妹という関係でしかない。
ここがどこだか分かっているのかと叱りたくなったが、王の御前だ。
シェリアは口を結んだ。
「――アラン。その言葉、責任を取れるのだろうな」
王ではなく、苦虫を噛み潰したような顔で王太子が言った。
「はい! 勿論です!」
「――陛下。弟が御前にて大変失礼致しました。英雄達の祝いの場に当てられて、少々気が大きくなりすぎたようです。この場を失礼させてもよろしいでしょうか」
「兄上!?」
「――いや。第二王子はそのままに、発言を控えよ。……聖女シェリア。そなたの婚約者はああ言っているが、そなたはどうしたい?」
王に尋ねられ、シェリアは思わず見返してしまった。
直接視線を合わせることは不敬だと、いつも少し目線を落としていたのに。
王が何を望んでいるかを考え、どう振る舞うべきか。
それを考えるより前に、言葉が口をついて出る。
「――陛下。先ほどお答えしようと思っておりましたが、私の願いは、自由になることです」
それは思ったよりも、遠くにまで届く声だった。
決して大きくはないのに、シェリアの決意が伝わるような。
言ってから、改めてその答えがすとんと胸に落ちた。
そうだ。自分は自由になりたいのだ。
満点の星空の下、立場も身分も越えて仲間達と笑い合った日のように。
「第二王子殿下との婚約解消は、慎んで承ります。ですが、今まで費やしてきた時間の補償は頂きたいです」
「……それは、金銭的なものか。新しい縁組か?」
立場の補償、金銭の補償。はじめはそれも考えた。けれど。
「いいえ。私の望みは、もう二度と、第二王子殿下にも、ヒール子爵令嬢にも私と関わって頂きたくないということです。また、お二人には民の見本となるべく努力して頂きたく存じます」
「……は?」
ぽかんとアランが口を開けた。
(世界を救った報奨金を頂けるなら、賠償をもらう必要はないもの。民の負担が大きくなるだけ)
にっこりとシェリアは微笑んだ。
「今まで私は、慎ましく勤勉であれ、民のために努めよと言われて参りました。第二王子殿下にはその言葉の通り、勉学と政務に責任を持って励んで頂きたく存じます。それに殿下が仰るには、ヒール子爵令嬢に聖女の兆しを見いだしていらっしゃるようですから、神殿で資格を確認していただければ、聖女のお勤めも同時に行っていただけるのではないでしょうか」
私が行ってきたことをそのまま引き継いで頂ければよろしいかと、と言うと、王は瞳に憂いを落とした。
「……そうか……」
「はい。陛下、自分で申し上げるのもはしたないことですが、私は幼い頃からこれまで、人の為に努力して参りました。これからは――何をするにも、自分で道を決め、進んで参りたいのです。何をして、何をしないのか、そのすべてを自分で自由に決めていきたい、それが私の望みです。詳しくは後ほど、書面にしたためてもよろしいですか?」
ある意味、究極の贅沢だと思う。
アランと婚約を解消しても、今まで王子妃教育を受けてきた為に、王家に何かと違う意味で縛り付けられる心配をしていた。
側室になれとか、教育係になれとか、王家に都合の良い相手との縁組をして囲い込まれるだとか。
王の名のもとに、煩わしいこと全てから逃れられるのであれば、それが一番良い。
実家を出て暮らすのも良いだろう。
「――あいわかった。第二王子との婚約は解消とし、聖女シェリアの希望通りにしよう。……第二王子、ヒール子爵令嬢。そなたらには再度の教育と、民への奉仕を課す。決して投げ出すことは許さぬ」
「ち、父上!? それは!」
「まあ! 良かったですわね、アラン様! おねえさまにも王様にも私たちのことを認めて頂けて! おねえさま、ありがとうございます!」
「リリア!? いや、そこじゃなくてだな!」
「……陛下。もう私はお二人と言葉を交わしたくありません。どうぞ末永い幸せをお祈りしております」
「し、シェリア、待て! それは――」
アランが慌てているが、黙殺して、シェリアは彼らをいない者のように目を合わせなかった。
「……場を乱した第二王子とヒール子爵令嬢は退室せよ。今後のことは追って伝える」
「父上!」
「――まずはこのような場での相応しい振る舞いを身につけることから学び直せ。……連れて行け」
何か喚きながらアランとリリアが退室していく。
これからアランは、今まで逃げ回ってきたツケの全てが己に降ってくる。
三年間どうしていたのか知らないが、シェリアがいた間は回されていた第二王子としての執務も自分でこなさなければならない。
社交も、外交も、何もかも勉強し直し、雁字搦めの日程を送るのだ。
今のようにシェリアが会いたくないと言えば、同じ社交場に出ることも許されない。
それに耐えられるのだろうか。
王もそれを懸念しているのだろう。
成り行きを見守っていた王妃も、平静を保ってはいるが、狼狽が透けて見える。
(真実の愛があるのなら、頑張っていただきたいわ)
シェリアとの間にはなかった愛のために。
――ふと、視界の端に、父と兄の姿をとらえた。
とても久しぶりに見た二人は、思ったより小さく感じた。
(レオンハルト様もガレスも逞しいし、旅の間で頼れる男性をたくさん見たからかしら)
父はいつもの無表情で、兄は何か言いたげに見えるが、これからはあまり関わることはないだろう。
すっと視線をそらす。
実家とも距離を置くつもりだ。
昔から、シェリアの味方になってくれなかった人達とは、これからも親しくなれる気はしないので、母方の家系とも関わりたくない。
先ほど連れて行かれたリリアは、『何故退室させられるのだろう』と考えていそうだったが、勉学の成績が良いとは聞かない。
アランと同じで、やりたくないといえばそれで済まされていた。また、聖女の力を持っているとされたこともない。
あの二人の今後は、何となく見えていた。
「みな、愚息が心配をかけたな。では残る四人の望みを聞こう」
「陛下、私は最後にお願いします」
レオンハルトが言った。
「……そうか。わかった」
王が頷き、他の三人から希望を聞く。
ガレスは一代限りの爵位を与えられると共に、身分に関係なく登用できる騎士団の部隊長を任せられた。本当は騎士団長を勧められたが、向いてませんと朗らかに断っていて、レオンハルトが間を取り持った。
フレイヤも筆頭宮廷魔法使いに任ぜられたが、まだまだ若輩者なので、次期でお願いしますと躱して、研究職の魔法使いの地位向上と、王宮の魔法書の閲覧権を得ていた。
ラナは、「侯爵家ではなく、シェリア個人の使用人になること」を希望した。魔王封印に直接関わっているとは言い難く、大それた願いもないと。
「ラナ……」
「お嬢様が何を選ばれるとしても、私はどこまでもお供します」
給金は王家から、とはきっちりしていた。
最後に、笑って仲間達の願いを聞いていたレオンハルトの番になる。
彼は――何故かとても、柔らかな瞳で、シェリアを見ていた。
(う……レオン様、顔が良いのだから、あんまりじっと見ないでほしいわ)
旅の間も何度か見惚れてしまったくらい、レオンハルトは魅力的な男性なのだ。
仲間思いで、優しくて、頼りになる人。どこに行っても老若男女を魅了していた。
そういえば、王弟の子息なのに、どうして今まで婚約者がいないのだろう。
自分のことで精一杯だったシェリアは、その理由を知らない。
仲間達が聞いた時もはぐらかしていた。
「――では、勇者レオンハルト。そなたの願いはなんだ?」
「はい、陛下。私は、婚姻の自由を望みます」
「……なんと……」
「家は弟妹がおりますし、父には許可を得ております」
「……聞いておらんぞ」
じろりと見られた王弟はさらっと答えた。
「聞かれませんでしたので」
「お前……勇者がもし他国にでも渡れば……」
「それもまた彼らの選択でしょう。あまり締め付けると全員出ていってしまいかねませんし」
「……それもそうだが……」
「陛下。それからもう一つ、お願いがございます」
伯父と父の会話が途切れたところで、爽やかにレオンハルトは言った。
「聖女シェリアへの求婚の申し出は、まず私を通して頂きたいです」
ざわり、と場が揺れた。
「……え?」
シェリアは瞬きを繰り返す。
意味が頭に入ってこない。
「それは聖女が決めることではないか?」
「ええ、受けるか断るかはシェリアが決めることでしょう。ですが、私が一番に求婚するので、他の求婚者には私がまず受けて立つと表明したくて」
「………!?」
「……聖女が良いなら、それでよい」
「ありがとうございます」
(え? え? ……え?)
困惑している間に、レオンハルトはシェリアの前までやってきた。
そして、勇者の正装の外套を優雅に翻して、静かに跪く。
とろりと、その目が甘く溶けた。
「婚約が解消になったばかりでこんなことを言うのはどうかと思うが、ずっと我慢していたんだ。聞くだけ、聞いてほしい」
「レオン様……」
「――シェリア。君を愛している。どうか私に、君の側にいる権利をくれないか」
腰の聖剣がきらりと光った。
眉目秀麗、勇猛果敢。
魔王に一歩も臆せず立ち向かい、魔王封印の偉業を成し遂げた当代の勇者が、目の前で跪き、自分の愛を乞うている。
――まるで物語の中の一節のようだ。
シェリアはただひたすらに、困惑していた。
「あの、でも、そんな素振り、今まで一度も――」
「君には婚約者がいただろう。君の名誉を傷つけないように気をつけていた」
「………」
「返事はまだ、ゆっくり考えてほしい。断ってくれても構わない。ただ、君を想うことだけは許してくれないか」
「……それは……」
懇願する瞳に、押し負けた。
「……お返事は、もう少しお互いを知り合ってからにいたします」
三年も旅を同じくしておいて何を言うのだと言う所だが。
「ああ。今はそれで大丈夫だ」
嬉しそうに笑うレオンハルトの表情が、何と言うか甘い。
今までの仲間を見る目線と違いすぎる。
困惑している間に、王がいつの間にか宴の続きを宣言して、楽団の演奏が舞踏曲に移り変わり、あれよあれよと言う間に、レオンハルトに手を取られて広間の中央でダンスを踊っていた。
丁寧で、優雅で、それでいて――情熱的なダンスだった。
レオンハルトはとてもリードが上手い。
今まで、独り善がりなアランと義務的に踊っていたものとは、全然違っていた。
「シェリア、ダンスが以前よりもっと綺麗になったな」
「旅で筋肉がついたんでしょうね。ステップを忘れてなくて良かったです。……レオンハルト様は、前と何か違います」
何度か社交の一環でレオンハルトとも踊ったことはあった。
けれどその時とは明らかに異なる熱を感じる。
「ああ、前は君への想いが出ないようにしていたから。今は――」
くるりと腰を抱かれて、ターンした。
きらきらと照明のように明るく、レオンハルトが笑う。
「シェリアが自由になって浮かれているし、好きな人を誰よりも魅力的に見せたい気持ちが強いから」
(あ、あ、あまーい!)
誰これ、である。
そのままレオンハルトは二曲続けてシェリアと踊った。
他のダンスの誘いはレオンハルトが威嚇していたため、誰とも踊れなかった。
「……レオン様……」
「すまない。でも、私に挑む気持ちがない相手に恋敵は務まらない」
「この年になって、そんなに求婚してくる方なんて……」
「救世の聖女なのだから、年下から年上まで縁談は山のように来るさ」
「そう、でしょうか」
「シェリアは綺麗で可愛くてかっこいいからな」
「……褒めすぎです……」
頭から湯気が出そうだ。
扇に顔を隠す。
この扇は今日とてもよく頑張っている。
繋いでいた手の大きさも、触れた温もりも、大きな背中も――旅の間、誰よりも頼れる勇者だった人が、この短時間で、違う男の人に見える。
どきどきと胸がうるさい。
(ああもう、私、自由に生きるって決めたのに……)
どうしてこうも、レオンハルトから目が離せないのか。
――聖女が勇者に心を囚われる日は、遠くはなさそうだと、その様子を見て仲間達は思っていた。
何なら旅の間からずっと、彼らの心は一つだった。
はやくくっつけばいいのに、この二人、と。
「……お嬢様、好きな相手に意地悪したくなるタイプなの、無自覚なんだから……」
「ラナはほんとにシェリア一筋だなー。俺も見てほしい」
「冗談もほどほどにしてください」
「あはは、またガレスが振られてる」
世界を救った勇者一行は、それからも仲良く過ごしたのだった。
◇ ◇ ◇
「リリア! また授業に身が入っていないと俺に苦情が来たぞ……!」
アランにそう言われて、リリアは首を傾げた。
「だって、難しくてわからないんだもの」
「そんなことを言っても……!」
「アラン様は、私は私のままでいいと仰っていたでしょう? 難しいお勉強なんてわからないわ。聖女の力もあるとのことだし良かったじゃない」
リリアはにこにこと微笑む。
聖女の力が微々たるもので役に立たないとされても関係ない。
リリアはリリアであればよくて、聖女の力まで持っているのだから。
子どもの頃夢見ていた王子様と結ばれたのだから。
「リリア……」
どうしてアランは青ざめているのだろう。
「アラン様。具合が悪いのではなくて? 休んだ方がよろしいわ」
「……そうかもしれないな……」
アランはその時になって、自身の選択を悔やんだ。シェリアが旅に出てから、リリアと関係を結んでしまった。熱に浮かされたように夢中になった。一生今のまま、楽しく暮らしていけると思っていたのに――現実はそう甘くはなかった。
誰も彼も厳しくなり、朝から晩まで自由な時間などない。
リリアと婚姻を結ぶことは書類上では許されたが、式は参列者のいない、既製品の質素な衣装を着たあまりにも慎ましいもの。二人で国益に足る成果をあげれば改めて執り行うと言われたが、今の状況では望めないだろう。
母である王妃に泣きついたが、すぐに王にばれて面会もままならなくなった。子どもがいるかもしれないと婚姻が早まったが、今の所その兆しはない。
こんなことなら、シェリアに全て丸投げしていた方が良かった。
そう思っても後の祭り。
何も変わるつもりのない妻とこれから先の未来が描けず、アランはひとり、こんなはずじゃなかったと日々嘆くのだった。
◇ ◇ ◇
――王城の庭園で、幼い少女が泣いている。
どうしたのかと声をかけると、何でもないと目元をぬぐう。
そんなことが何度かあった。
辛く、悲しくとも、唇を引き結んで耐え、前を向くその姿はあまりに気高く綺麗に見えた。
「――君が自由に泣ける場所になりたいと思ったんだ」
「え? 何ですか?」
ぽつりと昔を思い出しながらレオンハルトが呟いた声に、シェリアが振り向く。
「いいや。……シェリアは案外泣き虫なんだな」
ハンカチを差し出せば、彼の愛しい人は頬を染めた。
「そんなこと! ……だって、感動的だったじゃありませんか」
「そうだな」
やっとこぎ着けた二人での外出先は、シェリアが見てみたかったという観劇だった。正直レオンハルトには理解し難い悲恋ものだったが、シェリアはぼろぼろ泣いていた。
抱き締めたら怒るだろうか、と考えて、紳士的な振る舞いに留めているが、いつもより距離は少し近くなってしまっている。
劇のどこが面白かった、切なかったと語る声に相槌を打つ。
求婚してから、もう半年ほど経った。
シェリアの希望で仲間達と、魔王封印の旅の時に行けなかった街に訪れたり、祭りに参加したり、何故かスープを作らせられたりと、慌ただしくも充実した日々を送っている。
何かと求愛は続け、そろそろ絆されて来てくれたかなとは思うのだが、未だ関係が動く兆しはない。
レオンハルトは長期戦を覚悟しているので構わないが。
「……レオン様。もし、私が国外に行きたいと行ったらどうしますか?」
「どこに行く?」
「……もう、それでも王族ですか?」
「いつでも籍は抜けるようにしてある」
「そんな簡単に……」
はあ、とシェリアは息を一つ吐いた。
観劇の帰り道。
高台から見下ろす街明かりが綺麗なのだと聞いて、その通りにしていた時のことだった。
魔道具の明かりがそこかしこの家の窓から見えていて、確かに綺麗だ。
「シェリア。私が言えたことではないが……こんな暗い中、男と二人きりになるのは良くない」
「ええ……レオン様といたら、世界一安心じゃないですか」
「………」
それは褒めているのか、男とみなされていないのか。
「それに、その……他の人とは、二人になったりしません」
シェリアの頬が、街灯の光に照らされているからではなく、赤く見えた。
「レオン様は……もし、私が気持ちに応えられなかったら、どうしますか?」
「どうもしない」
きっぱりとレオンハルトは言った。
「私は君しかいらないから、生涯独身だろうな」
「……私が他の人を選んでも?」
「まあ、相手と決闘はするかもしれないが」
「勇者に勝てる人なんていませんよっ!」
「私だったら相手が勇者でも、死ぬ気で挑むが?」
「ああもう……」
はあ、とまたシェリアはため息をついた。
「もう。降参です。仕方ないから……私がレオン様をもらってさしあげます」
「は」
レオンハルトは目を丸くして口を半開きにした。
「……本当に?」
「こんな冗談は言いません。絆されてあげました」
少し意地悪げに、ツンと救世の聖女は言った。
勇者レオンハルトは――そんな彼女を抱え上げて、くるくると回る。
「きゃあ!」
「ははは! やった! ――やっぱり嫌だと言っても、絶対に離さない!」
「もう、そんなこと言いません!」
三度、シェリアを抱えたまま喜びのあまり回って、レオンハルトは優しく彼女を降ろした。
「――シェリア嬢。私と結婚していただけますか」
いつかの再現のように、勇者は跪く。
「――はい。喜んで」
自由を得た聖女は、勇者の元へ歩み寄った。
「……その、好きです……よ」
ごにょごにょと呟くシェリアは、かつて王子妃として教育を受けていた時よりも随分と感情表現が随分と豊かになった。公式の場では完璧な淑女なので、シェリアが仲間内にだけ見せてくれる素の表情がとても嬉しい。
彼女がのびのびと過ごしている様を見るのが、レオンハルトは一等好きだ。
「ありがとう」
二つの影が重なる。
空の星と地上の光が、彼らを祝福するように輝いていた。
これは、世界を救って帰った聖女が、婚約者に裏切られ、自由を手に入れた結果――何故か勇者に溺愛され、それを受け入れて共に幸せになる物語。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
努力し続けた聖女が自分の人生を自分で選び、最後には大切な人と幸せになるお話でした。聖杖で殴り損ねたけど心理的にはスッキリしたようです。リリアというプチホラーを添えて。
少しでも楽しんでいただけましたら幸いです。
面白かった、好きだったと思っていただけましたら、評価や感想などいただけるととても嬉しいです。
最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました!
追記
子どもができないのは呪ごにょごにょ
勇者と王太子は仲良し?なのでこの後国はまあまあ落ち着きます
娘ちゃんラブな苦労人王太子に幸あれ




