前編
私の、努力は。
私の想いは、こんな形であっさりと、無かったことにされるのか。
「すまない、シェリア。俺は真に愛する人を見つけてしまったんだ……!」
「申し訳ございません、おねえさま……」
――私は、何を見せられているのだろう。
シェリアはただ、呆然と瞬きを繰り返した。
世界を脅かす魔王を封印するため、聖女として勇者一行に同行することを国から命じられて、三年。
シェリアは二十一歳となっていた。
花の乙女の時間を費やしてしまったものの、勇者達と共に死闘を繰り広げた末に魔王を封印し、世界を救ったことに誇りをもっていた。
やっと祖国への帰還を果たし、これで婚約者の王子と結婚することになるだろう、と思っていたのに。
帰って早々、婚約者と従妹が逢引している場面に遭遇したのだ。
――わけが分からなかった。
◇ ◇ ◇
三年ぶりに踏んだ王都の地は、魔王封印の報せに安堵し、賑やかさを取り戻しているようだった。
帰還の報告は内々に済ませられ、改めて身形と場を整えてから、と言われたが、それは理解できることだった。
何しろ、三年も旅をしてきたのだ。
魔王封印と帰還の報せは予め出していたけれど、旅装そのままでは、謁見にふさわしい格好ではない。
明日改めて、英雄として王都の大通りで凱旋式を行い、王直々に褒賞を与えられる宴が催されるそうで。
旅から戻ったばかりの今日は、心身を休め英気を養うようにと、王宮に滞在することになった。
そこで、婚約者に会いに行かなければと思ったものの、周囲にやんわりと止められた。
まずはお召し替えを、と。
それはそうだ。
婚約者に挨拶に行くにも、身形を整えるのは礼儀だろう。
何せシェリアの婚約者は、この国の第二王子なのだから。
「ふぅ……」
久しぶりに侍女達によって、湯船で全身をぴかぴかに磨かれ、髪を丁寧に櫛られ、肌を整えられて、あまりの心地よさに眠りそうになってしまった。
野営の辛さや魔物の脅威にさらされていた日々とは違い、なんて穏やかな過ごし方だろうか。
次期第二王子妃として与えられていた部屋は、以前と何ら変わっていなかった。
旅装束ではない、ゆったりとしたドレスに身を包む。
身支度を整えられた自分は、久しぶりに貴族の令嬢らしさを取り戻していた。
「随分と繊細なレースね」
「このところ、国の女性達は内職が捗りまして、レース編みが流行っているのです。こちらは僭越ながら、お嬢様のご無事を祈って私達が編みました。お気に召して頂けたら幸いです」
「まあ……! ありがとう。とっても嬉しいわ」
実家から来てくれていた侍女にそう言われて、シェリアは嬉しくなった。
ご無事にお戻りになられて良かったです、と口々に言われ、照れくさくなる。
そっと、至る所にさりげなく取り入れられたレースに触れた。
白と淡い緑の濃淡が美しい、落ち着いた上品なドレスだ。
魔王の脅威にさらされていた間は、人々も室内にこもる時間が増えていたのだろう。
美しい網目の一つ一つに、日常を取り戻す為の侍女たちの祈りが込められているようで、それに応えることができて良かったという思いで胸がいっぱいになる。
――長く険しい旅を乗り越えた意味が、確かにあったのだと。
「サイズが合って良かったわ。旅の中に変わっていたらどうしようと思っていたの」
「さぞ過酷な旅でいらしたのでしょう……少しお痩せになりましたね。ですが、以前よりしなやかになられたように思います」
「筋力がついたんでしょうね……きっと前より上手に踊れるわ」
片目を瞑るシェリアに、馴染みの侍女は驚いたように目を見張り、微笑んだ。
以前はこんなやりとりは少なかったけれど、旅の間、仲間達と接する中で、随分と砕けてしまったのだ。
王子妃教育を受け直さなければならないかもしれない。
けれど今の自分の方が、シェリアは好きだった。
多少の茶目っ気がある方が、人間関係はうまくいくのだと、仲間達から教わっていたから。
「軽食を用意してございます。必要なものがあれば何なりとお申し付けください」
「ええ、ありがとう」
そうして並べられた、香りのよい紅茶と色とりどりの菓子に、はしたなくも目の色を変えてしまった。
旅の間は決して得られず恋しかった贅沢に、心が弾んだ。
王宮の料理が食べられると、夕食も今から楽しみでならない。
(まあ、出来ればあたたかい方が良いけれど、野営料理とは違った良さがあるわよね)
旅の間、仲間たちと囲んだ素朴な煮込み料理の味を思い出す。
旅が始まった当初、子どもの頃ぶりに、あたたかいものを食べたことで食べ頃を見誤り、舌を火傷して心配されたことが懐かしい。
王宮では立場上、毒見の後の食事となるので、どうしても冷めたものになるのは仕方ないが、味付けや食材に関しては文句のつけようもないはずだ。
そうして、甘味と紅茶を堪能し一息ついた所で、王家の侍従がやってきて、ようやく婚約者の王子の元へ向かうこととなった。
王子の居室近くで侍従と別れ、歩き出してすぐ――途中の庭園で、婚約者と母方の従妹が熱烈に抱き合い、口付けまで交わしている姿を目撃したのだった。
流石に何が起きているのか理解できなかった。
「え?」
と、思わず声を上げたシェリアに気づいた二人は顔色を変え、一度は離れたが。
――意を決したように、改めて王子は従妹の腰を抱き、堂々と冒頭の陳腐な物語のような台詞を吐いたのだ。
「すまない、シェリア。俺は真に愛する人を見つけてしまったんだ……!」
「申し訳ございません、おねえさま……」
王子は従妹を少し庇うようにしているし、従妹は涙ぐみながら相手を頼る仕草をしている。
「……お二人が、そのような関係とは存じ上げませんでした」
呆然としたのち、低く押し殺した声で返す。
何だかこれでは、こちらが悪者のようではないか。
当然ながら王子の元へ伺うと先触れは出して、案内された。
来るとわかっていてこれなのだから、見せびらかしたかったとしか思えない。
沸々と怒りがわき上がってきて、拳を握る。扇子がみしりと音を立てた。
どうも三年間貴族生活から離れていたせいで、肉体的言語を繰り出しそうでよろしくない。
淑女にあるまじき行動だ。
けれど、魔王封印だなんて大義を成し遂げた婚約者に対して、あまりの不義理だ。手を上げたくもなるだろう。
(……なるほど、王子の元へ行かないとと言ってから、侍女たちが支度に時間がかかったり、お茶を勧められたり、案内してくれた侍従や兵士達の視線がどこか気まずそうだったのは――こういうことだったの)
婚約者の不貞現場は、不特定多数の人間が行き交う回廊の近くだった。
つまりは公然の秘密だったのだろう。
「その、お前が旅立ってから、リリアが何かと気を配ってくれてな……」
「私はただ、お一人でいらっしゃる殿下を、お支えしなければと思ったのですっ……」
「リリアはまだ若く愛らしいし、俺を立てて慰めてくれた。お前はいつ帰ってくるかもわからなかったし――」
「……それで、従妹に心変わりされたと」
瞳を潤ませる従妹、リリア。
言い訳がましい王子、アラン。
二人を見るシェリアの目は、氷のように冷たかった。
「だからすまないと言っただろう。それに、心変わりも何も、俺は最初からお前のことは気に食わなかったんだ」
「……へえ……『妖精のようで俺に相応しい』と昔は仰っていましたよね?」
「それは子どもの頃の話だろう!」
アランは顔を真っ赤にして怒っている。
シェリアだってわかっていた。
アランは熱しやすく冷めやすく、人より優位に立つのが好きなのだ。
初対面でシェリアの外見を気に入って纏わりついていたものの、自分より優れている所があるのがわかると、途端に邪険にしてこき下ろし、身分を盾に従えようとしてばかりいた。
そんな相手に、恋などしていない。
けれど。
「おねえさま、ごめんなさい。私がアラン様をお慕いしてしまったばっかりに……。――でも、名高い聖女のおねえさまなら、許してくださいますよね?」
うるうると大きな目を潤ませて、上目遣いでリリアが甘えたように言う。
その声に悪意があればまだ良かった。
彼女は本気で言っているのだ。悪気など一欠片もない。
(変わってないわね……)
リリア・ヒール子爵令嬢は、シェリアの母の妹の娘で、はちみつ色のふわふわした髪と桃色の瞳をした非常に愛らしい少女だ。
子どもの頃から、『おねえさまがうらやましいわ』と頬を膨らませ人のものを悪意なく欲しがってばかり。
甘え上手で、見た目も相まって周囲の大人が可愛がるので、シェリアが譲らざるを得ず、『ありがとうおねえさま!』と無邪気に笑う――リリアはそんな娘だった。
シェリアより四歳下の彼女は、確か今年十七歳。昨年デビュタントを終えたばかりのはず。王子とは六歳差にあたる。
社交界に出て一年程だろうに、随分と従姉の婚約者と親密になったものだ。
年齢的にはまだギリギリおかしくないのかもしれないが、いかにも少女趣味な可愛らしいドレスを着て、あまり上品さを感じない装いでいることも、昔とほとんど変わっていない。
家の爵位も異なる上、さほど仲が良いわけではない。
姉ではないのだから、おねえさま、と呼ぶのはやめてほしいと何度も言ったのに、それも変わっていない。
今回はお菓子や装飾品の話ではないのに、リリアの中身は相変わらず成長していないらしい。
けれど、昔からリリアは世渡りが上手く、相手をおだて自分の思い通りに事を進めるのが得意なのだ。
おおかた、アランの自尊心を大いに刺激して調子に乗らせ、恋人におさまったと言う所だろう。
リリアの頭に、子爵家では到底購えない大粒の宝石があしらわれた髪飾りが見える。ドレスの素材も一級品だ。
(……王子の私費から、なら大目に見られるかしら……?)
アランの性格上、ここ数年積み立てられているはずの、第二王子妃の予算から出ていそうだが。
ため息をつくのをぐっと堪えて、シェリアは冷静になるよう努めた。
「……それで、王子はどうなさるおつもりなのですか?」
リリアのことは一旦無視して尋ねれば、アランは眉を顰めた。
「お前、リリアの話を聞いているのか?」
「ええ。ですが、私は王子にお伺いしたいのです。私との婚約はどうされるおつもりなのかと」
「そんなものはもちろん、解消に決まっている!」
(……解消、ね)
誰かに入れ知恵されたのだろう。
てっきり婚約破棄と言い出すかと思った。
この場合、不貞を働いたほうが不利なのは明らかで、ましてや王家側から求められた婚姻だ。アランからの破棄は立場が逆転する可能性があると、言い含められたのだろう。
おそらく――王か王妃あたりに。
それほど彼らの関係は露骨だったのだろうと、こめかみが痛くなる。
(婚約解消……それが意味する所を、この二人は理解していないのかしら……)
シェリアから婚約破棄を突き付けたい所だが、議会が台頭してきていても、まだ王族の権力の方が強いこの国では、立場的に難しい。
別に、シェリアはアランを愛しているわけではない。
けれど、アランとの婚約がなくなれば、二十を過ぎたシェリアがこの先結婚相手を探すのは、至難の業だ。
それに、いくらシェリアに瑕疵がなくても、王族に婚約解消された相手を、誰がわざわざ選んでくれるだろうか。
貴族の子女のデビュタントは十六歳。
同年代は大半がもう婚約者がいるか、結婚しているだろう。
シェリアも魔王封印に向かわなければ、王立学園の卒業と共にアランと婚姻を結んでいたはずだった。
魔王が復活したのが学園の卒業半年前のこと。
この国には、魔に対抗し癒しの術を使う聖女が数名存在しているが、その時、勇者達と魔王を封印する程の力を持つ聖女がシェリアしかいなかった為に、式が延期になり、今に至る。
そもそも王族が、魔王を封印した聖女と婚約を解消して、別の令嬢と結ばれる――それは、民から歓迎されることなのだろうか。いくら王族の権威が強いといっても。
「――婚約がなくなったとして、王家は私にどう補償してくださるのですか?」
「補償? 何をだ?」
きょとんとした姿に頭痛がした。
本気でわかっていないのだろう。
「この三年の分は別にしましても、八つの時に婚約してから、十年――王子妃教育に費やしてきた私の時間を、どう償ってくださるのかと」
――先程の言い草。
おそらくこの三年、いつシェリアが死んでもおかしくないと、王家が保険を掛けていた可能性がある。
そうでなければ、簡単に子爵令嬢のリリアがアランと接触できるとは思えない。
婚約を破棄ではなく解消にすれば、慰謝料を払わないでいいとでも思っているのだろうか。
(私が死ぬ前提で、新しい王子妃候補を見繕っていたら、リリアが引っかかったって所かしら)
特に王妃は、アランに甘い所がある。
魔王を封印するのは聖女の役目だが、危険が伴う旅だ。
確かに死を覚悟することもあったが、何度も死線を乗り越えて帰ってきたというのに、ひどい仕打ちをする。
――三年も、待てなかったとは。
「はっ、それがお前の本心か。やはり俺のことなど、どうでも良かったのだろう」
「……はい?」
「泣きもせず、そんなことを言うとは。お前ときたら、昔から俺にあれをしてはいけない、これをしなければと指図ばかり。王子妃という立場が欲しかっただけで、俺の気持ちなど考えもしなかった」
「………」
「図星だろう!」
何が図星だこの阿呆。
元々それが求められていた役割だ。
聖杖で脳天かち割ってやろうか。
(……不敬罪で牢屋行きだわ。落ち着かなきゃ)
ぎり、と扇が悲鳴を上げそうなほど握りしめるだけで、何とか気持ちを落ち着かせる。
何とか平静を保っているものの、仲間の言葉を借りれば血管がブチギレそうだった。
以前ならアランの無礼さにも慣れたもので、もうすこし淑やかに脳内で罵るに留めただろう。
旅で随分と思考が物騒になったものだ。
そもそも聖杖は今部屋にあるし、手を出したらシェリアの立場が悪くなる。
「おねえさま。そんなひどいことをおっしゃらないで……」
「ああ、リリア。君はなんて優しいんだ……! それに比べてシェリア、なんと卑しいのか!」
「……卑しい、ですか」
「そうだ! 聖女聖女と持て囃されているが、お前なんかより俺の心を癒してくれるリリアの方が、余程聖女のようだ!」
「――そこまでだ」
す、とシェリアの目の前に、見慣れた背中が現れた。
聞き慣れた低い声。
「――レオン様……」
この三年間、何度となく自分を守ってくれた後ろ姿。
――旅が終わっても、まだ、庇ってくれるのか。
ふっと、少しだけ胸の淀みが軽くなった。
「これ以上は――そしてその言葉は看過できないな、アラン。聖女シェリアは、この三年間、過酷な旅路に耐え、命を懸けて世界を救った。王都でぬくぬくと何不自由なく過ごしていた人間に、謗られる謂れは一つもない」
「レオンハルト、貴様……!」
アランが怒った声を上げているけれど、子犬のように頼りなく感じた。
それもそのはず。
彼――当代の勇者レオンハルトは、王弟の息子でアランの一つ年上の従兄にあたる。
金髪碧眼のアランと同じような色彩なのに、明らかに違っていた。
落ち着いた黄金色の髪に理知的な深い紺碧の瞳。
王位継承権も有する従兄であるだけに、アランもシェリア程強くは出られないようだった。
「聖女と定めたのは神殿であり、王だ。文句があるならそちらに奏上すべきでは? ――今まで彼女がどれだけ国に尽くしてきたと思っている、恥を知れ」
「貴っ様……!」
「――シェリア。もう戻ろう。明日に備えて今日はゆっくり休めと言われているだろう?」
「え、ええ……」
話は終わったとばかりにアランに背を向けるレオンハルト。
穏やかな笑顔は理想の勇者そのもので、万人をときめかせる。
シェリアもどきりとした。
「おい!」
「――元々この婚約は王が定めたものだろう。この場で騒ぎ立てた所で何が変わる? 解消するにせよ、きちんと王宮から侯爵家へ話を通せ」
レオンハルトは冷たくそう言って、アランが何か喚いていても素知らぬ顔で、シェリアを軽くエスコートしながら踵を返したのだった。
◇ ◇ ◇
こつ、こつ。
回廊に足音だけが響き渡る。
「………」
「…………」
部屋までエスコートを申し出てくれたレオンハルトに連れられて歩きながら、二人は無言だった。
差し出されたレオンハルトの逞しい腕の温もりが、二人分の足音が、現実だと知らしめているようで。
先程までの出来事が、ぐるぐるとシェリアの脳内をめぐる。
ああ、頭が痛い。
シェリアは、建国当時から忠臣と名高い、由緒正しいグランフィール侯爵家の長女である。
家柄や年回りを考慮して、幼少の頃に、二歳年上の第二王子アランの婚約者となった。
母方の家系が聖女を輩出する家柄であったことも、王家にその血を取り入れたい、と選ばれた一因だったのだろう。
アランは、見た目は王子様然としながらも、難しい話から逃げて遊び呆けるような少年で、近隣に名立たる才色兼備の王太子に比べ、王家としても将来を危惧していたのだろう。
切磋琢磨しながら成長していき、アランの足りない所はシェリアが補うように――そう言われながら育ってきた。臣下として、婚約者として、精進してきたはずだ。
婚約したばかりの頃は、それなりに仲が良かったように思う。
馬鹿正直な所があるアランは、銀髪碧眼のシェリアの見た目がたいそうお気に入りだったようで、よく連れ回されたものだ。
二人並んでいると、『愛らしい』と大人が褒めそやすことも相まって、さながらシェリアは彼の引き立て役、装飾品の一つのように扱われていたのだ。
それでも――やんちゃでいたずら好きで考えなしで自分勝手でも、アランは、確かに優しい所もあったのだ。
お礼を言うこと、悪いことをしたら渋々ながら謝ることは出来ていたから、シェリアも憎からずは思っていた。
――幼い頃は。
成長するにつれ、次第に関係は悪化していった。
――シェリアがあまりに有能すぎたことも、一つの原因だっただろう。
こつこつと努力することが出来たシェリアは、厳しい王子妃教育に時に涙しつつも、懸命に食らいついた。
貴族としての矜持と民への配慮を持ち合わせた、勤勉で優雅な未来の王子妃――と、周囲の評価は高かった。
更には聖女としての能力も開花したとなれば、影響力は言わずもがな。
対して、勉強を放り投げ、飽きっぽく何でも長続きせず、楽な方へ楽な方へと流されていく質のアランが眉を顰められるのは当然のことで。
けれど、それに腹を立てたアランは、これまた馬鹿正直に、あからさまにシェリアを冷遇しはじめたのだ。
交流の為の茶会に遅れ、出席しないのは日常茶飯時。
王に叱られて仕方なさそうに参加しては、憮然とした態度をとり、
「あまり賢しらだと疎まれるぞ」
「お前は俺の乳母か? 出過ぎた真似をするな」
「ああ、誕生日だったか? 忘れていた。侍従に何か手配させておく」
そんな、ぞんざいな対応をされるようになった。
――小さい頃、『やる』とぶっきらぼうにも手ずから花を摘んで誕生日を祝ってくれた少年は、どこへいってしまったのだろう。
好意は徐々に擦り切れて、義務感だけが残っていく。
正直邪険にされるのは不快だったが、王家の側から望まれた婚約だ。
『もう少しすれば大人になるだろう。おおらかに見守ってほしい』――と王に言われれば、立場の低いシェリアは我慢する他なかった。
王子の妃として丁度良い相手であり、数少ない聖女となれば、王家が簡単にシェリアを手放すはずもないという諦めもあった。
とは言え、忠臣として何度か諫める声を掛けたけれど、鼻で笑われればやる気も失せる。
それでも、大人になれば変わるかもしれない、昔のように気持ちを入れ替えてくれるかもしれないと、一縷の望みを捨てられないまま、シェリアは日々王子妃教育に邁進してきた。
そんな中、ある日魔王が復活し、世界を混沌に陥れ、勇者一行が旅に出ることが決まったのだ。
旅立ちの際、アランは、
「帰ってきたら婚姻するのだから、見苦しい怪我など負ってくるなよ」
と面倒くさそうに、一応見送ってくれた。
正直アランとの未来に期待はあまり持てないが、救世の聖女となれば、そう無碍にもできないだろう。
何より民のため、国のため、シェリアは聖女として全力を尽くすことに否やはなかった。
――その結果が、これだ。
魔王封印までどれくらいかかるかわからなかったから、なのだろうか。
王太子夫妻には未だ姫がひとりいるだけ。
あまりにも時間がかかっては次代に関わると判断されたのかもしれない。
それとも他に事情があるのか。
この様子ではおそらく、婚約はなかったことにされるのだろう。
『リリアの方がよほど聖女のようだ』
アランの言葉を思い出して、眉間に皺が寄る。
母方の血筋は確かに聖女が産まれやすくはあるが、リリアは聖女ではない。
それでもアランの希望や聖女の血縁だからと、二人が仲を深めることを周囲は咎めなかったのだろうか。
他の聖女と力を合わせて、国の為に祈りを捧げ、魔を通さぬ結界を構築することも、前線に立って魔物を滅することも、魔王を封印するために命をかけたことも――全部、シェリアの努力の賜物だ。
聖女としての誇りを踏み躙るような発言は、到底容認できなかった。
(努力して努力して――私が頑張らないと、と思っていたのに。こんな形で、全部なかったことにされるのか)
これから、どうすればいいのだろう。
アランを愛せなくても、国を愛する気持ちはあったから、その為に頑張ってきたのに。
シェリアは目標を失って、何だか自分が宙ぶらりんになってしまったような、足元のおぼつかない頼りなさを感じていた。
つい普段より手に力が入ってしまったことにも、レオンハルトが気遣わしげな視線を向けていることにも、この時のシェリアは気づかなかった。
「シェリー!」
「おーいシェリア、レオン!」
その時、道の向こうから、明るい声に呼ばれた。
手を振っているのは勇者一行のメンバーだ。
「フレイヤ……ガレス……」
王宮魔法使いのフレイヤと、王国騎士団のガレス。
そして。
「――シェリアお嬢様……」
「ラナ……」
幼い頃から苦楽を共にしてきた、乳姉妹であり専属侍女の、ラナ。
ぐっと眉間に皺を刻んでいるので、おそらくアランのことについて誰からか聞いたのだろう。
「ラナ……!」
淑女にあるまじきことだが、あと少しの距離がもどかしくて駆け足になり、ラナの元へ飛び込んだ。
涙こそ出なかったが、ぎゅうとラナにしがみつき、その肩に顔をうずめる。
「お嬢様……悔しかったですね……」
優しく背中を撫でられて、ああ、自分は悔しかったのだと思い至った。
準男爵家出身のラナは、旅の間シェリアの侍女として自ら様々な支援をすると立候補し、共に居てくれた、何でも話せる間柄だ。
王宮に着いてからは、各自で支度を済ませ、侯爵家への報告に出てくれていたので、話が出来ていなかった。
ラナに会ってようやく、地に足が着いたように思う。
「その様子……噂通りだったみたいね」
「――噂になるほどあからさまだったの? ……私はもう、お役御免らしいわ」
フレイヤに言われ、シェリアは苦く答える。
「ちっ、あの下衆……腕の良い呪術師紹介しようか? 不能にするとか」
「流石に王族相手にまずくないか? 足がつかない方法なら賛成だがよ」
「フレイヤったら。ガレスも」
思わず笑いそうになった。
華やかな美貌の姉御肌、フレイヤは苦々しげにそう言って軽く頭を撫でてくれたし、盾役で場を盛り上げるのが得意なガレスですら不快そうな表情を隠さない。
三年、彼らと旅をしてきた。
意見のすれ違いで衝突したこともあったけれど、今では誰より信頼できる人達だ。
「――最悪、向こうの出方によっては国を出ても良い。他国でも歓迎してくれるだろうしな」
聖剣に認められた勇者まで、不穏なことを言い出した。
「レオン様まで……」
貴い身分を、そんなに簡単に手放せるわけもないだろうに。
――彼だから、王子の元まで迎えに来ることができた。
きっと、シェリアを心配して来てくれたのだ。
今もそんなことを言ってくれる、優しい人だ。
(……でも、それもいいかもしれない)
この国を出る、という選択肢。
旅をする中で、心を砕いてくれる人達ともそれなりに出会ったため、正直言って、ここにこだわる必要はあまりない。
貴族としての責任は、正直今までで十分果たしたように思う。
シェリアの母は彼女が物心つく前に亡くなっており、父侯爵は国政に領地運営にと多忙で、国のため、民のため、が先に立ち、あまり子どもへ愛情を注ぐ人ではなかった。
母とも政略結婚で、それが普通だと思っているので、シェリアが王子と婚約したことも、『しっかりお支えするように』と冷たく言われた程度。
たぶん、婚約を解消されても慰めの言葉はないだろう。
幼い頃リリアに持ち物をねだられても、『そんなに欲しいなら譲って、違うものを買えばいいだろう』と言うような人だった。
シェリアが人にもらって大事にしていたものだと告げても、同じ物を買えば良いとポンと金を出すような、そんな人。
今だって、帰還を知らせても侍女達を寄越しただけ。
仕事を放って、三年ぶりの娘を迎えるという考えは父の頭には欠片もないらしい。
ただ一人の兄とは、それなりに兄妹の情はあったが、あちらは後継者教育、こちらは王子妃教育と忙しく、すれ違う毎日で、家族としての時間は少なかった。
だからこそ、シェリアにとって重要なのは、乳母であるラナの母と、ラナくらいだった。
二人は血の繋がった家族よりも精神的に近しくかけがえのない存在だ。
――でも、この三年で、旅の仲間たちもまた、同じくらい大切な存在になっていた。
「私のために怒ってくれて、ありがとうございます」
皆を見回すと、何を言ってるんだ、とばかりに返された。
「当然のことです」
「そうよ」
「仲間が侮辱されてんのを黙って見てろってのもなぁ」
「必ず報いを受けさせるさ。――君が十分に頑張ってたことは、皆知ってる」
ずっと、アランと結婚して第二王子妃になることが、自分の役目だと思っていた。
聖女として世界を救うのも、それが己に課された使命だと。
突然足元がなくなってしまったような感覚でいたけれど、そう。
――彼らの側にだって、シェリアの居場所はあるのだ。
「――ありがとう」
シェリアは笑った。
それは今までで一番柔らかなもので、仲間達が思わずまじまじと見返してしまうほど、素敵な笑顔だった――と、後に言われることとなる。
お読みいただきありがとうございました。




