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08 君を満足させるためのプランを考える

 半個室の居酒屋の一角。そこに向かい合って座る二人の青年が、ビールのジョッキを軽く合わせて乾杯する。

 片方は一気に半分まで飲み、もう片方は一口だけ舐めるように飲んで、すぐにテーブルに置いた。


「酒苦手だったのか? 悠斗」

「いや、そうじゃないけど……。その、まさか涼真に会うなんて」


 合わせる顔が無い、と俯く悠斗を前に、涼真はまたごくり、とビールを一口飲んでテーブルに置いた。


「だよな。けど、なんて言うか似合ってたぜ?」

「うん、知ってるよ」


 そんなこと、悠斗は嫌になるほど知っていた。

 大学の同級生達はもちろん、バイト先の先輩や後輩にも何度も言われたから。何故カフェのバイトを選んでしまったのかと正直言うと後悔してしまうほどに。

 けども、涼真からの言葉に何故か胸の内が弾み、悠斗はなるべく平静を保とうとして必死に受け流す。そうするとつまらなそうに涼真は唇を尖らせた。

 高校を卒業してから、悠斗と涼真は別の大学へと進学した。連絡先は残しているし、時折涼真からの連絡は来ていたが、バイトや勉強やら何やの理由で悠斗は連絡をほとんど返さなかった。

 そうすれば自然と距離が開き、連絡の頻度も少なくなって今やほとんど連絡なんてしなかった。

 気づけば大学三年生になっていた。

 後少しで社会人になる。そうすれば、確実に会わなくなるだろう。そう、悠斗は高を括っていた。そのはずだった。


「どうよ、今」

「なかなか忙しいよ。涼真は?」

「こっちも。大学生って忙しすぎじゃね?」


 他愛のない話。途中、店員がやってきて頼んだ唐揚げ、串焼き、だし巻き卵やら、何やら。

 あっという間にテーブルの上を埋め尽くす料理の数々に、これほど頼んだだろうかと悠斗はつい首を傾げそうになった。だがここには男二人。十分に食べられる量だった。


「やっぱ唐揚げだよな」

「分かる」


 おおよそ二年か、三年か。それぐらいぶりに会うと言うのに、涼真との会話はあの頃と何一つ変わらないものだった。

 せいぜい、髪があの頃より伸びているな、とか。筋トレしているんだろうな、とか。

 悠斗はそんな目で見てしまう自分に嫌なものを抱き、ビールで流し込んだ。それでも、あの夏の日々から胸に巣食っている苦しさはしぶとく流されず、さらに悠斗を苦しめようとしてきた。

 大きく鼓動する心臓の音が耳障りだった。悠斗は誤魔化すように、僅かに声を張って涼真に問いかけた。


「それで? あれから彼女、もちろん出来たんだよね?」

「聞くんじゃねぇよ」


 不愉快そうに答えた涼真に、悠斗は身体中から力が抜けるような感覚を覚えた。

 必死にこの苦しさも、この安堵も気づかないふりをしながら、悠斗はなるべくあの頃と同じように笑った。


「やっぱり」

「やっぱりって言うんじゃねぇよ。じゃあ、悠斗は?」

「いたよ。別れたけど」


 あっちから告白してきて、試しに付き合って、そして想像と違っていたからとすぐに別れた相手だ。もはやどんな顔をしていたのかさえ覚えていないほどに、悠斗はその相手に一切思い入れなんてものは無かった。

 だから隠さずに、雑談として話をした。というのにだ、涼真は何故か目を大きく丸くし、変に顔をしかめていた。


「……何で」

「なんて言うか。合わなくって」

「俺にすげぇ合わせてくれてたってのに」

「なんだ。自覚はあったんだ」


 一応、涼真はあの頃から成長したらしい。

 あの夏の出来事なんて特にそうだ。涼真が突然デートってなんだ、なんて言って。本当に涼真は良くも悪くも、遠慮なく悠斗を振り回し続けてきた。

 良い思い出だ。だから、これ以上踏み込んではいけない。そのはずだった。


「なぁ……どっか、出かねぇ?」

「どこかって」


 唐突に、涼真が言った。悠斗はその真意が分からず、しかしきっと久しぶりに会えたからそう言ってきたのだと理解した。

 アルコールのせいだろう。悠斗はあの頃と同じようにするり、と冗談交じりに続けた。


「何? デートでもする?」

「おう」


 耳を疑った。

 悠斗はぱっと顔を上げて目を見開き、涼真を見据える。涼真はもうほとんど残っていないビールのジョッキを傾けながら、大きく肩を揺らした。


「何驚いてんだよ」

「いや、だって……。ああ、そうか。また予行練習か。仕方が無いなぁ」

「ちげぇ、って言ったら?」


 にんまり、と涼真は笑ってみせた。

 言っている意味を本当に分かっているのか、とか。何をふざけて、とか。そんな言葉がいくつも悠斗の喉から溢れ出しそうになる。けども、何かが引っかかって思うように出てこなかった。


「なん、で」

「何でって聞かれても」


 涼真は空になったジョッキをテーブルの隅に置き、視線だけを悠斗に向けた。


「恋愛もって言うか。そもそも触られるの、あんまり好きじゃねぇのは知ってたけどさ」

「……まぁ、そうか。さすがにあれだけいたら、気づくか。涼真でも」

「本当お前、俺に容赦ねぇよな」


 呆れたように息をつく涼真は知らないだろう。

 悠斗が、涼真以外にあの距離を一度だって許したことがないことを。

 それほどまでに、いつの間にか特別だったことを。


「けどさ。そんな奴と手は繋ぐし、キスまでするとは思わねぇじゃん?」

「まさか……、それで?」

「あー……なんて言うか、そうだし、違う」

「意味分からないんだけど」


 涼真の言い方からして、何かがきっかけだったのは間違いはないはずだった。涼真はくしゃりと、困ったように笑った。


「あの夏のせいだな」

「……発端が何言っているんだよ」

「それはそう。けど、そんな反応するってことは期待して良いってことだろ?」


 涼真に指摘され、悠斗は手で口元を覆い、視線を反らした。

 今、どんな顔をしているのか悠斗には何一つ分からなかった。うるさい鼓動は、ずいぶんと早く、周囲の喧騒なんてとっくに遠のくほどに涼真の声しか耳に届いていなかった。

 こんなの、認めるしかないじゃないか。いや、認めなければならなかった。

 けども、冷房の風のせいだろうか。妙な寒さが悠斗を襲っていた。身体が強張る。そのせいで、妙に喉がひっついて声を出すことも難しいほどだった。


「なぁ、悠斗」

「……何」


 やっとの思いで、悠斗は声を発した。

 涼真は本当に、何一つ変わらない笑顔を向けてくれた。


「好きだ。だから俺とデートしようぜ」


 涼真らしい、真っすぐな言葉は悠斗の足元を大きくぐらつかせるのに十分すぎるものだった。


「あ、でもどこに行くかはそっちが決めろよ? 知らねえから」

「……なんで、当然のように」

「当然だからに決まってんだろ?」


 照れる様子もなく、当たり前に話を続けようとする涼真に、悠斗ははくはく、と口を何度も無音を吐き出しながらようやく言葉を吐き出す。

 しかし涼真はむしろ何故、と言わんばかりに輝かしい笑顔を曇らせ、肩をすくめた。


「本当、お前ってヘタれてるとこあるよなぁ。何で俺相手にまでそんな感じなのか意味が分かんねぇ」

「それは……」

「だから、わざわざ会いに来てやったんだ。むしろ感謝されるべきだろ?」


 悠斗は何一つ、涼真の言葉を理解することが出来なかった。


「え……、会いに? ど、どういう……?」

「まぁ、そんな事は今、どうでも良いんだけどさ」

「どうでもって……。涼真、本当にその、いつから……」

「はいはい。後でな」


 そんな悠斗を涼真は軽く受け流し、次の酒を頼もうとメニューを見る。

 何故、そんなに普通でいられるのか。何故、会いに来てくれたのか。何故、そう――。

 伏せられた涼真の目が、ばちり、と悠斗の目と合わさった。


「で、悠斗からは言ってくれねぇの?」


 ほんの少し、ふてくされた様な顔をしてせがむ涼真に、悠斗の鼓動は一度大きく脈打った。


「っ……! そんなの、好きに決まってるだろ……!」


 体中に熱が一気に巡る。耳に届くのは涼真の大きな笑い声。そこに混ざって、何かが割れるような、はじけるような音が聞こえた。けどもその音は手元のビールの泡がはじける音だろうと、悠斗は思った。

 まだまだたくさん残っているビールをごくりと飲む。

 体中に巡った熱はアルコールのせいか、さらに熱さを増した。

 それはまるであの夏に感じた暑さのようだった。そしてずっと感じていた寒さなんて綺麗に消え去っていた。



 ***



 あの夏の日々が、僕をいつまでも苦しめた。

 けども、あの夏の日々が臆病な僕を閉じ込めていた氷を溶かしていた。

 そして、最後に僕の足元に広がる薄氷を割った君は、あたたかな海へと僕を連れ出してくれた。


 約束通り、今度の夏は綺麗な海でダイビングをしよう。

 きっと君は満足するはずだ。そうでなければ困る。だからちゃんとプランを考えて、一緒にデートへ出かけよう。


 そして、それで。

 次はどこに行こうか。涼真。

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