5-12「二十二層・天敵」
その後も高速鼠(仮)とは幾度か遭遇したものの、何とかかんとか打ち倒し、ようやく二十二層への階段を見つけた。
ネズミ退治に飽き飽きしていたのもあって、早々に階段を下りていく。
「ネズミの次は何が出てくるのやら」
「やめてよー。もっと厄介なの出てくるんだよ絶対」
「覚悟の上でしょ。くれぐれも油断だけはしないように」
軽口を叩き合えるのは余裕の表れか、はたまた不安を隠す為か。
どちらにせよ、諫めてくれるレイニーがいればこそ吐ける言葉もある。
そうしたある種の役割分担が、上手く噛み合っていると思うのは我だけではないと思いたい。
「ねぇ……前方に何かいません?」
最初に声を上げたのはティルティだった。
我を含め、他の者が気付いていなかったわけではない。だが、それに生命の息吹を感じなかったが故に『いる』と表現し得なかっただけだ。
てっきり罠か何かだろうと思っていたが、ティルティの言葉によくよく目を凝らしてみれば、それは確かに人の形をしているようだった。
「おじょ……ティルティ様、僕の前に出ませんように」
警戒心を強めるリィンを筆頭に、周囲に緊張が走る。
「ううん? あれは……人形か?」
近づくにつれ、徐々に輪郭がハッキリしてくる。足元は布に覆われ見えないが、その腕は異様に細く枝葉のよう。顔は気味の悪い笑顔の面が張り付けられているようだった。
「ッ!! 全員、耳塞いでサクラの後ろに退避!」
「は?」
レイニーが急に叫んだ。その声に鬼気迫る様を感じてか、我以外の者が即座に動く。
ただ一人除け者にされた我だけは、どうしていいか分からず立ち尽くす。
刹那――
「マ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ーー!!」
耳を劈く狂騒が辺りに響き渡った。思わず両手で耳を塞ぐ。
声の主は目の前の人形に相違なかった。両の目から怪しげな光を放ちながら、不愉快な狂騒をがなり立てている。
周囲の壁が震えているのではと錯覚するほどの大絶叫に、足の力も抜けていく。
「ひうっ!?」
「くっ……こ、これは……」
仲間達の悲鳴に背後を見渡すと、ほとんど地面に倒れ込みかけている姿が映った。
耳を塞いでも届く音という痛みがこの状況を作り出しているのか。
それにしても、我と皆のダメージの差が大きい事が気になる。ミリーのように半獣人が耳の良さから余計にダメージを追っているのは想像できなくはないが、他の者もミリーと同じくらい苦しんでいるように見えた。
「な、なんなのだ一体!?」
「う……くっ……サ、サクラ……あれを壊して……」
困惑する我に対し、レイニーがきれぎれに言葉を紡いだ。
「いや、だが……」
その悲痛な思いを受けても、躊躇が生まれる。皆の苦しみ方は尋常ではない。このまま放っていいものか。
「お願い……」
しかし、レイニーの瞳が我の意思を奮い立たせた。そこに映るのは助けを求める怯えではない。勝ちを求める強者の意思だった。
「……仕方ないの。そこで見ておれ!」
一つ嘆息し、振り返る。いまだ鳴りやまぬ耳障りな咆哮を上げる人形に向け、強く地面を蹴った。
「うるさいんじゃおのれはあああああぁぁぁ!!」
持てる全力を注ぎ込み、渾身の一撃を振りかざす。
見た目に違わず大した強度を持っていなかったようで、人形はあえなく真っ二つに崩れ落ちた。
途端に人形の瞳からは光が失われ、咆哮も鳴り止んだ。
全身に付き纏っていた不快な倦怠感も徐々に鳴りを潜めていく。
「……ふう。皆、無事かの?」
思ったよりは呆気ない結末に、安堵の息を吐きながら仲間たちの傍へと駆け寄った。
死屍累々とまではいかないが、誰も彼も未だ地べたを這うように突っ伏している。
介抱の手を差し伸べようとマジックバッグから薬を取り出したが、とても飲み込める状態には見えなかった。
仕方なしに、しばらく背中をさすったりしていると徐々にだが皆の顔に生気が戻ってきた。
「うげぇ……さっきよりはマシになったけど、すっごい最悪の気分……」
「僕はもう大丈夫ですが、お嬢様が……」
回復の早かったミリーと、比較的ダメージの少なかった様子のリィンが薬を飲み干し、介抱側に回った。そんな速効性のあるものではないと思われたが、動いた方が気が紛れる事もあるだろうと好きにさせる事にする。
リィンが介抱するティルティは、一番ダメージが大きいようで膝をつく事も辛そうにしていた。
「だ、だから私の事はティルティと……うううう」
「正しく阿鼻叫喚だの、これは。どうしたものやら」
定番のやり取りも言い切れない様子に、復調まで今しばらくの時が必要な事が予想される。
燦燦たる状況に対し、これ以上成す術がない。
「なにそれ……ていうか、サクラは大丈夫なの? うぷっ」
どうしたものかと迷っていると、ミリーが吐き気を抑えながら不思議そうに訊ねてきた。
「いや、なかなか耳が痛くなる騒音ではあったぞ? だが、主らほど弱ってはいないな」
ミリーの指摘は、我自身も気になっていた事だ。ダメージの幅があるのは個人差という言葉で理解できるが、それにしては我一人だけ大きく差が開いている。
それを見越していた様子のレイニーに、答えを縋るように視線を送った。
当のレイニーは息も絶え絶えといった体だったが、壁にもたれながら姿勢を整えて口を開く。
「流石……私の見込み通りだったわ」
「レイニー、事情を説明して貰えるかの」
「ええ。まずあの人形はマリシャス・ドール。声と眼光で相手の精神を揺さぶる邪悪な魔物よ」
悪意を持った人形か。説明を聞いて、ふと疑問が湧く。
「あれも魔物なのか?」
「元は誰かが開発した兵器だったっていう話もあるけど、魔力の流れに曝されて魔物化したのね」
「よくわからんが、そういう事もあるのか」
「ゴーレムなんかが代表例ね。元はヒトの作った創造体でも、一度魔物として認定されるとどこかで自然発生するようになる……厄介な話だわ」
ヒトが作ったものが魔物として増殖するという。一体どういうメカニズムなのか、皆目見当もつかない。魔力なんてものがある世界ゆえに、考えても仕方ない事なのかもしれないが。
「逆に言えばあんなものを作る技術があるのか」
「昔の話よ。今は廃れた技術ね。まぁ、こんな悪意しかないものなら廃れてもよかったんだろうけど」
今よりも過去の方が優れていたというのか。いや、違う。文明が衰退した可能性も捨てきれないが、単に扱える者がいなくなったと考える方が自然だろう。
個人個人に適性があり、特色などという一部の者しか使えない魔法さえある。その上、魔道具に転化できるような詠唱文を作れる者は更に少数だというのだから、該当する人物の死とともに廃れるのはむしろ自然な流れなのだろう。
逆に言えば、同じような奇才が今の時代に生まれる可能性は幾らでも存在するわけだ。
レイニー達から見れば、我もその一人なのかもしれないな。
「……それで、なんでサクラさんは平気な顔をしているのです?」
リィンに介抱され幾分か血色が良くなったティルティが話の続きを促す。
人の声を聴いていた方が幾分か気が紛れるのかもしれない。
「あぁ、簡単な話よ。精神系の魔法が効くかどうかは互いの魔力量の真っ向勝負でしょ」
「そうですね。守りを固めるなら《心》魔法を展開する方法もありますが、その余裕はなかったですしね。だから直撃を受けないよう、敵の眼光から隠れ耳を塞ぐよう指示されたのでしょう?」
肉体の強化を司るのが無色第二系統の《身》魔法なら、精神の強化を司るのが無色第一系統の《心》魔法というわけだ。だが、魔法は発動までにタイムラグがある。レイニーはそこまで踏まえて仲間に指示を出していたらしい。
「ええ。言い換えると、圧倒的な魔力量の差があれば防御を固めなくても防げるという事」
「あぁ、だから我を盾にしたのか。納得した」
ティルティと疑問を同じくしていた我だが、先に解を得て一人頷く。
対するティルティはまだ首を傾げていた。
「え、納得されるんですの?」
「それだけ魔力量に自信があるということですか」
我一人が納得した理由に思い至ったらしいリィンが愉しそうに微笑む。
「ふふふ、そういう事だの」
「全く、不思議な方ですね。本当に面白い」
「え!? リ、リィンはやっぱりサクラさんのような方がいいんですの!?」
何故かティルティが大きく動揺していた。大事な従者を取られるとでも思ったのだろうか。
「僕の主人はいつだってティルティ様ですよ?」
「そ、そうですわよね……主人……」
何やら意味深に復唱するティルティの表情は晴れない。
その意味を解するより先に、レイニーが口を開いた。
「さて、と。じゃあサクラ、後は頼むわね」
「お?」
「あ、そっか。この階層サクラなら超余裕じゃん」
「確かに……そうなるかの」
ミリーの賛同を聞いて合点がいく。我は何もせずとも精神攻撃に耐性があるらしい。このダンジョンは一つの階に一種類の魔物。確かにこの階層は我の天下と呼べる。
尤も、いくら精神攻撃が効かないと言っても騒音は十分耳障りではあるのだが。
「じゃ、あたしたちここで待ってるから階段までの掃除お願いねー」
ミリーがひらひらと手を振り、軽い様相で我の出動を迫る。
凄く気軽に後を託されてしまった。
「ぬ? そうなるのか!?」
「正直まだ復調してないから……休ませて」
レイニーの弱音が後押ししてくる。皆の表情は良くなってきているが、平時のものには至っていない。
ここまでダメージが響いているなら、我が愚痴を吐くわけにはいかないな。
「致し方ないか。まぁ、任せるがよい。代わりに、しっかり休息を取るのだぞ」
「はぁい。サクラも気を付けてねー」
観念し、正面へと向き直る。
とっとと次の階層への階段を見つけた方が良さそうだ。
両手に斧を構え直し、我は一人、駆け出すのであった――




