3-17「レイニーとミリー」
コンラッド・デイブスの作戦を破り、勝利の凱旋を終え、早くも丸一日が過ぎていた。
敵大将を捕縛し、勝利を飾ったとは言えそれで全てが終わるわけではない。
残党が潜んでいないかの警戒、避難していた民間人への対応、負傷した兵達の救護、破損した施設や設備の修復。
やる事は山ほどあり、ル・ロイザの頂点に位置するリックドラックはそれらを統括、指示するのに忙殺されていた。
それがある程度とはいえ一段落したのが丸一日を経過した深夜である今であった。
少し前まで、リックドラック・サンディルムの屋敷では勝利を祝う宴会が行われていた。忙殺されながらも、勝利の余韻に浸る時間も必要だろうと無理くり時間を作ったのだ。一部の傷病者を除き、戦いに参加したほとんどの者が上下の区別なく健闘を称え合う豪勢な宴会となっていた。
しかし、それももう終わり、リックドラック自身は執務室で幾つかの書類を確認していた。
その前にはレイニーが佇んでいる。書類の確認を待っているところだった。
ランテの様子を見に行っていたレイニーだったが、宴会の前にはル・ロイザに戻っていた。
推測通り、ランテでは睨み合いのみで開戦には至っていなかったらしかった。そこにレイニーがコンラッドの勲章を持って現れた事で、たちまちリリディアの兵達は撤退を開始したという。
その様子を見届け、レイニーは超特急でル・ロイザまでとんぼ返りしてきたという話だった。
「……ご苦労だったな。お陰で助かった」
確認を終えた書類を渡しながら、リックドラックはレイニーを改めて労った。
作戦のほとんどはレイニーの発案であり、戦場の指揮もほぼほぼ任せていたようなもの。
リックドラックがした事と言えば少々の決断に加え、サクラと二人で暴れまわった事くらい。
ル・ロイザを守った功労者が誰かは考えるまでもないと、リックドラックは本心より思っていた。
「決着をつけられたのはサンディルム卿です。私はお膳立てをしたに過ぎません」
「それが出来るヤツは貴重なんだよ。分かるだろ?」
「それは……まぁ……」
どれだけ実戦に強かろうと、その舞台が整っていなければ本領は発揮できない。
味方にとって極力有利に、敵は不利に、それが無理であってもせめてイーブンに持ち込めるだけの技量が求められる。
リックドラックにその能力は無かった。だからこそ、レイニー・キャスロックを右腕として采配したのだ。そうする事で自身も安心して戦えると信じて。
レイニーもまた、その重要性は理解している。故にリックドラックの問いかけに、曖昧な返事しか出来ないでいる様子だった。
曖昧に濁された事で中途半端な沈黙が流れる。
それを丁度いいとでもいうように、リックドラックは話題を切り替える事にした。
「……なぁ、レイニーはこれからどうするつもりなんだ?」
「どう……とは」
レイニーは狼狽えるように言葉を詰まらせる。まるで何か後ろめたい事でもあるかのような振る舞いに、リックドラックは確信を得た。
裏付けを取るべく、鋼で形作られた右腕を掲げる。
「こいつに何も感じなかったとは言わせねぇぞ」
「それは……」
失った本物の腕の代わり以上に働く鋼の義手。それがどれほど偉大な事か分からないレイニーではない。
リックドラックはレイニーの答えの続きを待ってもよかった。
しかし、それは今この時だけで結論づけなくとも良いとも思っていた。
「まぁ、ここで答えを出さなくてもいい。だが考えておけよ。俺はもう決めたぞ」
「決めた?」
「おっと、続きは明日な。それまでお前も悩め。若者らしくな」
何を決めたのか、そして何を決めるのか。どちらの答えもひとまず明日まで猶予を引き延ばす。
急ぎ答えを聞く必要はなく、またレイニーが答えを導き出す前に自身の答えを口にするのも憚られたのだ。
「え、あの……」
「今日はこれで終わりだ。帰れ帰れ」
戸惑うレイニーに対し、リックドラックは追い返すように手を振る。後は各々の心の問題だと、暗に思いを乗せて。
「し、失礼します……」
レイニーに思いが通じているかいないのか、半ば混乱した様子のままレイニーは部屋から出ていった。
扉の向こうから気配が去っていくのを確認し、リックドラックは椅子の背もたれに体重を預ける。
慣れないお節介をした事で凝った肩を自身で揉み解しながら、深いため息を吐いた。
「やっぱ柄にもない事はやるもんじゃねぇなぁ。よくやったよ俺は」
それは何に対しての愚痴だったか。少なくともそこにはレイニーに対するものだけじゃない、別の感情が混じっている事は確かだった。
暫しの間、リックドラックが感傷に浸っていると、扉の向こうに新たな気配を感じた。
視線を向けると、ノックも無しに扉が僅かに開かれる。
隙間からちょこんと顔を出したのは、リックドラックの愛娘ミリーだった。
「パパ、入っていい?」
「おお。遠慮すんな」
恐る恐るといった様子で訊ねてくるミリーを、リックドラックは歓迎する。
十三歳という年齢相応のあどけなさと、どこか大人びた落ち着きを持った少女はとてとてと室内に入ってきた。ネグリジェを着ているところから、寝つけなくて甘えにきたのかとリックドラックは推察する。普段こんな事はないが、大きな戦のあった直後だ。後から恐怖が襲ってきたとしても不思議はなかった。
「どうした、こんな夜中に。子どもは寝る時間だぞ」
口とは裏腹に、リックドラックは穏やかに笑んでミリーを招き寄せる。
ミリーは促されるままにリックドラックの傍まで近づくと、正面からリックドラックと向き合った。
そこでリックドラックは気付く。ミリーの表情は怖さで寝付けない者の顔ではなかった。
「聞きたい事があって。昨日の戦い、楽しかった?」
思いもよらぬ発言に、リックドラックは僅かに竦む。
「……どうして、そんな事を?」
「んー……パパが今まで聞いた事もないくらい笑ってた気がしたから?」
ミリーの瞳に戦への恐怖など欠片も無かった。
それどころか、どうやら人質となっていたあの時、既に意識は戻っていたらしい。
言葉は濁しているが、ミリーの瞳には確信を伴った強さが宿っていた。
聡い子だ、とリックドラックは思う。あの場で意識を取り戻して尚、気絶した振りを貫いたのは、それが最善だと認識していたからだろう。実際、下手に喚いたりすれば危害を加えられる恐れがあった。そのまま気絶していた方が安全なのは明白だったが、それを瞬時に理解し実践できる度量は、娘ながら末恐ろしいとさえ感じてしまう。
様々な動揺を胸の内に収めながらリックドラックは笑顔を繕う。
「……ミリーには隠せないな」
そうして、素直に肯定した。下手な嘘では誤魔化せないのは分かり切っており、そうして吐いた嘘はただ娘を裏切るだけだと理解していたからだ。言い換えれば、観念するしかなかった。
白状するリックドラックを、ミリーは拒絶したりはしなかった。
むしろ安心したように微笑みを見せる。
ミリーは不意に窓辺まで歩み寄ると、窓の向こうに広がる町並みへと視線を下ろす。
「あたしね、ママが好き。ママが生まれたこの街も好き」
そこまで言って、ミリーは振り返ってリックドラックと目を合わせる。
「あたしとママの為に、この街を守ってくれるパパが好き」
にっこりと屈託なく笑うその姿に、リックドラックはただただ見惚れるしかなかった。
そこに気恥ずかしさも誇らしさもなかった。あったのは、胸の奥に静かに灯った熱だけだ。
リックドラックが沈黙の中で娘の言葉を噛み締めている間、ミリーは僅かに目線を落として首を振った。
「でも……ううん、だからパパにも笑顔でいてほしいって思うんだ」
再び目線を上げたミリーの瞳には力強い意思が宿っていた。
それは暗に、今まで笑顔ではなかったと指摘されたようなものだ。
そして、何故こんな話になったかと思い返せば心当たりは一つしかなかった。
「気付いたんだ。それがあたしの本心だって」
頭に浮かぶのは、戦いの最中サクラの呼びかけに応え義手を盛大にぶっ飛ばしたその時。
リックドラックはその前にサクラから、窮地に陥った時に使う秘密兵器の合言葉を教わっていた。
それが『ブースターストームナックル』。その意味を使うまで理解していなかったリックドラックは、右腕が身体から離れて飛んでいき、リーベンを背後から殴り倒した瞬間、どうしようもなく可笑しくて仕方なくなった。
あまりの馬鹿馬鹿しさと、爽快感に振り切れてしまったのだ。
腹の底から笑いが溢れ、同時に思い出した。かつて傭兵時代に戦いの中で見出した悦びを。
一人の父親としても、領主としてもあまりに不相応な感情を思い出してしまったのだ。
だからこそ、リックドラックは決心こそすれ、その本心は娘に隠すつもりでいた。
だが、ミリーには既に全てバレてしまっていたらしい。
「そう……か。ありがとうな」
今度こそ気恥ずかしさを感じ、リックドラックは目を逸らしつつ返答する。
「あたしはパパの決心を応援するよ」
それは、リックドラックが何を決断したかすら把握されているという暴露だった。
リックドラックが笑顔でいるために必要な事。つまり父親の願いを理解している娘に、リックドラックは悦びと同時に畏敬を覚える。
「そこまでバレてるなら、俺から何も言えねぇな」
ミリーに背中を押されなくとも、答えは既に出ていた。
となれば、説得の手間が省けたとも言え、リックドラックは嘆息しつつもミリーの言葉を受け入れる。
「あ、でも」
それで話は終わりかと思いきや、ミリーは不意に悪戯っ子のような微笑を浮かべ続きを付け足した。
「その代わり、あたしも好きにやらせてね」
「……は?」
それはリックドラックの温まった心を、吹雪の真っ只中に転移させたように冷え切らせるに十分な小悪魔の笑みだった――




