2-12「キミーク」
エンペルボアの討伐から一月ほど経った。
その間、我は時にラギルと共同で、時に単独でレイニーからの依頼をこなしつつ、レイニーの屋敷に貯蔵された本の七割ほどを読み進めるに至っていた。
そこに来て、一つの悩みが発生していた。
「すまんな、待たせたかの」
ロノッテに案内され、レイニーのいる執務室へと入る。
今日も今日とて呼び出しがあった。また新たな依頼が出されるのだろう。
「いえ、時間通りです。では、今回の依頼についてですが――」
「その前に一ついいかの」
無礼を承知で話を遮る。どうしても一つ確認しておきたいことがあった。
「なんでしょう?」
「我と主の契約内容は、書庫の本の自由な閲覧であったな。
それが終わった後はどうなる?」
「……まさか、あれだけの本をもう読み終わったのですか?」
こちらの意図を察したか、驚愕に目を見開くレイニーの姿があった。普段あまり感情を表に出さない彼女にしては珍しいほど素直な感情の表出だ。
「いいや。まだ三割ほどは残っておるな。だが、当初の目的は大体果たせたと言えるでの」
別に全ての本を読み漁りたかったわけではない。目的は魔道具への理解、そしてスーパーロボット作成の為の下地となる知識だ。それが満たされたならもう用は無いわけだ。
では、レイニーの方はどうか。この一か月、幾つかの依頼をこなしてきたわけだが、彼女は我の事をどう認識しているのか。本さえ与えておけば便利に使える戦闘員か、敵か味方か不明故に監視下に置きたい謎の竜人か、それとも――
「……貴方は魔道具の作成を依頼するつもりだった、と言っていましたね」
食いついた。
そう。わざわざ問いかけたのは、まだ契約に価値を見出していると言う事。
向こうにその気があれば、こうして対案を探ってくるだろうと思っていた。
「うむ。色々アイディアは沸いておる」
「では、その製作を請け負う事を今後私が支払う対価としましょう。
街の魔道具屋では、貴方の願いはそうそう叶わないと思います」
その通り。
実は自由時間に試しに町の魔道具屋に設計図を見せに行った事があった。
だが、結果は門前払い。設計図が破綻しているというわけではなく、そもそも内容の理解を得られなかった。
「素材の用意もしくはその分の代金は別で用意して頂きますが」
当然よな。魔道具一つの製作費はかなりの高額だ。理由は二つ。そもそも魔道具に用いる魔石が貴重な事。そして魔道具を起動するのに必要となる詠唱文を刻むのは、相当に細かい作業を強いられるものだということだ。職人芸と言ってもいい。技術に相応の価値を見出すのは当然。
しかし、レイニーはその技術料は不要と言っている。あくまで材料費だけであると。破格の待遇と言っていい。断る理由は何も無い。
「我に有利過ぎて怖いくらいだの。だが、助かる。その条件で頼もう」
「ええ。今後もよろしくお願いします」
「早速で悪いが、二つほど設計図を渡しておく。出来れば急ぎで頼みたい」
レイニーに会うと決まった段階で、念のためと設計図を持参していた甲斐があったようだ。
構造上は問題ないはずだが、頭の中と現実は違う。作って試してみなければ結果は分からない。
その為にも、最初の試作品は早めに用意を頼みたいと思っていた。
「仕事の合間を縫って作業をしますので納期の約束はできませんが……まぁ、可能な限り善処しましょう」
「うむ、それで十分だ」
向こうの都合を圧迫するほど急いているわけでもない。快く応じ、一先ずの取引は成立する。
「では、本題に移りたいのですが。模擬試合を行って頂きたいのです」
そうだった。我にとっての本題は終わったが、レイニーが呼びつけた本題はまだ何一つ聞いていなかった。
それにしても、これまでと随分毛色が違う依頼のようだ。
「む? また妙な依頼だの」
「色々ありまして。間もなく相手も到着します」
「戦うのは別に構わんが……他に条件があったりはせんかの」
戦う目的は何か。嫌いな相手を代わりに叩きのめせという事なのか、それとも我の実力を間近で推し量りたいのか。それによって我の出方も変わってくる。
「殺さない程度の全力で。勝ち負けは問いません」
「ふむ……よく分からんが、取り敢えずやってみるか」
勝ち負けは気にしないという事は、我の実力が知りたいという可能性が高いか。
これまでの成果に疑問があるというわけではなさそうだ。
あるいは、相手に何かあるのか。
レイニーの真意を探っている間に、背後の扉をノックする音があった。
振り返るとロノッテが扉の向こうから顔を見せていた。
「失礼します。キミーク様がいらっしゃいました」
「ちょうど来たようです」
「我の相手か。では行ってくるとしよう」
ロノッテに連れられ、外へと出る。
辿り着いたのは屋敷の庭、戦うには十分なスペースの空間だった。
我は一人空間の中央へと案内され、ロノッテとレイニーは端の方へと移動した。
案内された場所に、先客の姿がある。
犬のような耳と尻尾を持った獣人の女だった。彼女がキミークと見て間違いないだろう。銀色に煌く鎧に身を包み、長剣を携えている。如何にも騎士といった風貌だ。
鋭い目つきが我に刺さる。どこか敵意が感じられる眼差しだ。
生憎、恨まれる覚えはない。それどころか初対面だと思うのだが。何か知らぬうちに不興でも買っていただろうか。
「お前が最近出しゃばっている人間か」
開口一番がそれだった。というか、『人間』?
「なんかいきなり嫌われておるのだが」
「あの守銭奴と手を組んで……何のつもりだ?」
端の方に立つレイニーに訊ねるが、その答えが返ってくるより早く、目の前の獣人から侮蔑の籠められた声が届く。
「話が通じん。レイニーよ、我の事は説明しておらんのか」
先にもキミークは我の事を『人間』と言っていた。
この世界において、人間とは種族の一つを指す言葉だ。魔人でも獣人でも竜人でも理人でもない、最も普遍的な肉体を持つ種族の名前。
知性を持つあらゆる種族を総称する言葉は『人』である。そこには明確な違いがある。
にも関わらず、対面する獣人は我を人間と称した。
確かに我は見た目を完全に人間に擬態している。というか、そうなってしまう。だが、竜人だ。
とすれば考えられる答えは二つ。我の情報が先方に届いていないか、侮蔑の意味で敢えて人間と呼称しているかだ。
敵愾心を感じる事から、後者の可能性も十分に考えられた。なので、敢えてレイニーに確認を促す。
レイニーは最初からこの展開が読めていたらしく、ため息交じりに話しだした。
「あの方はキミーク・ケリー。サンディルム卿の部下で、一部隊の隊長を務めている方です。
ただ……その……少々頑固というか猪突猛進な部分がありまして」
なるほど。人の話を聞かないタイプか。それでよく隊長が務まるものだ。いや、この国は実力主義な面が強いそうだから、それで抜擢されたのかもしれないな。
「守銭奴というのは?」
「ラギルの事ですよ。ラギルとキミークはその……水と油と言いますか……」
犬猿の仲、というやつか。確かにキミークとやらは随分と堅物のようだ。ラギルと折り合いが悪いのも想像がつく。
しかし、そのせいで我に対しても嫌悪を抱かれると言うのは中々納得がいかない。こっちは別に積極的にラギルと仲良くしているわけでなく、あくまで依頼の都合で共に働いているだけなのだが。
などと口にしても、キミークは話を聞いてはくれなさそうだ。
ここは一度頭を冷やしてもらう以外あるまい。
「大体理解した。時間を無為に過ごすのは好きではないでの。
とっとと終わらせようぞ」
「舐めるなっ!」
キミークは叫ぶや否や長剣をするりと抜いた。
胸の前から真っ直ぐに、こちらを貫くように剣を突き出す構えを見せる。
どうやら性格と同様に突撃スタイルの戦い方を好むようだ。
「はぁっ!」
などとこちらが分析している内に、キミークは気合の入った掛け声とともに一気に距離を詰めてくる。
突撃だと分かっているのなら対応は容易い。
二振りの斧を手に、相手の勢いをいなしながら右側に飛び退る。
突撃中は勢いを殺せない。キミークの背後ががら空きになったところを攻め立てようと攻撃の構えに移行したところで、不意に悪寒が過ぎった。
キミークは軸足を強引に捩じる事で、無理やりに方向転換を果たしていた。既に我の方を向き、次の突撃準備が終わっている。
我がそれを理解するよりも早く、二度目の突撃が敢行されていた。
咄嗟に斧を盾代わりに防御の構えを取る。猛然とぶつかってくるキミークの突撃の威力は凄まじかった。体重が伴う分エンペルボアの方が重い一撃ではあったが、キミークはそれを加速度で補っていた。結果、トータルの威力はエンペルボアに勝るとも劣らない威力となっている。
正面からぶつかっては分が悪い。
こちらも強引に刃先をずらし、衝撃をキミークごと横へ受け流す。
だが、キミークはすぐにまた方向を我の方へと戻してきた。
なるほど。これがキミーク・ケリーの必勝の技というわけだ。
相手が倒れるまで執拗に続けられる猛攻。
これはたった一人を相手にするより、集団をまとめて弾き飛ばす為に使われそうな技だ。
それだけの活躍が期待できるからこそ、隊長の地位に上り詰めたのだろうと推測できる。
「どうした。避けるだけか!」
「いや、もう十分だ」
我を囲うように突撃し続けるキミークから挑発が浴びせられるが、もうどうでもよかった。
何故なら、攻略法は既に浮かんでいるからだ。
キミークの突撃から反転までの間に、正面から向かい合う。
そしてキミークが次の突撃に移った直後、我は二振りの斧を壁になるように地面に突き刺し、一歩退いた。
地面に突き立てた斧は壁とはなりきれず弾き飛ばされるが、一瞬の隙は生まれる。同時に、斧にぶつかる事でほんの僅か体勢にブレが生じる。
すかさずしゃがみこみ足払いを仕掛けた。僅かなブレを、ほんの少しだけ後押しするように。
「なぁっ!?」
キミークは悲鳴とともに大きくバランスを崩した。
元々強引な転進を繰り返す攻撃方法は身体……特に脚への負担が大きい。リズムが壊れた事で、そのダメージが一気に全身を襲ったはずだ。
後はもう、上から組み伏せて関節を締めれば勝敗は決した。
「これで良いかの?」
「はい。ありがとうございました」
下で悶えるキミークを放って、レイニーに確認を取る。レイニーは特段悲しんだり笑ったりといった表情は見せず、静かに頷いていた。
こうして、面倒ごとを終えた我は意気揚々と帰宅するのだった――
【お知らせ】
いつも読んで頂きありがとうございます。
予定より執筆作業が捗っており多少の余裕が出てきたので、更新頻度を上げたいと思います。
現在【水・土】→来週から【火・木・土】
混乱させてしまい申し訳ありませんが、引き続き応援して頂けると幸いです!




