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三十九話:――とあるおはなし⑥

「――第三防衛線、崩壊。天津、残り一つだよ」


 高台から連絡が飛ぶ。一から四まである、土魔法による防衛線が崩壊したという報告だった。

 天津は、その報告を地図の前で聞き、駒代わりの小石を一つ動かした。同じく地図上にある木の枝は防衛線だろうか。そのうち一つを、天津は忌々し気に取り払う。

 本陣を表す一枚の銅貨に、着実に近づいてくる小石。それは紛れもなく、天津たちにとっての破滅の足音のそれであった。

 だからこそ、天津は半ば神に祈るような形で到来を待っていた。

 最強の勇者と、魔王を。

 そんな時だった。


「……天津、第四防衛線前方に魔法陣の展開を確認。――デカい。これは大魔法」


 気の抜けたような報告が、天津の耳に飛んできた。

 大魔法。その三文字に、天津はたまらず席をけ飛ばすように立ち上がった。こうしてはいられない、と小さく呟いて、天津自身も観測者が戦場を観察している物見櫓へと昇る。

 そして、目にした。

 空に浮かぶ小さな二つの黒点。そして、そこから広がる魔法陣。――そして、迸るような魔力。


「……やっと、か」


 力が抜けたのか、物見櫓にへたり込む天津。そんな天津の耳に、声が届いた。


『凍れ』


 少なくとも三キロは離れているのに、なぜか聞こえる声。しかし、そんなことなど、彼らはいともたやすく行えることを天津は知っていた。

 そして、天津がほっと一息をつく傍らで――。


 十の層からなる氷の壁が、天津らと教会の兵に、隔絶の二文字を突き立てたのだった。



「……ほんと、いつ来るのかとドキドキしてたわ」

「いや、俺もまさかこんな早朝から侵攻が開始されるとは思ってなかったから」


 そう言いながら、俺は先ほど魔法で作り上げた氷壁を見つめる。実際には、その先の兵隊の動きを見ていたのだが、それは置いといて。

 兵たちは慌てふためき、しかし氷壁を壊そうと奮戦していた。ある者は槍で、ある者は剣で、ある者は魔法で。

 だが、氷壁は崩れるはずもない。炎系の魔法が着弾した地点が少し溶けて、それが幾重ともなると壁に穴が開くが、それでも一人分なうえに、十枚ほどそれが続く。

 時間稼ぎ、という側面で言えば、完全に俺の勝ちだ。どれだけ短く見積もっても、今のペースでは一時間はかかるだろうし。それだけあれば、送還の魔法を使用するための準備は確実に整う。


「……じゃあ、魔法陣を描きに行くぞ、ヒョウゲツ」

「ええ。楽しみね、チキュウ」

「ああ、俺もヒョウゲツとの地球での生活を想像すると楽しくて、なんだかウキウキしてしまう」

「ふふふ」

「あはは」


 もはや勝利は確実。

 なれば、あとやることは――明るい未来設計だけだ。


「……一日で変わりすぎじゃないか?」


 何よりも楽しいお話をしていた俺たちは、あきれて何かを言っていた天津など思考の端にもおかず、そのまま古びた教会へと足を運んだ。

 遠巻きから見ると、かなりぼろっちくみえたが、実際近くで見てみるとそうでもない。寧ろ、外見こそ古びているものの、建物としては確実に生きている、と確信できる程度には健在だった。

 中に入ると、その印象が正しいものであったことを知る。

 ステンドグラスは割れているものの、講堂はかなり立派なつくりであり、ちょっとやそっとじゃ壊れそうにない。


「とりあえず、椅子をどかして中央に魔法陣をかこうか」

「ええ、そうね」


 三人掛けの長椅子を押しやって、三十数人が入りそうなくらいのスペースを確保する。

 そのまま魔法陣の作成作業に入るが、石畳は凸凹があって上手く魔法が発動しない可能性があるため、土魔法で床を平らにする。

 あとは、チョークのような何か(製法としては、貝殻を砕いたものを蝋か何かで固めたものらしい)で魔法陣を作るだけだ。ところどころに、儀式的な意味を持つ呪具を置くのを忘れない。


「……よし、これで完成だな」

「ええ。やっぱり一回見てるとだいぶ楽に終わるわね」


 ヒョウゲツが微調整を行いつつ、そんなことを言った時だった。

 教会の扉を勢いよく開けて、天津が飛び込んできた。


「想像よりも敵の進行が速い! 龍にのった騎士の襲撃が来ている!」

「……飛竜騎士なんて、国軍にしかいねーんじゃなかったのかよ……」

「なんにしても、速くここに全員を集めなきゃいけないわね。空からの敵は厄介だし」


 俺と天津は、ヒョウゲツの言葉に頷いて、クラスメイトを教会へと案内することにした。

 俺が唐突に顔を出したことに驚くクラスメイトや、敵が怖くてただただ震えているクラスメイトもいた。――接したクラスメイトはたくさんいたが、誰もが一つの感情を抱いていたことが俺にはわかった。

 すなわち、恐怖だ。

 早くこの世界から帰りたい。クラスメイトの誰もが、そんな感情を言動や態度から滲ませていた。


「……まぁ、碌な世界じゃないよな」


 最後の一人を教会まで案内し終えた俺は、入口付近に立ちながら万が一に備えていた。

 一応、結果を張れるクラスメイトがいたので、上空には結界を張ってはいる。それでも、結界を突破して、飛竜騎士がこちらに侵入してくる可能性ももちろんあるからだ。

 ……まぁ、遠目から様子を見たけど、万が一にもそれはなさそうではあるのだが。不安がっているクラスメイトを安心させるためのパフォーマンスとして、天津が用意を終えるまでここにいよう。

 ちなみに、ヒョウゲツには少し隠れてもらっている。もしかしたら敵がいると判断して攻撃されるかもしれないからだ。

 まぁヒョウゲツなら大丈夫だろうが、魔法陣を壊されたらたまったものではない。そう言う判断から来る対応だった。


「――揃ったな?」


 天津の声が響く。この場にはクラスメイト全員がそろっているかどうかを軽く見渡して、さらに天津は言葉を発した。


「最初に行っておく。俺たちは今から地球へ帰還するが、この世界に残っておきたい奴は遠慮なく手を上げて欲しい」


 そう言いながら、天津は魔法陣の中に入っているクラスメイトを見渡す。しんとした空気の中に、こころなし暗いものが混ざっているよな気がした。

 それはきっと、この世界に対する恐怖だろう。俺はそう思った。

 ……案の定、と言うべきか。三十秒待っても、誰も手を上げなかったのを見て天津はさらに言葉を紡いだ。


「では、地球へと帰る魔法を発動させる――前に、一人だけ紹介しておきたい人がいる」


 何故この時に、とクラスメイトから焦燥交じりの声が飛ぶ。それだけ教会の兵が恐ろしいのだろう。

 その声に対して、天津は諭すような声で。


「この人がいなければ、君たちは異世界から地球へ戻ることができなかった。いわば俺たちにとっての恩人だからだ」


 そういった。

 恩人ともなれば、さすがにクラスメイトも閉口するしかない。早く紹介しろ、と雰囲気と目線が物語る中、天津の隣にヒョウゲツが立った。


「ヒョウゲツさんだ。今回の企画立案者でもある」

「でも? でもって何よ?」


 女子生徒の一人から、そんな声が飛んだ。

 天津は女子生徒に目を向けながら、冷静に話し始める。


「地球渡航へと成功した暁には、ヒョウゲツさんも君たちと一緒に地球へ降り立つことになる」


 そのことをわざわざ説明する必要があるのか、といった過去の俺の疑問がよぎる。

 天津に言わせれば、異世界の人間が地球に来たことを認識するとパニックになりかねない、とのことだった。平和な状況になったのに、知らない人で、しかも確実に普通の人間ではない存在がそこに居たら確かにパニックにもなるだろう。

 だからこその説明だった。


「だから、彼女があちらにいたとしてもパニックを起こさないでくれ」

「でも、その女が敵のスパイだったとしたらどうするんだ!」

「それはない。何故なら彼女は――そこにいる佐藤の恋人だからな」


 クラスメイトが唖然とした顔でこちらに振り向いた。

 俺は多数の視線にさらされる恥ずかしさに頬をかいて、何か言葉を求めているであろうクラスメイトに対して、適当に言い放つ。


「ヒョウゲツは確かに俺の恋人だ。信用はできる。あり得ないことではあるが、仮に暴れたとしてもすぐに止められるから安心しろ」

「……普通オブ普通って言われてたお前が、そんなことできるのかよ?」

「できる。一か月前の事件、収束させたのは何処の誰かくらいは天津から聞かされてるだろ?」


 そう言うと、食ってかかってきたクラスメイトは口をつぐんだ。


「……まぁ、そういうわけで、よろしく頼む。――さて、本題に入ろう」


 天津が話の流れを元に戻す。


「今から転移する。それぞれ、心残りはないな? 忘れ物もないな?」


 方々から声が上がり、天津は満足げに頷く。


「では、展開準備をしよう。佐藤、ヒョウゲツさん、準備を」

「ああ」

「ええ」


 誰為栄光フォー・サムワンズ・グローリーを発動させ、俺とヒョウゲツのステータスを相互加算する。

 俺たち二人から魔力が立ち上り、まるでオーロラのような帯を作り出す。

 クラスメイトから感嘆の声が漏れるのを端に、ヒョウゲツと最後の打ち合わせを行う。


「まず、俺が転移魔法を発動させる。前回の例を見ると、転移が実行される直前までにヒョウゲツが別の世界に移っておけばいいわけだ」

「前回の様に送還魔法を私にかけるのよね?」

「ああ、そうだな。で、一瞬のうちに地球につくと思うから、俺はあちらで速攻で魔法陣を描く。ヒョウゲツはいつでも飛べるように、魔法陣に魔力を注ぎ込んでおいてくれ」

「ええ、わかったわ。……じゃあ、やってやろうじゃないの」

「ああ、やってやるさ」


 ヒョウゲツの頬を一度だけ撫でて、俺は魔法陣の中央に立つ。


「……起動せよ」


 開始のキーワードを告げると、魔法陣は淡い青に色づいた。循環する魔力がそこに吸収されていき、色は次第に深いものへと変化していく。


「青き海なる世界は、我らの翼。翼は駆け、我らに栄光を与えたもうた。――もう頼ることはない。翼は使命を果たし、悠久なる風と共に旅路へと。なれば、青き海なる世界への航路を、我らはいざ開かん」


 低く響く音が鳴り響き、魔法陣の光は強いものになっていく。

 天津の指示が送られたのか、魔法陣にクラスメイトの魔力がどんどん注がれていく。充填率はどんどん高まっていき、凄まじい魔力量が魔法陣に加算される。


「……ヒョウゲツ」

「また後で、サトウ」

「ああ、また後で。―――さぁ開け。扉よ。門よ。翼の旅路よ。《送還術式:世界門》」


 瞬間、俺はヒョウゲツへと異空間への送還魔法を放ち、無事にヒョウゲツは召喚魔法陣の中へと飛ばされる。俺は笑顔でそれを見送り、魔法陣へと一気に魔力を込める。

 あふれる光に世界が塗りつぶされる様に。視界は白く滲み、意識がやがて薄れる。すべてをどこまでも白く白く染め上げ、やがて意識すらも白く染め上げる。


「……もうこんな世界くそくらえだ。じゃあな」


 俺は世界に悪態を放ちながら、意識を手放した。

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