四十話:エピローグ
……国語のテストが三十五点なのを、どう説明しようか。
俺は、そんなことを思いながら、桜が並び立つ通学路を北に進んでいた。
もちろん、その先に在るのは我が家。
「あ、そう言えばお遣い頼まれてたんだっけ」
ふと思い出して、ポケットからメモを取り出す。そこには、少し不慣れな日本語で、今日買ってきて欲しいもの、と書かれていた。
卵、牛肉、長ネギ、しいたけ、白滝、しょうゆ、みりん。――さては、今日のご飯はすき焼きか?
それは楽しみだ。あいつの作るすき焼きはとても美味しいから。……いや、もちろん他の料理もおいしいし、あいつの作る料理は全部俺の好物になりつつあるけど、それは置いといて。
財布の中にいくら入っているかを確認しなければなるまい。もし足りなかったら、コンビニATMでいくらかおろさなきゃいけないし。
「……随分と使い走りが板についてるんじゃないか、佐藤?」
「なんだよ天津。嫌味だけ言いに来たのかよ」
「いや? ただ、幸せそうだよな、と思って」
「は?」
「いや、本当だって。自分では気づいてないかもしれないけど、一か月前から比べるとだいぶ丸くなってるぜ、お前」
そう言われると、もしかして本当にそうなのだろうかと思ってしまう。試しに自分の頬をさすってみたりするけど、確かにちょっとだけ口角が上がり気味になっている気がしなくもない。
いや、きっとそれはすき焼きが俺をそうさせているだけであって、断じて幸せそうな表情を表に出してるわけじゃない。……そう信じたい。
「にしても、もう一か月か」
「……いや、あの時は本当に大変だったな。教室に放り出されたはいいけど、当時から十分だけ時間が過ぎてて、様子を見に来た他クラスの先生にちょうど出くわしちゃって」
「ああ、そんなこともあったなぁ」
……あれは、確かにひどい事件だった。
空中から突如として出現した生徒。チェレンコフ光めいた、青白い奇妙な光をまとった生徒。それらを見て、キャパシティーがオーバーしたのだろう。ばたんきゅーであった。
「まぁ、あれ以外は主だった事件がなくてよかったよ。ヒョウゲツさんも無事こちらに召喚できたしな。裸だったのは驚いたけど」
「……見てないよな?」
「見てないって! だから魔法を指先に灯すのを止めろ!」
「……ならいいんだが」
もし仮に見ていたら、その時は天津の脳をいじってその記憶を消さなければいけないところだった。見ていないならまぁいいだろう。
……さて、あれから一か月が経った。
無事、俺たちは異世界から帰還し、もともといた教室に放り出された。大半が気絶していて、俺や天津、柊木といった、それなりに力をつけていた奴らだけが意識をすぐに回復させた。
そんでもって、俺はすぐに召喚術式を展開。天津たちも手伝ってくれて、展開と行使までには十秒もかからなかった。
一瞬、眩いまでの光に覆われた教室。あまりの光の強さに目を閉じた俺たちは、一分が経過するまで何もロクに見えなかった。
そんな俺たちを見て、何か笑った。――と思ったら、抱きしめられた。
手に当たるふさふさとした尻尾の感触。お日様のようなにおいと、シトラス系のさわやかな匂い。体温、柔らかさ。――わからないはずがなかった。
「……にしても、異世界からこちらへ召喚できるなら、俺も一人か二人くらい恋人作っておいても良かったかもしれないな」
「…………え、ちょっと待て。お前柊木は?」
「……………。内緒にしといてくれ、佐藤」
「いや、内緒にするも何も。な、柊木?」
天津の後ろで、こくりとうなづく柊木。顔は笑顔だが、背後に修羅が立っている様な気がして――。俺はそそくさと、身体強化を使って逃げ出した。
背後では、悲鳴が鳴り響く。
◇
「ただいま」
買い物を済ませて家に帰った俺は、真っ先にリビングへと向かう。そこでは、母が裁縫をしていた。形を見るに、エプロンらしい。
俺用のものでもなければ、父のものでも母のものでもない。ともすれば、考えられるのは――。
「お帰りなさい、サトウ」
鈴のような声が、キッチンの方から響いた。
銀の髪に、狼の耳と尻尾。身にまとうのは、俺のお古のエプロン。料理をしていたのか、髪はポニーテールにしていて、魅惑のうなじが露わになっていた。
「ただいま、ヒョウゲツ」
「今日はスキヤキにしようと思ったんだけれど……よかったかしら?」
「母さんの許可さえもらってれば大丈夫だ。な、母さん」
「ヒョウゲツちゃんが作りたいって言うんだもの。お母さんにそれを妨げる理由はないわ~」
などと言いながら、ニコニコとチクチクと針を布へと通していく母。そして、糸を結んで、軽くエプロンを広げる。出来を確認しているのだろうか。
ともかく、母的にはあれで満足らしい。出来上がったエプロンをヒョウゲツに差し出す。
「はい、ヒョウゲツちゃんのエプロンよ」
「わぁ、ありがとうございます、お母様!」
「サイズが合わなかったら言ってちょうだいね。調整するから」
「ええ、はい。ではさっそく……」
ヒョウゲツは、俺のエプロンを外し、母のエプロンに袖を通した。
全体的に黒で出来たエプロンで、裾の方にはデフォルメされた狼のアクセサリがついていた。
……それにしても、何というか、その。
「……母さん、それ」
「え、ええ。ちょっと予想外だったわね」
「あの、ちょっと胸元がきついというか、何というか……」
そう、胸元がぱっつんぱっつんなのだ。
おそらく、母は一か月前、我が家に来た時のヒョウゲツの身体データをもとにエプロンを作成したのだろう。……で、それで合わないということは。
「いやー、好きな人に揉んでもらうと大きくなるっていううわさは本当だったのね?」
「お、お母様っ!」
「………ちょっと言葉を選ぼうよ、母さん」
「でも、そう言うことでしょう? 私、知ってるんだから。毎夜、ヒョウゲツちゃんが夜這いを仕掛けて――」
「それいじょうはいけない」
俺が慌てて母さんの口をふさぐ――が、時すでに遅し。
ヒョウゲツは顔を真っ赤にしていた。耳も尻尾もぴんと立っていて、明らかにやばい前兆が表れている。……心なしか、魔力が高まっている気がするのは、勘違いであってほしい。
「で、孫の顔はいつ見れるのかしら」
「――~~~~~~っ!」
そして、ヒョウゲツは決壊した。
風魔法が吹き荒び、俺はことごとくを術式破壊の魔法で崩していく。かたかたと家具類がかたつく程度に終わったからいいものの、あのままだと家の半分が吹き飛んでいたかもしれない。
俺はほっと一息を吐いて、ヒョウゲツの手を握る。
「落ち着けって」
「サ、サトウ……」
「ほら、なんだ。そう言うことも話し合わなきゃいけないけどさ、俺、腹がペコペコなんだ」
「……あ、確かに、お腹の虫が鳴ったわね」
「だろ? だからさ、速く作ってくれよ。俺、ヒョウゲツのすき焼き楽しみに待ってるからさ」
俺がそう言うと、ヒョウゲツはほほ笑んで手を握り返してくる。
そして、一気に顔を近づけて、俺の唇に、自分のそれを軽く触れさせる。
「ええ、待ってなさい、サトウ。腕によりをかけて鍋をつくってあげるんだから!」
「おう、待ってる」
そう言いながら、ヒョウゲツはキッチンへと消えた。
「……アツアツよね、あなたたち」
「まぁ、な」
「ま、末永く幸せに暮らしなさいな。あと、孫報告はお父さんじゃなくてまず私によこしなさい」
「だから気が早いって……」
「でも、乾く暇がないんでしょ? 割とすぐなんじゃないかしら」
「言い方、言い方! あと声が大きい!」
キッチンの方で何かが倒れる音がした。ヒョウゲツが転げたのだろう。……かあさんのことばが原因で。
「……ヒョウゲツ、耳がいいんだからね」
「ええ、わかったわ。次からはテキストチャットで進捗を聞くわね!」
「そう言うことじゃない!」
母の笑い声がやけに、苛立ちを俺の中に呼び起こした。……少しはブレーキをかけて欲しいと思うのは、きっと我がままではないはずだ。
◇
その後、すきやきを堪能した俺は、寝室でヒョウゲツと一緒のベッドに入っていた。お風呂に入ったせいか、全体的に体温が高い俺たち二人は、冬ということもあって、抱きしめ合って寝転がっていた。
「……暖かいわね」
「ああ、そうだな……」
言葉をかわしながら、ヒョウゲツを撫でる。耳がひょこひょこと動いているのは、嬉しい証拠だ。心地よい場所を撫でてあげると、より強くひょこひょこと動くので、ちょっと楽しい。
はふぅ、ふへぇ。といった気の抜けた声を出しながら、ヒョウゲツは俺のなすがままにされていた。
「こうして、サトウの故郷で一緒に寝ることができるなんて、想いもしなかったわ」
「幸せか?」
「ええ、幸せよ」
「……なら、よかった」
ちょっとだけ強く、ヒョウゲツを抱きしめる。
ヒョウゲツのにおいが鼻腔に強く入ってきて、とろとろと自分の体がヒョウゲツと一緒に溶けているような、奇妙な感覚に襲われる。
「……まるで夢みたいだよな」
「ええ、そうね。――ねぇ、サトウ」
ヒョウゲツは、上体を起こして、窓から夜空を見上げる。
そこには、まるで氷の様に透き通った色の月があった。
氷月だった。
「不安なこともあるわよね」
「戸籍とかな」
「怖いこともあるわよね」
「ヒョウゲツが風邪とか引いたらどんなことになるんだろうな、っていう心配はある」
「でも、それでも」
――これから、楽しみよね。
そう言ったヒョウゲツの顔は、今までのどんな顔よりも幸せそうで。
今までのどんな顔よりも、未来を見ていたと俺は思う。
「私ね、以前サトウが言ってた遊園地って場所に行ってみたいわ」
「おう、時間を作って連れて行ってやる」
「あとね、いろんな料理を食べてみたいの」
「これから何十年とあるんだ。いろんなところに食べに行こうぜ」
「ええ、ええ。そうね、いろんなところに行って、いろんなことを経験したいわ。――あなたといっしょに」
ヒョウゲツはにこりとほほえんで、俺の胸元へと倒れこんできた。
「……その時に、娘か息子がいれば、もっと楽しいと私は思うの」
「………いや、確かにそれはそうだけど」
「だから……ね?」
ヒョウゲツは、ゆっくりと俺のほうへと顔を近づけてくる。
「――お母様に、孫の顔を見せてあげましょう?」
氷月の夜。
俺はヒョウゲツと深く愛し合った。
これからの未来を祝う様に。
そして、今を刻み付けるように。
二か月、お付き合いいただいてありがとうございます。
これにて当作品は完結となります。
楽しんでいただけたでしょうか?
ならば作者みょうりに尽きます。ありがとうございました。
よろしければ、今後も応援してくださると幸いです。
……では、この一年が皆様にとって幸多きものでありますようにお祈りしまして、締めの言葉とさせていただきます。
また逢う日まで。 駄犬




