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三十六話:――とあるおはなし③

「――私には気配がわかるの。魔物の、そして勇者の。それは魔王にとって、生まれた頃から備わる技能よ」


 唐突に、ヒョウゲツは切り出した。顔に浮かべる慈愛を隠さないまま。

 その顔には、なにか確信めいたものが浮かんでいた。


「そして勇者であるサトウは、本能的に魔物の存在の有無を感知することが出来る。古くからある文献にはそう載ってたわね」

「なに……を……」

「……サトウ。あなたは既に、元の世界へ戻る準備が九割九分九厘完了している。……そうでしょう?」


 唖然とした。それは、ヒョウゲツから述べられた言葉が荒唐無稽なものだったからではなく――正鵠を射ている言葉だったからだ。


「で、残りの一厘――それが私ってことよね?」

「……」


 そうだ。異世界人が元の世界へ戻るためのプロセスは大きく分けて三つ。

 一つ、異世界へ帰還する魔法陣を描く。

 二つ、描いた魔法陣に見合う魔力を魔法陣に注ぎ込む。

 三つ、魔物に連なるものをこの世から排除する。

 このうち二つは既にクリアしている。前者は俺が覚えているし、後者はクラスメイトの力を借りれば魔力は事足りる。

 だが、三つ目。これがある限り、俺は――クラスメイトは異世界から地球へ戻れない。

 何故ならば、いくら年月を経て、勇者と共に過ごしたとしても。

 ヒョウゲツが生まれ持った性質――魔王と言うものは変わりようがないのだ。

 魔王は即ち、魔物を統べる存在であり、自らも魔物の性質をうけついでいる。

 もちろん例外もいるにはいるのだが、前回の帰還時にヒョウゲツが邪魔だったことを考えると、例外など当てはまるはずもなく。


――簡単に言おう。

 俺は今、ヒョウゲツをもう一度封印するか、それともこのままヒョウゲツと暮らすか、の二択を迫られている。


「サトウ。貴方が望むなら、私は封印されても構わないし、何なら殺されても構わないわ」

「なっ――」

「でも、そうはしない。私は、今までの検証の結果をもって、その証明とすることにするわ」


 いつもと変わらない表情に戻ったヒョウゲツ。そんなヒョウゲツを見ていると、今まで深刻な顔をしていた俺がなんだか馬鹿らしくなるようで。

 ……ああ、馬鹿らしくなって、全てを投げ出してしまえたらどれだけ楽なのだろう、なんて思った。突拍子もない未来なんかを想像してしまう。

 例えば、俺とヒョウゲツが、地球で暮らす、みたいな。

 あり得ない話だ。それは夢物語だ。


「……サトウ、私がキめようとしてるのにそれはちょっとないんじゃない?」

「……でも」

「でも、もなんで、もない! 耳をかっぽじってよーく聞きなさい!」

「……?」


 そう言うと、ヒョウゲツが取り出したのは何やらいろいろ描きこまれた紙。そこには、いつぞや使った【付与極術・誰為栄光フォー・サムワンズ・グローリー】が起動する際の魔法陣が描かれていた。

 ……どういうことなのだろう。

 俺が注視していると、ヒョウゲツは魔法陣を指さして、耳をぴんと立たせた。得意げな時の態度だ。


「この術式――付与極術・誰為栄光フォー・サムワンズ・グローリーには一つの特徴がある。それは、対象者とのパスが断絶された後も、三十秒だけその効果が持続すること。これはありとあらゆる方法で対象者が消失したとしても変わりない特徴よ。ここあたりは術者であるサトウが良く知るところでしょう?」

「……まぁ、ちょっとはな」


 でも、この術式で事態が好転するはずがない。俺はそう思っていた。

 思ったよりも俺が召喚された魔法陣、及び帰還に使われた魔法陣は完成されていて、俺では改良すらできなかった。――あれは完成品なのだ。改良の余地がない。

 ふたたび俺の心が落ち込んでいく。

 だが、それをヒョウゲツは許さない。


「次に取り出したるはこの魔法陣。この魔法陣が何のための魔法陣かは、わかるでしょう?」

「……召喚と帰還の魔法陣だ」

「正解よ。そしてこの二つの魔法陣の構成術式は対になっている。それも知ってるわよね」

「召喚の魔法陣の正反対の術式を、帰還の魔法陣は有している。”送”と”還”の性質が裏と表のような、正反対のものだから、魔法陣もおのずとそう言う術式になってくる――違うか?」

「勿論正解よ」


 じゃあ、どうするんだよ。と妙にささくれ立つ心を抑えて、ヒョウゲツの説明に耳を傾ける。

 ……どうしてだろう。今この瞬間、俺の心に巣食っていた疑心と言うものは薄れていた。

 いや、むしろ、ヒョウゲツの言葉を信じている様な――そんな節さえある。


「じゃあ、例えば。この魔法陣を同時に使えばどうなるか?」

「それは効果がなくなる。”送”と”還”の力が反発するからな」

「ええ、そうよ。あくまで今この状況では――ね?」

「……この状況では?」


 俺がそうつぶやくと、ヒョウゲツはニヤリとその相貌を崩した。


「”送”の力と”還”の力の方向が真向かいだから、衝突して効果は無くなる。じゃあ、この方向を一緒の方向に向けたらどうなるか。まぁ、簡単よね。効果はより高くなる」

「……できたら、の話だけどな」

「できるわよ。ただの一つだけ、”結果”に向かう力が同一の方向へ進む場合がある」

「………。まさか。いや、それこそ夢物語じゃないか?! 聞いたことないぞ――!」


 図書館の話にも、こんな奇天烈でいっそアホらしいまでの発想はない。


「――ヒョウゲツ。まさか地球に戻った俺に、ヒョウゲツを召喚させるつもりか?!」

「ご明察!」

「ご明察! じゃすまないぞ! いくら何でもそれは不可能だ! 第一魔力が足りな――」


 そして気づく。そのための付与極術・誰為栄光フォー・サムワンズ・グローリーであり、そのために遅延ディレイの説明があり――稀有な、というよりも唯一無二のシチュエーションについての話があった。

 要するに、ヒョウゲツが言いたいことを纏めるとこうだ。


 1、俺を地球に送還する。ここで付与極術・誰為栄光フォー・サムワンズ・グローリーを発動させる。

 2、地球に戻った俺は、すぐさま召喚魔法陣を描き、ヒョウゲツを呼び出す。


 3、付与極術・誰為栄光フォー・サムワンズ・グローリーで増幅した魔力で、”送”と”還”のそれぞれの魔法を発動。

 地球からヒョウゲツを呼び寄せる魔力と、異世界からヒョウゲツを地球に戻そうとする魔力で効果を倍増させる。


 4、晴れてヒョウゲツは地球に転移。およそここまで三十秒。


 これが可能であれば、ヒョウゲツは俺と一緒に日本に来ることができる。それは、俺の夢見た理想と違わない。

 でも……。


「この方法には欠陥が二つ存在する」


 俺の思考を先回りして、ヒョウゲツは二本指を立てた。

 そのうち一本を折り曲げて、自分を指さす。


「いち。そもそも私がここにいる限り、帰還の魔法陣は発動条件を満たさない」


 そうだ。ヒョウゲツという魔物に連なる存在がこの世界に居る限り、魔法陣は発動しない仕組みになっている。そこを改ざんしようとすると、さすがに俺とヒョウゲツが十人いようとも魔力が足りなくなってしまう。

 そこまで俺が理解しているとヒョウゲツはわかっているのだろう。一つ深く頷いて、二本目の指を折った。


「に。私が地球に”戻る”資格、権利、あるいは条件を有していない」


 俺が”地球”に住んでいることについての、許可証のようなものがあるとしよう。俺は当然それを有しているので地球に戻ることができる。

 おそらく、勇者召喚される際に許可証のような何かが付与されるのだろう。俺はこの世界に対する通行許可証のようなものも持っている。

 しかし、ヒョウゲツはこの世界に対する許可証しか有していない。それでは地球に戻れないことは、過去に科学文明に憧れて地球に渡ろうとしてできなかった研究者の話があるから明白だ。

 ……じゃあ、この許可証とは何なのだろう。いかんせん抽象的すぎてわからない。


「実を言うと、この二つはもうすでに解決している問題よ」

「は?!」

「単純な話よ。一つ目は、”この世界”から私がいなくなればいい話。つまりは、以前サトウがやったように、召喚魔法陣に私が入り込めばいい。二つ目に関しては……誰為栄光フォー・サムワンズ・グローリーが解決してくれる」

「……一つ目はわかる。召喚魔法陣の中でも魔法は使えるらしいしな。でも、二つ目はどういうことだ? 資格、権利、あるいは条件を満たしうる何かになるのか?」

「魔力は人それぞれ。似ている魔力の波長でも、よく見てみればどこかが決定的に違うものよ。でも、魔力共有状態ならどうかしら。許可証が魔力だとしたら、許可証が私に付与される、といった認識でもおかしくはないんじゃないかしら」

「……だとしても、魔力が許可証だと確定されたわけじゃない。これは賭けに近い――」

「――と言うと思ってたわ」


 へ、と気の抜けた声を漏らす俺を尻目に、ヒョウゲツは召喚魔法陣からゴーレムを召喚して見せた。

 普通のゴーレムだ。石造りで、ちょっとずんぐりむっくりとしている、巨人のようなゴーレム。だけど、そこには明確にヒョウゲツのゴーレムであるという、狼の紋章が掘りこまれていた。


「例えば、私が日ごろ使ってる召喚魔法陣って、冷静に考えてみれば魔法陣はみんな一緒なわけじゃない? じゃあ、だからといって、私の召喚魔法陣の中にいるゴーレムを、サトウが召喚できたりするのかしら?」

「……それはできない。召喚魔法陣の中にしまわれているものは、術者以外にどうしようもない」

「じゃあ、同じ魔法陣から異なる結果が生じているのって、明らかに何らかの外的要因が働いているじゃない。周囲の環境? 周囲の魔力濃度? 魔力量? 得意とする属性? ――ほかにもあるけど、ある一つの要素を除いて、全部が全部、同一の状況が合致することは確率的にあるのよ。でも、これまでの歴史で、誰も他人の召喚魔法陣の中から何かを取り出すことはできなかった」

「だから、魔力が許可証のようなものになっている、と?」

「部分的なものかもしれないわね。全部ではないと思うわ。それでも――少なくとも、魔力が許可証のようなナニカであることは説明できるわよ?」


 だから、とヒョウゲツは自信満々に、穏やかなまでに呟いた。


「……サトウ。私と一緒に、この世界に残る?」


 それとも。ヒョウゲツは手を広げた。


「私と一緒に、《チキュウ》に帰る?」


 その姿は、さながら月。

 俺を暖かな優しさで、だけど静かに照らす月だった。


「方法はあるわよ? 理論も説明した。あとは、サトウ、あなた次第よ」


 選んで。


 ヒョウゲツは、優しく言葉を紡いだ。


 


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