二十一話:我が家の銀狼さま。
あれから、天津は回復した柊木と一緒に帰った。存外天津たちは強くなっていたらしく、この分なら、昼間の草原くらいなら難なく踏破できるだろう、俺はそう思った。
ヒョウゲツも同じような感想を抱いたようで、途中から警戒の度合いを下げていた。
ついでに軽く街で買い物をして、家に戻ってきた時には、ちょうどお昼に差し掛かっていたので昼食を作ることにした。大体はヒョウゲツに作ってもらう様にしているが、今日は何となく俺も一緒に作りたい気分だったので一品だけ作ることにした。
今日、俺が市場で手に入れたのはレタスに似たべキャーという野菜だった。語感が面白い作物だが、このべキャー、実はかなりシャキシャキとしていて甘みが強いのである。それこそ地球のレタスを凌ぐほどだ。
それをさっと冷水にくぐらせて、用意していた輪切りのマトマ――まんまトマトの、酸味がある野菜だ――とパンに挟む。そして仕上げに、ヒョウゲツが焼いていたハンバーグを乗せて、さらにマトマとべキャーで挟む。最後に、刻みニンツィオ――にんにく――と、1センチ角で切られたウォニン――タマネギ――とマトマを煮込んだ特製ソースをかければ完成だ。
異世界でも、なんだか似たようなものがあるパン料理。アメリカでこよなく愛され、日本で愛され、今やその勢力圏は世界中のどこにでも広がっている、禁断のファストフード――つまりはハンバーガーである。
「あら、屋台で見たことのある料理ね」
「厳密に言えば違うけどな。こっちのハンバーガーは、どちらかというとタコスに近いから……」
「たこす……?」
以前、少し大きめの公園でタコスの屋台が出ていた時に味わったことがあった。あれはあれで悪くは無いと思うんだが、それでも俺はハンバーガーの方が舌にあっていた。無論タコス派の人をけなす意図はない。
とりあえず食べてみて、と行動で語る。弱火でことことと何かを煮込んでいるヒョウゲツの料理は、煮込みという一過程に三十分もかかるそうだ。故に俺は、ヒョウゲツを椅子に座らせて、目の前にハンバーガーを出す。
ヒョウゲツは訝しげにハンバーガーを見つめながら、不思議な顔をしている。
「……匂いだと、ニンツィオの色が強いわね」
「まぁ、使ってる具材の中じゃいちばん匂いが強いしな」
口臭対策がなければ、翌日人に会う時などは食べられない代物である。しかし、往々にしてこういう料理は美味しいのだ……。そして、定期的に食べないと、がっつり摂取したくなるような性質がある。
実をいえば、今日俺がハンバーガーを作ったのもそういう欲求が湧き上がってきていたからだ。地球に戻ってやること五つのうちに、ファストフード店をめぐる、があるくらいには恋焦がれていた。
さて、そんなハンバーガーだが、たった今ヒョウゲツがパンズに手をかけた。ヒョウゲツの手によって、ご丁寧にゴマまで散らされてある。割と凝り性らしい。
そうして、そのまま口までハンバーガーを持って行くヒョウゲツ。俺はそれを、割とニコニコしながら見つめていた。……いや、ほら。なんか好きな人に自分の料理を食べてもらうのって嬉しくない?
きっとヒョウゲツもこんな気持ちだったんだろうなぁ、と思う。こんなに幸せなことがほかにあるだろうか。否、ない。
「……む」
かぷりと、小さな一口でハンバーガーを食べたヒョウゲツの表情がにわかに明るいものへと変わっていく。そのまま、はぐはぐと、大きいハンバーガーをあくまで丁寧に、それでも素早く食べていく。
そんなにおいしかったのだろうか。だとしたら嬉しいな、なんて思いつつ、自分に用意していたハンバーガーに食らいつく。……ファストフードっぽさは薄れたけど、これはこれでいいものだ。たまには作ってみるのもいいかもしれないな。
二口目を食べようと、口を開いたところで、ふと俺に刺さる視線に気が付いた。そこには、皿を空にしたヒョウゲツが、何かを欲しがるような目でこちらを見つめていた。……かなりきにいったらしい。どうやら食べ足りなかったようだ。
どうしようか……。俺のハンバーガーをヒョウゲツに分けるか? 確かに俺も食べたい気持ちがあるのは本心だが――。
「ま、いっか」
そう呟きながら、台所から金属製の串と包丁を取ってくる。そして、まだ九割ほど残っているハンバーガーを大体半分に切って、串で貫く。それをヒョウゲツの前へ差し出して、頭を一つ撫でながら俺は笑顔を浮かべる。
「食べるといい」
「……いいの?」
「ああ。俺の故郷の味を、ヒョウゲツが、おいしいって食べてくれるのは嬉しいしな。それに、何よりも。ヒョウゲツが、俺の作った料理を美味しそうに食べてるのを見ると、俺もうれしいし」
「そういうことなら、ありがたく頂くわ。……借り一つね」
以前に交わした、勇者・魔王の貸し借りは安くないぞ、といったテンプレートじみた会話を楽しみながら、ハンバーガーを食べるヒョウゲツを眺める。……口の端にソースがついてら。
「ついてるぞ」
「え、どこ?」
「ここだ……んむ。ソースもなかなかいい感じだな」
俺が手を伸ばして、指でソースをぬぐい取ってそれを軽く舐める。ソースの味がそれなりによく出来ていたのは、俺にとって割と嬉しいことだった。
上機嫌になる俺。そんな俺の真正面で、何かの雰囲気が膨らんだのを、俺は咄嗟に察知する。途端に弾ける雰囲気。逃げる俺。そして――組み敷かれた。
「サトウ……ああいうことを不用意にしちゃうのはまずいわよ……」
「ヒョウゲツ……?」
「……堪え切れなくなっちゃうじゃない」
……唐突に何を言い出すんだ、とばかりに、俺はヒョウゲツをジト目で見つめる。それでもヒョウゲツは止まる気配を見せず、むしろそんな視線など関係ないとばかりに、俺へと詰め寄ってくる。
普通はニンニクのようなにおいが漂ってくるはずなのだが、今はしない。……つまり、ヒョウゲツは今の一瞬で、風魔法にカテゴライズされる消臭魔法を使ったのだった。何たる力量、無駄に卓越した詠唱破棄!
素直にヒョウゲツに賞賛を送る――そして、ふと、そんな場合ではないことを思い出して、目の前のヒョウゲツを見つめる。
……目にハートマークが浮かぶ、といったのは漫画の中、あるいはライトノベルだけの表現だとは思っていたけれども、まさかリアルでこんな目を見ることになるとは思っていなかった。今のヒョウゲツはちょっとばかり――いや、かなりキているようだ。
「……ふしだらなのはわかってるわ。また今日も、っていう気持ちもわかるわ。――でも、抑えられないのよ。なんだか滾ってしょうがないの。きっとサトウが私をこうさせたんだわ。だったらサトウのせいね。ええ、そうに決まってるわ」
「お、おいヒョウゲツ……?」
「こんなふしだらな女は嫌かしら?」
「……いや、俺は大いに結構なんだけどさ、今昼間だぜ? さすがに爛れすぎというか、何というか――」
俺がそういうなり、ヒョウゲツは闇魔法を用いて、この家へと入り込む陽光を八割がた遮った。そうして広がる、かろうじて数メートル先が視認出来る程度の淡い闇で、ヒョウゲツが銀月のように立ち上がる。
まるで俺だけを照らすべく昇る月の如く――。
俺はおいしく頂かれました。……いや、些かばかり唐突だと俺も思う。それに、なんだか様子がおかしいようだったし。
一連の桃色の行為が終了したのちに、俺はヒョウゲツを詰問することにした。




