二十話:勇者の言うことを聞きなさい!
全体的に体がだるい。昨日のヒョウゲツに、きっと俺のスタミナは全部持っていかれたはずだ。……一体何時間くらい乱れていたんだろう。俺の体から出た汗がまだ乾ききっていないところを見ると、夜から深夜、早朝にかけてずっと乱れていたのだろう。
そんな乱れ方だ。ヒョウゲツもさすがに疲れたのか、今はベッドの中で穏やかな寝息を立てている。その表情は、いつもよりも緩んでいて、限りない安心を睡眠の中で得ているようだった。
これも、俺が隣にいるからだろうか。――そうだったら嬉しいんだが。
「……さて、このままというわけにもいかないな」
今も部屋に残る淫らな匂い。お互いのいろいろなものが混じりあって香り立つ、凄まじいまでの乱れた気配。――確信する。このままこの部屋に誰かに入られたら、まず匂いで気付かれる。
さて、どうしたものか――。そう考えて、一つの妙案を思いついた。部屋に取り付けられている窓を開いて……風魔法。家具を飛ばさないように調整しながら、部屋に残っていた空気を全部換気してしまう。
……鼻が馬鹿になっていなければ、の話だが、たぶん部屋の匂いは消え去っていると思う。そしたら次は、俺とヒョウゲツの体臭と、シーツの匂いだ。シーツは召喚魔法陣に一時保存して、とにかくヒョウゲツを起こすことにした。
「おい、起きろヒョウゲツ」
「んん……? サトウ……?」
瞬間、伸ばされる手。いくら俺といえども、俺に迫る身体能力を持つヒョウゲツの奇襲に対応することはできず、まんまと捕まる。そしてそのまま、人外の膂力で――優しく抱きしめられた。胸に埋まる形で。
夜にさんざん確かめたけど、本当に柔らかい胸に、俺の顔が挟まれている。温かくて、柔らかくて、でも弾力があって――。もうなんだか、この胸の中で眠ってしまいたい、そう思うほどにヒョウゲツの胸中は魅力的だった。が。
……俺は、天津や柊木に変な表情で見られたくない!
「おい、ヒョウゲツ。朝だぞ」
「……んん。サトウ……? 朝から……するの?」
「やりたい気持ちがあるのは否定しないけど、今は起きろ。さすがにこのままの状態じゃまずい」
「えぇ……。やりたいなら、やりましょうよ……。ここ、私たちの愛の牙城よ……」
「それはそうだけど! 今の状況思い出して……な?」
……そうして始まった問答。結果として、ヒョウゲツがしっかりと目を覚ましたのはそれから十分後のことだった。それからは、ヒョウゲツはしっかりとシャワーを浴び、俺は外で水魔法を使って行水――といった感じで、におい対策を進めた。
ダメ押しに、俺たちの部屋にはヒョウゲツが購入していた、シトラス系のさわやかなお香を炊くことで完全なる証拠の隠滅に成功した。……あとはこのまま、天津たちが降りてくるのを待つだけだが――。
「……お、おおおお、おはよう、さ、さとう」
……一瞬にして分かった。
こいつ、昨日何があったか理解してやがる。
「おはよう、天津」
「おはよう。ヒイラギは大丈夫なのかしら?」
「あ、ああ。ひ、柊木はまだ眠っている。――疲れたんだろうな」
一瞬だけ目が冷静さを取り戻し、柊木を心配するような色を帯びた。……昨日は放っておいただのあり得ない発言をしていたが、天津は天津なりに柊木のことを心配していたんだな。
そう思うと、なんだかほっとした。……このままいくと、将来、天津が後ろから刺されそうな気がしてならなかったからだ。柊木を慮る心を身に着けてもらえると、その可能性がだいぶ減る気がするので、天津にはこれからも柊木のことを大切に扱ってほしい。
「ねぇ、サトウ」
俺がそんなことを考えていると、ヒョウゲツが小声で俺に話しかけてきた。どうやら天津は、俺があれやこれやと考えているうちにトイレへと向かったらしい。その隙を見て、話しかけてきたらしい。
どうした、と答えて、ヒョウゲツが囁く内容に耳を傾ける。
「……あの様子、どう見ても昨日のアレ、バレてるわよね?」
「どう見てもバレてるな、あれは」
「あれほどわかりやすいと、逆にこっちの気が抜けちゃうわね。……ともかく、どうするの? クラスメイトにはあんまり知られたくないんじゃなかったのかしら」
「寝ぼけてた時に掛けた言葉なのによく覚えてるな。……まぁバレたもんはしょうがないさ。言わないでくれ、と言外に釘を刺しておけばいい」
それに、天津は人が言わないで欲しいことは言わないような人間性だ。バレたのが天津で良かったと思うと同時に、そもそも天津さえいなければ、こんな苦労しなくてよかったのに、とも思う。
「……とりあえず、朝ごはんの時にそれとなく釘をさしておくわね。こういうのは私のほうが得意だし」
「すまん、頼む」
「いいのよ。……こうやって、サトウに頼られるのも、何というか心地がいいし」
かわいいことを言ってくれるヒョウゲツ。思わず抱きしめてしまいそうになった時、トイレのドアが開く音が聞こえた。天津が出たようだ。
俺たちはさっと離れて、それぞれの定位置へとつく。ヒョウゲツは台所に、俺はリビングのソファに、といった具合で。
天津はどうするべきか迷った末に、ソファへ座ることを決断したらしい。俺の対面に座って、凄まじいしかめっ面を浮かべている。何かを言いあぐねているのか、口を動かしたり、視線を俺やヒョウゲツへと向けたり、俺の下半身へと向けたりしている。
わかりやすすぎる。
「……佐藤、一つお前に聞きたいことがある」
ようやく決心がついたのか、天津は俺へと話しかけてきた。視線は俺の下半身を向いたままだ。男に見られて嬉しいものじゃないし、むしろみられて気色悪さを感じているため、身をかがめて視線を合わせる。
その様子にたじろいだものの、天津は話を続けていく。俺にしか聞こえないように、小声で、である。ちなみにそんな小さな声で話していても、ヒョウゲツには丸聞こえであることは、今ここでは天津に教えないことにしておこう。
「はっきり言おう。――階段を上ったか?」
「……。お前、それを聞くの、マナーに反してるっていうのわかって聞いてるんだろうな?」
「ああ、承知の上だ。……それに、これは一応マナーの範疇だ、俺はそう思っている」
はぁ、と俺が怪訝な目線を送ると、天津は気まずそうな顔をしながら、ヒョウゲツのほうをチラ見する。
……あ、ヒョウゲツ、ずっとこっちをガン見してたのに、今の一瞬で元の体勢に戻したな。無駄な身体能力の使い方だ。まぁ、ヒョウゲツとしても、この話の行方は気になるのだろう。しょうがない話だ。そもそも、ヒョウゲツを交えてしなければいけない話なのだから、これくらいは許されてしかるべきなのである。
「……そういう関係だと事前にわかっていれば、俺もある程度の配慮ができただろう。耳栓をつけて寝る、とか。明朝に家を出ていく、とか」
「……まぁ、そうかもしれないな」
「それに、これが俺だったらよかったものの、柊木が聞いてたらどうするつもりだった……? 柊木はうぶだし、単語だけで顔を真っ赤にするような女子だぞ? そんな、まぐわいだとかなんだとか耳にしたときには、きっと倒れてしまって、もう二日くらいは動けなくなったかもしれない」
「やけに詳しいな、お前」
「クラスメイトとして当然知っておくべき傾向だ。気を配らなきゃいけないからな。――そういうわけで、だ。今後は気を付けてくれ」
なんか最終的に俺が責められるような形になったが、天津の言うことには一理も二理もある。寧ろ十七歳という年齢で、これだけの気遣いができる人間のほうが珍しい。つくづくいい教育を受けているんだな、と思った。
ともかく、ここは天津の諫言に耳を傾けるべきだろう。以後誰かがこの家に来たときは、そもそも俺たちがこういう関係性であることを何らかの形で示す必要性がある。最も、もう誰も来ないだろうけど。
「……とりあえず朝飯までは用意する。柊木の体調が治り次第、送るから」
「いいのか?」
「朝とはいえ、疲労が残る状態での戦闘は避けたほうがいい。俺とヒョウゲツなら慣れてるから大丈夫だが、柊木を抱えた状態で、天津が無事に街へと到達できる未来が俺には見えないからな」
「すまん、何から何まで」
「おう。その代わりとは言っちゃなんだが、ここの存在は誰にも口外しないでくれ。俺は平穏に暮らしたいんだ」
……遅かれ早かれバレるだろうが、その期間は長いほうがいい。アウドゥスはきっと、俺がこんな家を建ててスローライフを送ろうとしている、なんて知ると刺客を送り込んできそうだし。
「……わかった。お前のことを心配していたクラスメイトもいたが、黙っておこう」
「すまんな。よろしく頼む」
そう言いながら、いつの間にか出されていたお茶を口に含む。……紅茶はあまり飲んだことがなかったけれど、ヒョウゲツが淹れた紅茶はどこまでもおいしい。そんな気がする。
そうして、ふと思い出す。
「……もし、もしだぞ。天津に――あるいはクラスメイトのみんなに頼るものがなくなって、どうしようもないときは、ここの存在を教えてもいい。……見ず知らずの世界だ。いざというときに頼りになるものがあるかないかで、きっと精神状況も変わってくることだろうしな」
「……。なぁ、佐藤。これだけは聞いておきたかった。是非答えてくれ」
「なんだ?」
「――佐藤は、俺たちの味方、なんだよな?」
そんな天津の言葉に、俺は少しだけ驚いた。まさか、クラスメイトからこんな質問が飛び出してくるとは思っていなかったからだ。そして、俺はその質問に対する明確な答えを有していない。
が、一つだけ言える。
「お前たちが、俺の敵にならない限りは、俺はお前たちの味方だよ、天津」
「……そうか。それだけ確認出来ればよかった。ありがとう」
天津は清々しいまでの笑顔を浮かべて、俺へと笑いかけてきた。俺はクラスに友人と言うものがいなかったが、なるほどどうして、俺は天津のことを割と好ましく思っているようだ。
「天津」
「ん、何だ?」
「今更すぎるが……友達になろうぜ」
「ん? 俺はすでに、お前のことを友達だと思ってたが」
そんなことを素面でいう天津。俺は、この時ばかりは天津には敵わないなと思った。……徳が違ったのである。




