一章 九月へ向けて
「―――そうか。とうとう……」
『正直多少急ぐ。こっちには何時帰って来られるんだ?』
「そうだな。明日クレオ達に話して、明後日の便で帰るようにするよ」
『助かる』
「親父、一人で無茶するなよ」
『ああ。じゃあ待ってる』
ガチャッ。
「くそっ……選りに選ってこんな時に……!!」
「わっ!!?」
いつものように大学の美術科教室に入り、驚きでエンジンが止まりかけた。教壇とは逆の壁に、先日提出したばかりのデッサンが立派な額入りで飾られていたせいだ。中央裏をセロテープで留められた、微笑み合うタイナー姉妹の肖像画。
「おめでと」
よく隣でカンバスを並べる友人が拍手すると、他の生徒達も半分からかい気味に叩き始めた。その中には勿論教室の主、熊髭先生の姿もある。
「一体どうしたんです?何故僕の絵があんな所に」
「聞いてなかったのか俺の説明?コンクール行きの作品は、出展まであそこに飾るって言っただろう」
そう言えば、課題の前にそんな話もあったような……って!
「僕より上手い人は沢山いるじゃないですか!?なのにどうして」
「謙遜するなランバート」熊髭先生がデッサンを指差し、「教室内と教授会満場一致の決定だ。もし賞が取れたら賞金も出るぞ」
「はぁ……でも僕にその資格は」
試験も受けず、授業料も払っていない体験入学の身。なのに他のちゃんとした生徒達を差し置いて……。
「こんな凄い絵をボンボン描くのにか?もっと自信持てよ」
そんな事言われても困る。僕は何れエレミアへ戻る人間だ。
「ランバートは天才だが、謙遜し過ぎるきらいがあるからなあ。勿体無い」
「……済みません」
それから一時間女性の彫像を描いた後、約束を理由に教室を後にした。無料で毎回授業を受けているのに、よく他の教室の先生が追い出しに来ないな。おまけにコンクール出品なんて。心が広過ぎて、却って恐縮してしまう。
大学を出て真っ直ぐ船着場へ向かい、改札の前まで来た時、
「あ、来た!クレオ!こっちこっち!!」
僕と同年代の青髪青年、同居人のオリオール君の隣で、同胞のレティさんが大きく腕を振って僕を呼んだ。
「お待たせして済みません二人共」
「いいよ。僕達も今出て来たばかりだし。授業の方はどう?皆とは上手くやってる?」
早速今朝の事を話すと、大人になってまだ日の浅いオリオール君は「凄いや!」衆人環視の中大声を出した。改札に並ぶ乗客達が一斉にこちらを見、慌てて僕は両腕を振り、何でもありませんとフォローする。
「あ、ごめん。でも凄いよ。もし賞が取れたら推薦入学どころか、一気にプロデビューかも」
「クレオ、画家になるの?じゃあ先生って呼ばなきゃ」
せんせーせんせー!無邪気に何度も繰り返され、すっかり気恥ずかしくなってしまった。
「まだ大学内で選ばれただけですよ二人共。初めての出品ですし、期待しないで下さい」
「またまた、謙遜しちゃって先生」
「だからレティさん」
言いつつ、彼女の喜ぶ顔は僕にとっても嬉しい。今度入学祝いに肖像画を描いて贈ろうかな?
改札を抜け、船に乗り込んで五分後。すっかり聞き慣れた出発のベルが鳴った。
僕達三人は”白の星”行きの船に乗り、一時間少々で首都環紗に降り立った。
「ほらレティ。あれが龍商会ビルだよ」
一体何十階建てだろう?周りの他の建物より遥かに高く聳え立つ白い巨塔。宇宙一の大規模ショッピングモール、龍商会ビルは街の代表的な観光名所になっているらしい。
「本当に何でもあるの?」
少女は半信半疑に見上げながら上半身を左右に振る。
「勿論。まずは入学式で着ていくワンピースと、通学用の靴や鞄を買わなきゃね。九月も半ばだと大分涼しくなるから、普段の服も一通り揃えておかないと」
「二人のスーツも忘れずにね」
「はい、分かっています」
入口に立つ警備員に挨拶され、ピカピカのロビーへ。まずはインフォメーションに行き、受付の女性に必要な物の売り場を尋ねた。洋服売り場は子供が六階、フォーマルウェアは九階、靴と鞄は三階だそうだ。昨夜の夕食でオリオール君が言った通り、矢張り上へ下へ忙しく移動しなければならないよう。
「上から降りてくる方が楽だよ。行こ」
エレベーターに乗り込むと、レティさんはそう言ってさっさと九のボタンを押した。生まれて初めての乗り物なのに行動力旺盛だ。特有の無重力感にキャッキャッと喜ぶのを見て、僕等保護者は心が和む。
「うーん……」
黒や灰色の様々な種類のスーツがある中、僕達は汎用性が高いと言うブラックを買う事にした。それでも型が幾つもあるので、販売員の人と相談しながら色々試着してみる。同じぐらいの身長でも、スーツを着てみると僕の方が若干撫で肩だ。
「二人共、似合う似合う!」
「そうですか?」
「はは、何か照れるね」
ワイシャツと白ネクタイ、ピカピカの革靴を一通り身に着けて試着室から出て来た僕達を、レティさんの可愛い拍手が出迎えてくれた。
「うん、特にキツくもないし大丈夫。クレオはどう?」その場でターンしたり屈んだりして彼が尋ねた。
「僕も問題無いです」
強いて言うなら、エレミアではこうした改まった服が無かったので少し緊張するぐらいだ。
「じゃあ、これ一式会計お願いします」
元の服に着替え、龍商会ロゴの大きな紙袋に丁寧に入れて貰い、お釣りと引き換えにオリオール君が受け取った。
三階分の階段を降りる間、少女はとても物珍しそうに売り場を覗く。
「ここはシャバムと違って、店員さんが選ぶのに付き合ってくれるんだね」
「レティにも可愛い服を薦めてくれるよ」
「えー!?私は一人でゆっくり選ぶ方がいい。何か指図されてるみたいでイヤだもん」
「結構女の子ってそうだよね。ルザもだけど、セレクトにポリシーがあるって言うか」
エレミアには服屋自体無かったので、色々じっくり見て回りたい気持ちは僕もよく分かる。そう説明すると、え、そうなの?彼は目を丸くした。
「ええ。お店と言うと、イムおじさん夫妻が開いていたパン屋ぐらいです。ね、レティさん?」
「うん。この世界に来て、宇宙船のおじさんと行って驚いたんだよ。神様にお願いしなくても物が手に入るんだ、って」
「お願いって、タダで?」逆に目を丸くされる。
「はい。エレミアには通貨自体ありませんでしたから」
「親切な神様だね。その面では、僕はエレミアが羨ましいな。この宇宙には貧困が原因で戦争が起きるし、お金が絡む紛争もココントーザイごまんとある。―――兄様がよく言ってた。どうして争いは無くならないんだろう……って」
確かに、エレミアでは小競り合いの喧嘩すら見た事が無い。でも、
「違うよオリオール。――エレミアは、喧嘩したくても相手すらいなかったもん。私、この宇宙で友達が沢山出来て分かったの。凄く寂しかったんだって……私だけじゃない。いつも笑顔だったパパやママも……」
悲しげなレティさんは、不意に顔を上げて尋ねる。
「ねえ、入学式にはヘレナとイムおじさんも来てくれるよね?」
「!?」
動揺した僕に代わり、オリオール君が勿論だよと答える。
「本当?」
「うん。式のちゃんとした日時が決まり次第、エルのお兄さんから連絡してくれるって」
答えに破顔一笑。諸手を上げて喜ぶ。
「わあい!私、当日の朝ご飯はおじさんのサンドイッチがいいな。そう言えば、二人のお仕事は何時終わるの?」
「うーん……お兄さんは人使い荒いからなぁ。今度政府館に行ったら、なるべく早く帰してくれるように僕から言っておくよ」
息をするように嘘を吐く彼は僕の正面、少女から見えない背中側で拳をキツく握り締めた。




