序章 意外な再会
カツ、カツ、カツ……。
「揺れて気持ち悪くないか?」
「大丈夫……」
腕の中にいる誠は力無くそう答え、記憶より更にやつれた天使の微笑を浮かべた。死臭にも似た甘い疲労の息を吐き出し、再び俺の胸へ頭を預ける。
「まーくん?」
「平気……まだ少し疲れているだけ。少し休めば治るから……」
「貧血でなくてか?」
六魔の一つ、”黒の絶望”の呪縛を解放した際、消耗し切った体力はまだ回復していないはずだ。母親のメノウの“緋の嫉望”の時も、直後は立っているのもやっとの状態だった。それが一因となって四天使に……。彼の場合、加えて元々の不摂生も――駄目だ。矢張り顔色が悪過ぎる。
俺は細身の身体が折れないようゆっくり降ろし、岸辺へ横たえた。移動しても遠目からでは時の河に変化は見られない。今更ふと疑問を覚えたがこの河、一体何メートル進めば百年なんだ?宇宙暦七百年から二百年後への時は、ものの数歩で飛び込んだ気がするが……若しくは見た目の長さなど関係無いのか?後で彼女に訊いてみよう。
「ウィル?」
「一回輸血しとこう。ついでにもう少し眠るといい」
彼の養女が投げ入れた鞄を開け、輸血道具を取り出す。服や写真と言い、つくづく準備の良い娘だ、不足な物が何一つ無い。ガーゼや絆創膏の数から言って約三回分。失敗を考えても充分な量。
「誠」「誠君、大丈夫?」
突然の女性二人の声に、左肘内側に消毒薬を付けられている最中の恋人が頭を上げた。認識した瞬間、驚きと喜びに目を丸くする。
「ねえさま!それに巫女様も……!」
自由な右腕を伸ばすと、無表情な方の黒髪の女が白木の杖を置いて弟を抱き締めた。流石は姉弟。一見与える印象は違うが、横顔は瓜二つだ。
「良かった……また会えて」
「ええ」
冷静な相槌にも微かに喜びが滲み出る。
「ちょっと動くなよ。針刺すぞ」
「あ、うん」
ブツッ、ブツッ。太い管を伝い、腕を上げた俺の静脈から血液が注がれていく。熱い……久し振りの感触にそう呟き、無意識に姉の細い背中を掴む。
「またお前等にまんまと騙されたな。行くのは俺一人だと言ってなかったか?」
やや険を含ませた質問に、茶毛の巫女は子供っぽく頬を膨らませた。
「言ってない。私達が教えようとしたら、先にウィルネストが飛び込んだんじゃない」
「仮に隠蔽していたとして、それが何か?――支障は無いでしょう?」
自分と同じ滑らかな黒髪を撫でながら、叡智の一羽は感情の薄い声で相棒を庇う。
「ああ。だが……」出来れば巻き込みたくなかった。これから向かう場所は何が起こっても不思議でない。奇跡を扱う天使人ですら無事でいられるか。
「いいよウィル。私は大丈夫だから、ねえさま達を困らせないであげて」
彼はそう言って小首を傾げ、家族の赤いチェックのスカートから伸びた不自由な右脚を撫でる。
「心配は要らないわ。問題無い」
「でも引き摺ったままだと傷になるよ。ほら」
そっと白いパンプスを半分脱がせ、赤くなった脚の甲に触れる。初めて見たのか、腫れにパートナーが息を詰めて名を叫ぶ。
「平気よ」
「平気な訳無いでしょ!お願い誠君、治してあげて!」
「はい。疲労が溜まって、氣も弱くなっているみたい……肩の力を抜いて、楽にしてて」
数回の深呼吸の後、ほんのり光る右手を足首へ翳し、癒しの奇跡を発動させる。
「……ん……」
温かさに緊張した目元を和らげる。
「大分我慢してたんだね。もう大丈夫だから」
巫女が隣に膝立ちで座り、輸血の邪魔にならないよう守護天使を自分の側へ凭れさせる。翼を分けた者の胸に抱かれ、彼女は弟によく似た形の血の気の薄い唇を綻ばせた。
一分程度で痛々しい赤は消え、治療を終えた彼が腕を引っ込める。傷の癒えた一羽は礼を言い、黒縁眼鏡の奥で瞼を閉じた。傍目には素振りすら見えなかったが、誠の言う通り絶え間無い苦痛で相当疲弊していたようだ。
「ちょっと!」
「大丈夫よ。同調を強くして。まだ私は戦わなければならないのだから……」
抑揚の無い言葉には、頑迷ですらある強い意志が籠もっていた。
「巫女様、ねえさまを横にしてあげて。久し振りに私の氣を回したから眠いみたい」
「うん、分かった」
膝枕する彼女に習い、俺も義息を再び安静に横にさせた。血が通ってきたのか、段々全身に生命の熱が戻って来たようだ。良かった。
カツ、カツ……。近付く新たな靴音に、仰向けさせたばかりの頭が傾く。「え?この氣は……」
持ち主達が霧中から現れた瞬間、黒曜石のような目が一際大きく見開かれた。




