十八章 光の心臓
「ん……?」
生温い感触に瞼を開ける。この緑色は再生溶液?とすると調整室か?怪我はもう殆ど治っていたはずだが、何故……?
「お姉ちゃん!?」
入っていたカプセルの外から懐かしい声が響き、瞬時に全てを思い出す。そうだ、私は狂った神と揉み合いになった末、通路から落下して……。
「ルウさん!お姉ちゃんが目を覚ましました!!」
妹がいると言う事は、ここはシャバムなのか?溶液越しに見える天井の木目は確かに自宅の物だが……血が頭に回らないせいか、まだ信じ切れない。
「リサ……」
「お姉ちゃん、もう大丈夫だからね」
気丈に言う彼女の目には、以前とは明らかに違う強い光が宿っていた。異常と知れた私にも、臆する事無く真っ直ぐな視線を向けてくる。
「リサ……私の身体はどうなっている?」
「心配しないで、もう縫合は済んでいる。でも見つけた時は酷かったのよ?首は百八十度回転してたし、左腕と右脚が千切れた上に全身打撲。おまけにクレオさんが」
「意識が戻ったのね。どう、具合は?」
妹の傍に現れたウェーブの長髪女性に見覚えは無い。悪い人間ではなさそうだが……参ったな、またもや実力が測れない。
「貴殿は誰だ?」
「預言者エリヤの家族にして魔女、ルウ・マクウェル。もっと説明が必要なら……あなた達の敵、って所かしら?」
「!?」
奴から聞いた事がある。封印された大悪魔と繋がる者が何処かにいると……それがこの女?しかも、同じように観察眼の使えない預言者の仲間……そんな人間が、何故私の手当てを?
「痛い所は?再生液は即席で調合した物だけど、身体に合っている?」
液体の中で軽く手足を動かしてみる。調整室の物より心地良く、浸透率が高い気がした。正直に伝えると魔女は、そう、ならすぐ治るわ、言って妹に向き直る。
「じゃあ異常があったら何時でも電話して頂戴。機器の調節はあなたの方がよっぽど詳しいわね――それじゃ、また明日見に来るわ。バイバイ」
「はい、お世話になりました」
バタン。
「クレオ殿がどうしたんだ?」
尋ねると、妹は肩を落としてカプセルの右側、二つある内硬い方のソファに座り込む。
「落ちてきたお姉ちゃんの酷い格好見て、オーバーヒート起こしたの。よっぽどショックだったのね。ヒューズも何本か飛んじゃってたのよ?さっきまで工作室で繋いでたんだから」
「そうか……済まない。迷惑を掛けた」
「と思うならちゃんと説明してよね。まさか宇宙船からうっかり落ちた、とか言わないでよ?骨や内臓も明らかに人工物だったし。嘘吐いてもすぐ判るんだから」
「やれやれ。ちょっと会わない間に随分強かになったな……子猫はもういないんだったな、私も一目会ってみたかったのだが」
クスクス。初めてこの子の本当の笑顔を見た気がする。
「聞いても信じられんような話だが、それでも構わないのか?」
「うん。あ、ちょっと待って」
一分程中座し、湯気の立つカップ片手に戻って来た。中身を一口啜る。
「何を飲んでいるんだ?」
「ホットミルク。OK、始めて」
「ああ」
私は全てを打ち明けた。水晶宮、赤毛の天使、義体と任務、異教徒狩りについて……彼女の両親との会話も包み隠さず。リサは一度も遮らないまま、時折カップを啜りながら黙って聞いていた。
「――以上だ。どうだ?軽蔑しただろう?」
十数年間嘘を吐き、無実の人間を殺め続けていた身。どんな罵倒も甘んじて受ける覚悟だ。
ところが、妹はきっぱりと首を横に振った。
「仮令人殺しでも、大好きなお姉ちゃんで、しかも手強いライバルなのには変わりないよ」
「?」ライバル?何時私達が争ったのだ?
「それに話の感じ、嫌々手伝ってたんでしょ?お父さんにその身体へ押し込まれて、無理矢理。被害者なのに罪悪感を覚える事無いよ」
「しかし、私はお前の両親を」
まだ殺人の感触の残った拳を握り締める。
「……ありがとうって言ったんだよね、二人共。心中の話はちょっとショックだけど、私も十数年生きてて一度は考えた事あるもの、自殺」クスッ。「ほんの小さい頃の話だよ。今はデイシーちゃん達がいるから平気。心配しないで」
ああそうだ、と言ってテーブルの上の物を摘まんで見せた。――金貨だ。夢の中でずっと握っていた、表裏に同じ女性の絵が彫られた物。
「治療の時に、ルウさんが胸に埋まっているのを摘出してくれたの。見覚え、ある?」
「ああ……バースデイコインだ……よく覚えてないが、大事な物だった気がする」
「生誕記念硬貨って事?うーん、でも刻印された文字が潰れてて全然読めないね。お姉ちゃんの本当の名前や誕生日が分かったかもしれないのに……」
残念そうに呟き、新たに淹れてきた白湯に口を付ける。
「あ、もう一つ言い忘れてた。ルウさん、手を尽くして手当てしてくれたんだけどね……内臓は損傷が酷くて、完全には治せなかったの。だからグリューネさんが」
「グリューネ殿と言うと、クレオ殿といつも一緒にいる鳥の?」
「うん。すーっとエンジンから出て来て、ずっとお姉ちゃんの心臓の中で回復してくれてたの。もしもーし―――今日はもう疲れて寝ちゃったみたいだね」
「そうか。起きたら礼を言っておかないとな」
「うん。あー!」
カプセルの外の妹は大きく伸びをし、ソファに横になった。何時の間に用意したのか、毛布を肩まで掛ける。
「おい、まさかここで眠るつもりか?風邪を引くぞ。部屋に戻りなさい」
「そんな事言って、カプセルに何かあったらどうするの?大丈夫。猫がいた時もずっとここで寝ていたから、もう慣れてる」
硝子越しに、数十センチ先のリサはあっけらかんと言い放つ。保護者としてはもう苦笑いしか出ない。
「全く……分かった、お休み」
「お休みなさい、お姉ちゃん」
照明が切られ、カプセルに繋がった調整機の赤いランプとカーテンから漏れる月光がリビングを照らし始めた。心地良い薄暗さに再び目を閉じた時、
ガンガンガン!乱暴なノックが響いた。
「誰?」
「待てリサ。大方奴だろう。起きなくていい」
ガチャッ!予想通り血相を変えた赤毛の天使は、余程急いで来たのか翼を隠すのをすっかり忘れている。肩には私の鞄、左手にハルバート。わざわざ荷物を届けに来たらしい。
ザッザッザッ!荒々しい靴音が響く。
「ケッ、運の良いアマだ。あそこから落ちて生きてるなんてよ」
「ああ、自分でも驚いている。――騒ぐな。今眠った所だ」
狸寝入りのリサを見て、天使は鋭い舌打ちをした。
「言ったのか、手前が人形だって」
「この様ではどの道言い逃れ出来ん。――神はどうした?」
「ああ、奴なら耳障りに笑い続けてたんで張っ倒したぞ。餓鬼のママンはお前が目の前で落っこちて、俺が幾ら怒鳴っても泣き喚きっ放し――最悪な一日だぜ。どう落とし前付けてくれるんだ、あぁ?」
「知るか。私は殺人未遂の被害者だぞ。慰謝料を払うのはそちらだ」
反論に奴は何も言わない。が、しばらくして口を開いたのは全く違う話題だった。
「異教徒狩りは止めだ」
「は?」
意外な一言に、一瞬頭が真っ白になる。
「だから、異教徒を牢獄へブチ込むのは金輪際無しだってんだよ。聞こえなかったのか?」
「聞こえてはいるが……何故、突然?神の意志……な訳は無いな。お前の一存か?」
「ああ、そうだ。勿論文句は無えだろ?手前が仲良しこよしのクレオ・ランバートを殺さなくて済んだんだからよ」
!?拙い、聞かれてしまったか……異教徒の範疇にエレミア人も入っている。それだけはショックが大き過ぎるだろうから伝えなかったのに、この男はいともあっさり努力を水泡に帰してくれた。
「しかし、いいのか?一応秩序を乱すとか言う大義名分があったはずだが?」
「その命令を出したボスはキチガイのホモ野郎だぞ。牢の中身が変わらねえぐらいで気付くかよ」
「激しく同意するが、後半は同性愛者に対する偏見だ」
「ケッ!良い子振りやがって」
赤毛はカプセルに手を突き、裸の全身を舐めるように確認した。
「その再生液、問題無えのか?」
「ああ、向こうより余程品質が良い。これならすぐに出られる」
バンッ!提げていた鞄がカプセルに叩き付けられた。
「おい、止めろ。人の荷物を乱暴に扱うな」
「持って来てやったんだ、礼ぐらい言えよ」
「中身が壊れてなかったらな。そちらのソファにでも置いておいてくれ。後で確認しておく」リサが寝ているのと逆のソファを指差す。
奴は言われたとおり鞄を置いた後、再び私をじっと覗き込んだ。
「?どうした?用が済んだなら帰ったらどうだ?この状態では流石に酌も出来んし、騒がれても迷惑なだけだ」視線で妹を示す。
「俺はお邪魔な訳か」
「はっきり言えばな」
パタッ、パタッ……。真上に黒い物が落ちるのが見えた。
「おい、借り物を汚すな」
重力に従い、滑らかな硝子板の上を赤であろう液体が垂れ落ちる。
「この糞アマ、手前はいつもそうだ……このカプセルさえ無けりゃ……」
続く言葉は、殴ってやるのに、か?蹴り飛ばす、かもしれんな。或いは一気に飛躍して絞め殺す。この単細胞が考え付くのは精々その三つぐらいだろう。
ギィッ。突然、ソファの軋む音がした。
「リサ?」
「あぁ、起きたのか糞餓鬼?」
「その言い方は止めて下さい」
寝たフリを止めた妹は呆れ気味に言い、突然奴の左耳へ唇を寄せて何事か囁いた。と同時に、スカートのポケットからハンカチを取り出し、目元に当てる。
「っ!?……チッ!マセ餓鬼が……!」
木綿の布地でゴシゴシ血を拭い取り、天使は悪態を吐いた。
「ハンカチは貸すだけですからね。ちゃんと洗って返して下さい」
「くそ……わーったよ!出て行きゃいいんだろ出て行きゃ!ケッ、このシスコン共め!勝手に乳繰り合ってろ!!」
バタンッ!!
「何を言ったんだリサ?奴があんなにあっさりと退くなど初めてだ」
「――なーんだ。今まで怖いと思ってたけど、ただの思い込みだったみたい」
初めは忍び笑いだったが、段々腹を抱えての大笑いへ。
「??」
「お姉ちゃん、あの人大人気無いね。身体は大きくてもまるで子供だもの」
「あ、ああ。それは同意する」
「あのハンカチ、もう返って来なさそうだね。ま、安物だからいいけど」
彼女は間接照明を点けてキッチンへ行き、雑巾片手に戻って来た。
「あの人、目が悪いの?この涙、赤いよ?」
「どころか精神自体もな。あれがマトモに日常生活を送れると思うか?」
「まさか」
首を横に振り、カプセルに付着した血を拭き取る。
「ちゃんと綺麗にしてルウさんに返さないとね。――男の人の涙って、女にしたらドン引きだって教えただけだよ。でも、まさかあそこまで反応するとは思わなかった」
「そうか?泣く事自体より、流れる物に原因があるような気はするが」
現にあの夜。私へ謝るクレオ殿の頬を伝った人工涙は、宿った魂と同じく透明で澄み切っていた。そこに一切の不快感は無く、ただ流させた己の非力さを痛感したのみ。
「そうね。これどう見ても本物の血だもん、誰だって吃驚しちゃう」
「その割に余り動じてないようだな」
「子猫に比べたら大抵の事は至極普通だよ。――じゃ、改めて寝るとしましょう」
欠伸をした彼女は再度ランプを消し、毛布を被った。
(代わりの任務は言わずじまいか……これは自由の身、と考えていいのだろうな)
リサが乳幼児の時分以来だ。尤も、あの頃は世話に入院手術にと目まぐるしく、任務をこなすだけの余裕など一切無かったからだが。
しかし、今度は何故か二度と新たな任は来ない気がした。持って来られても迷惑にしかならないが、全てを奴一人に任せるのも不安だ。
(いや、同情は止そう。付け上がらせるだけだ)
瞼を閉じ、光の鳥が眠る心臓の上の皮膚に触れる。肋骨の下の温かさを感じながら、甘い睡魔を受け入れた。




