十六章 墜落
「見つけた」
蚊の鳴くような声が聞こえた瞬間。目の前の母親の目が、飛び出しそうな程大きく見開かれた。
「何だ、どうし―――ぐっ!!」
直後起こった御両親の絶叫も、背後から首を絞められる物理的衝撃には敵わない。頚動脈が押さえ込まれ一瞬意識が遠のいた隙に、仰向けで滑らかな床へ転がされた。
「止めろ……!!放せ、大父」
「よくもイスラフィールを殺したな……出来の悪い木偶は、全て廃棄処分だ……」
百年間理性の無い瞳と目が合い、余りの冷たさに一瞬ゾッとなる。全てが異常な戦場ですら、こんな人間はいなかった。
「彼はあれ以前からずっと死を望んでいた。魂を救うにはああするしか」
「お前は残酷にも心臓に刃を突き立てた!可哀相な天使……見てみろ、僕の掌はあれの溢れ出させた血で真っ赤だ」
石膏のような冷たく白い手に力を掛けながらボソボソ言う。
「それは幻覚だ!目を覚ませ、彼が死んだのは百年も前」
「人殺しめ!!」
締める両手を掴み、必死に抵抗する。
「手を下したのはあの二天使も同じで、私は奴等の命令に従っただけだ!咎を受けるべき順序が違う!」
これは責任転嫁でも何でもない。幾ら駄目上官でも、こんな時ぐらいは責任を取ってもらわなければ割に合わない。
不健康な細身の何処にそんな力があるのか、一向に振り払えない。――ああ、成程。嵌めている指輪の力の相乗か。道理で腕力に勝るはずなのに抵抗出来ない訳だ。
「放せ!私一人葬った所で彼はもう―――ぐっ!?」
首の骨がギシギシ厭な音を立てた。このままでは折られる。義体の身には致命傷ではないが、ダメージは相当な物だ。
「黙れ悪魔め!僕が仇を取ってやる……」上の空で呟く。「だからもう一度傍に」
「失礼!」
一瞬力が緩んだ隙に鳩尾を蹴り、馬乗りにされていた態勢から立ち上がる。咽喉の痛みと熱が酷い。参ったな、明日帰るつもりだったのに……この声ではリサ達に無用な心配を掛けてしまう。
「わあああっっっっ!!」
酸欠でまだフラついていた首を再び掴まれた。今度は力の限り抵抗し、立ったまま縺れる。
「止めろ!ここで暴れてもし―――!」
「殺してやる!!」
駄目だ、全く現実の声が聞こえていない。どうにか気絶させて大人しくさせるしかないか。
揉みくちゃにされて千鳥足のような靴音が、不意に途切れた。「は……?」足元の感覚が―――無かった。
「わあああぁっ!!!」
落下したと認識した瞬間、痛めた咽喉も忘れて私は叫んだ。