第1話 塩谷なの花、三十二歳、独身、しがない会社員
深夜一時、眠れない夜は暗い部屋のベッドの中でスキマバイトアプリ「スキミー」の求人を見る。
塩谷なの花 三十二歳 独身 しがない会社員
転職を二回して勤めている会社には現状これといった不満もない、しかし、これといったやりがいも、ない。
今の会社は、半年前から「原則週四日出社、週休三日」になった。世間的にはうらやましがられる制度だろう。実際、発表があった日は同期の間で小さな祝賀ムードだった。私もその時は嬉しかった。けれど、三か月経ってみてわかった。休みが増えても、やりたいことがない人間の休日は、何も残らない。
午前中に洗濯をして、昼にネットフリックスのドラマを流し見て、夕方にスーパーへ行って、夜になると「今日も何もなかったなぁ」と思う。それが週に三回もある。人生の余白が増えたのに、埋めるものを持っていない。三十二年も生きてきて、私の引き出しには何も入っていない。
自分にはもっと違う人生があったんじゃないかと考えると苦しくなってくるので、単発バイトの案件を見て脳内をぼやかすことにしている。見るだけで、応募はしない。求人を眺めて「世の中にはいろんな仕事があるんだなぁ。私の人生はまだこれからかもしれない」という気分だけ味わうのだ。我ながら、安上がりな現実逃避だと思う。安上がりというか、無料だし。
デリバリー経験者のみの配達バイト1,800円
未経験大歓迎!の謎の面接バイト 三時間で7,350円
見知ったスーパーの早朝バイト 1,230円
しかし、楽しかったバイト情報サーフィンも、最近は見慣れたラインナップになってきてしまった。応募するつもりがないとはいえ、私が応募できるものも、あまりない。デリバリー経験はないし、謎の面接は怖いし、近所のスーパーで品出しをして知り合いに会ったら気まずいし。
今日も何もなかった、そろそろ眠らないと。スマホを閉じようとしたその時、スクロールする指が止まった。
【急募】王都冒険者ギルド 受付補助 25:00〜27:00
時給:4200ゴールド
「……なにこれ。時給高……いのか? あ、日本円じゃないのか……」
二十五時から二十七時という時間表記もおかしい。深夜番組か。運営の遊び心か、新手の詐欺か。エイプリルフールは半年前に終わっている。詳しくみてみると、店舗の評価欄にレビューが二件ついていた。
「初めての異世界でしたが丁寧に教えてもらえました」
「ドラゴンが見れました。神案件」
レビューまで芸が細かいな。こういうの、誰が書いてるんだろう。運営の中に絶対ノリノリの社員がいる。
勤務地の欄には「王都(転移門利用・交通費支給)」とあり、地図表示のボタンを押してみたら「現在地から:計測不能」と出た。芸が細かいって。
……記念スクショでも撮っておこう。明日、会社の数少ない雑談相手に見せたら笑ってくれるかもしれない。そう思って画面に触れた瞬間、指先から光が溢れた。
「えっ、あっ、ちょっと、待っ!?」
ベッドが、天井が、見慣れた部屋の暗がりが、白い光に飲み込まれていく。最後に見えたのは、スマホの画面に表示された一行だった。
【マッチングが成立しました】
押してないってば!! 撮ろうとしただけ〜〜!!




