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第14話


「終わった……終わったよ、バジール」


 天を仰いでしまう。思わず両手で顔を覆ってしまったのは、あまりにも感慨深いからだった。怒涛のように駆け回った数日だった。


「素晴らしいご活躍でございました」


 振り返ると、バジールが目礼をした。顔がすっきりしているのは、しっかりと休養を取った証拠らしかった。


「この量をたったの3日でやり遂げた! 僕はもう今日はなにもしないよ。なんにもしない。ずっとカナレットといるからね!」

「承知しております」

「よし!」


 城に帰るや、リフはカナレットの寝室に直行した。もう既に深夜になっていたし、本来ならばゆっくりと休ませてあげたかったのだけれど、どうしても我慢ならなかったのだ。

 部屋に入るとカナレットは戸に背を向ける姿勢で眠っていた。上着を荒々しく脱ぎつつも静かにソファの背に掛ける。ネクタイを緩めながらシーツを捲ると、カナレットがほんの少し瞼を開けた。

 美しい黒色の瞳だ。透き通っているのに、奥が見えない。


「リフ……?」

「ただいま」


 カナレットは体を起こそうとしたけれど、肩を抑える形で横になるのを促した。カナレットは素直に従った。


「おかえりなさい」

「終わったよ」


 言うと、カナレットの眉がぴくりと反応した。


「……もう?」

「え、嫌だった?」

「い、いえ、もっと掛かるのかと」


 その反応に違和感を覚えた。まさか、誰かに仕事を進めろと言うように頼まれたのではないか。1週間くらいと言ったのは、その依頼主が1週間があれば片付くとでも言ったからなのでは?


「誰かに、なにか言われた?」


 そんなことを言うのは優秀な彼しかいないのだが、決め付けてしまうのは理不尽だからそうはしない。けれど、予想通り、こう聞いたところでカナレットは答えるはずもなく、首を振っただけだった。

 カナレットが隠しておきたいなら、そうしておこう。

 実際、仕事が滞っていたのは事実だ。今後は同じ(あやま)ちを二度としないということで、今回は授業料としよう。


 リフは待ちに待った瞬間を迎えた。

 明日の朝の時間を気にもせずに眠る瞬間。そしてその瞬間を、カナレットを抱き締めて迎える至福。


「僕がどうしてカナレットを呼んだかというとね」

「はい」


「実はね……」


 結局、言えたのかわからなかった。

 カナレットを抱き締めた瞬間に、もはや体と一緒に意識もベッドに沈んでしまって、なにもわからなくなってしまった。

 伝えなくてはいけないことだったのに、自分は言えたのだろうか。




◇◆◇◆◇◆




「は? リフ(じん)の仕事? あんた、それも教えてもらってないの?」

「まあ」


 デルフトと会っても、その日はチェスをしなかった。チェス盤を挟んでひたすらに会話する。果たしてこれが彼の言う遊びなのかは不明ではあるけれど、要は暇潰しをしたいというのが第一目的だろうから付き合うことにする。

 その会話の中で、ふとカナレットが常々疑問だったリフの仕事について訊ねたのだ。

 デルフトは相変わらず胡座をかいて、その膝で頬杖をついている。


「じゃあ俺達がなんの神様かも知らないわけ?」

「そう」

「ええ……普通、めっちゃ気になって最初に聞かない?」

「いやぁ、聞く暇もなかったというか」


 自殺企図騒動を思い出す。

 デルフトは教えてくれる気になったようだった。


「世の中にはさ、バランスってもんが必要なわけ。聞いたことない? 楽しさと悲しさは人生の中で同量になるとか、そういう話」

「あー、なんとなく?」

「うん。んで、その話は本当。だから、どれかひとつが突出して多かったりしたら、俺達が調整すんの。楽しいことばかりが続いていたら悲しみや怒りを感じるようなことを起こす。その逆も然り。俺は悲しみの神様だから、ちょっと悲しいことが多過ぎるかなー、少なすぎるかなーって人達の心を調節しにいくわけよ。黄色は優しさ。桃は恋愛、赤は怒り、オレンジは楽しさ、紫は寂しさ、白は()みたいな感じ」

()?」

「そう。なんつーか、ほら、ぼーっとするときとかあるじゃん。そんときってなんも考えてないし、なんも感じてないじゃん? あとはなにかに集中してるときとかね。そういう()の時間も人間には必要なの。四六時中、感情が戦争してたら疲れるじゃん」

「なるほど。それでリフはなんの神様なの?」

「リフ(じん)だけは人の心を調整する役目じゃないんだな。人の起こした道理に反する事象を調節しに行く」


 なんだかややこしいな。


「つまり?」

「だから、普通は人間って、悪さをすると法で裁かれるか、更生して罪を償うんだけど、それをかいくぐるばかりか、罪悪感すら覚えない奴とかが出てくるのよ。しかも結構頻繁に。そういう奴らは人間じゃどうしようもないから、調整する。そうじゃなきゃ、理不尽が横行するだろ? 人の道に反する。つまり人の世界に反してるから調整しとく必要がある」

「なるほど。どうやって?」



「殺すに決まってんだろ」



 まさか。

 あのリフが人を殺すなんて冗談はやめてくれと笑い飛ばそうとしたけれど、デルフトの顔は真剣だった。


(え? 本当に?)


 あんなに優しい力で抱き締めてくれるリフが、その手で?


 デルフトは続けた。


「そんな奴らには、言葉もなにも通じない。改心なんて期待できない。それに時間も掛けられない。更生を試みて、再犯して、次の理不尽の犠牲者を発生させてはならない。だから殺して理不尽の量を即日調整する。それがリフ(じん)の仕事だ。……本当に知らなかったみたいだな」


 驚いた顔をしていたのかもしれない。デルフトはカナレットの目を片目ずつじっくりと覗き込んできた。カナレットはなんだか奥底まで見抜かれてしまいそうで、目を逸らした。


「だから黒の地の神は誰もやりたがらないんだ。その証拠に従者も少ないだろ? 誰も一緒に働きたくないんだよ。人のための神様なのに、人を殺さなくちゃならないなんてな。だから従者も追放されそうになった奴らの寄せ集めだ」

「い、いや、追放されそうになっていた彼らを助けるための優しさで──」

「違うよ。誰も働いてくれないから、そういう奴らを掻き集めるしかなかったんだよ。この世界にいる誰もが知ってる」

「で、でも……」


 リフは確かに優しいのだ。

 彼は確かに優しいはずなのだ。


 そのとき、蛇に睨まれているような悪寒を感じた。その冷たい瞳の持ち主を思い出して、疑心が膨らむ。優しさの中にある冷酷さを、あの目は表していたのではないか。


 けれど、違う。自分にはここしか居場所がない。信じなくては生きていけない。


「だって、ずっと独身を貫いてたのは愛し合ってもない人をこの世界に呼ぶのは理不尽だからって。そんな考えをする人が、そんな損得勘定みたいな──」

「は? なに言ってんだ? 嫁を貰ったのだって、リフ(じん)の寿命がもうすぐ尽きるからだろ?」



「えっ」



「俺達にだって寿命はある。リフ(じん)ももう数百年生きてる。確か、もうすぐ寿命のはずだ。だからあんたを呼んだんだろ」


 リフが死んでしまう。

 思いもよらない事実にカナレットは考えるのを辞めた。とにかく浮かぶ疑問を解消していかなければ、リフの死まで追い付けそうになかった。


「そ、それは……やっぱり、生きてるうちに結婚したいから……?」

「違う違う。仕事を継がせるためだろ」

「──まさか」


 そんなはずはない。そんなはずは。だって。

 デルフトは同情の眼差しを向けてくる。


「……え? あんた、まさか寿命のことも知らされてないの?」

「ま、まあ。でも、ここに来てからそんなに時間が経ってないし」

「普通、一番に説明しない?」

「いや、でも」


 そのあとの反論が思い付かない。反論しようとすると、やはり説明して欲しかったという気持ちが勝ってしまう。

 リフがいなくなる。それは確かに恐怖だ。また居場所をなくしてしまうかもしれないから。ここを追い出されてしまうかもしれないから。でもそれ以上に、



騙された気がしたのだ。



 初めから、自分はもうすぐ死ぬから、仕事を継いでほしくて呼んだのだと、あなたにはなんの思い入れもないと、そう言ってくれればよかった。そうしたらこんな気持ちにならずに済んだのに。


 あんな優しさなどいらなかった。


 リフの優しさで絆された柔い心に突き刺さる事実が痛すぎて、守りたい、もっとずっと奥のほうまで貫かれてしまいそうだった。

 家族を捨て、国に拾われ国に捨てられ、神に騙される。これが生みの親を見限った罰なのだとしたら、自分には少々重すぎると、カナレットは思った。

 すると慌てたようにデルフトが手を伸ばしてきた。


「ごめんごめん! あんたの気持ちも考えず、ずけずけと言っちゃった! 人と会話なんてほとんどないから、そういうの疎くて! ごめんて! 泣くなよ!」

「……泣いてなんか──」


 けれど、頬を拭ってくれたデルフトのシャツの袖口は濡れていた。

 そう、カナレットは泣いているらしかった。騙されて傷付けられて、泣いている。いつの間に、こんなに弱くなったのか。


「ごめんて」

「大丈夫です」

「なんていうか、ほら、なんだったら俺のところに来ればいいじゃん。リフ(じん)とは、もうやっていけません!

ってなったら言えよ。俺のところに呼んでやるから」

「……そんなことができるんですか──」



「カナレット」



 そこへ舞い降りた死の化身は、黒の羽根を震わせていた。振り返ると、やはり微笑みつつも温度なき眼差しを向けてくる。


「カナレット。それ以上はいけないよ」

「……え」

「帰ろう」


 そして伸びてきた手から、カナレットは肩をびくつかせて避けてしまった。虚空を切ったリフの手がその場で固まる。

 カナレットは失態に気が付き、取り繕った。


「す、すみません、驚いてしまって。では、デルフト様また後日」

「あ、ああ。5日後な」


 会釈と手を振る挨拶を交わし、カナレットは自力で立ち上がって歩き出した。

 今はリフとふたりきりになりたくない。

 きょろきょろとするとユトリロとバジールがいるのが見えた。心底安堵してからリフを振り返ると、



ぎょっとするほど悲しげな顔をしていた。

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