第9話
「しかし、出世したものだな。君がこの国で1番の兵士になるとは。今では鬼神なんて通り名まであるそうじゃないか」
「お恥ずかしい限りです、まるで名前負けしております」
「なに、謙遜するな。君が努力してきたことは僕もよくわかっている、鬼神の名に恥じない立派な兵士だよ、自信をもちたまえ」
「私などまだまだ未熟者です。これからも精進します」
まったく、ストイックな奴だ。素直に喜んでおけばまだ可愛げもあるというのに。
「そんなだから未だに浮いた話の1つも聞かないのだ。嫁でも取ったらどうだ、もう君も三十路だろう」
「私はいつ死ぬかもわからぬ身です。そんな男と結婚させるなど、甲斐性無しもいいところです」
それはこの国に住む兵士の嫁全員を敵に回してるということになると、分かってはいないんだろうなぁ。まあ仕方ない、それがこのテオという男なのだ。
「さて、今日来たのはただ君に会いに来ただけ、という訳でもないんだ」
僕はグラスを置くと、本題に移る。
「わかっております。あの熊を狩られた方の中にシャルロッテ様がいらっしゃったと聞いて、何となく予想しておりました。シャルロッテ様が自ら参加されるとも思えませんでしたので、恐らく嫌々参加させられたのだろうということも」
「察しが良くて助かるよ。単刀直入に聞くが、今回の支払いはどのぐらいを予定していたんだい?」
「なるほど、そういうことですか。陛下から餞別も頂いておりますので、200万ビムル程度なら問題なくお支払い出来ます」
「なるほど、ならばあと100万ビムルは君のポケットから支払ってもらうことになるな」
ニヤリと笑いながらテオを横目で見る。
「かしこまりました、それでは300万ビムル準備させていただきます」
交渉は呆気なく終わってしまった。物分りがいいにも程があるな。
「なんと交渉のしがいがない男だ。僕だって一応は商人としてここで店も出しているんだ、交渉術を少しくらいは披露したいという商人心もわかってもらいたいものだね」
「これは、申し訳ありません。シャルロッテ様の申し出に、断るという選択肢は持ち合わせていないもので」
「ほほう、なら君は、ここで僕のために死ねといえば死んでくれるのかい?」
「もちろんです」
僕の質問に、テオは右手を心臓の前で構えながら答えた。僕は呆れながらワインを1口飲む。
「テオ、今の君はこの国を守り民草を守る兵士だ。守るべきものを履き違えてはいけない」
僕はそう言って、再度ボトルをテオに向けた。
「だが、ありがとう。その気持ちは素直に嬉しいよ」
もう1度グラスを合わせると、僕は残りを一気に飲み干した。
「それじゃあ僕はこの辺で失礼するよ。金は僕の店に持ってきておいてくれ、店の者には伝えておく」
椅子から立ち上がると、テオは僕より先に扉を開けに向かった。相変わらず紳士なやつだ。僕と一緒に外に出たテオは、再度右手を自分の胸に当てた。
「シャルロッテ様。今日お会い出来たこと、神に感謝いたします。またお会い出来るよう、祈っております」
「なんだと?」
僕はテオの腹を1発殴った。突然のことにテオは腹を抑えて咳き込んだ。
「しょうもないことを祈るな。人が人と会うのに神の意思など関係ない、そいつが会いたいと思うか思わないか、それだけだ。君は早くいい人を見つけて僕に紹介しに来い。それまで死ぬことは絶対に許さないからな、これは命令だ」
テオはすぐに姿勢を正す。
「仰せのままに、お嬢様」
僕は軽く別れの挨拶を済ますと、自分の店に向かって歩きだした。さっきテオを殴った右手が痛む。あいつめ、鍛えすぎだ。まるで鉄の壁を殴ったのかと錯覚したじゃないか、痛くて少し涙出てきた。
右手を擦りながら自分の店に戻ると、事務所の明かりをつけてからソファに横になった。しかし、久しぶりに会ったというのにテオは昔と何も変わらなかったな。まあ人なんて、そんなに急に変わるものじゃないということなのだろう。僕は首から下げていた小さなロケットを手にすると、静かに蓋を開けた。ロケットの中にある幼い頃の僕と母の写真を見つめ、少し昔のことを思い出していた。
「母上もそうだったのだろうか」
僕の呟きは誰にも届くことなく消えていった。もう寝よう。指を鳴らし、タオルケットを転移させると明かりを消した。それなりに疲れていたのだろう、眠りにつくのにそう時間はかからなかった。
久しぶりに昔の夢を見た。子犬と庭を駆け回る僕。それを笑顔で見つめる父上と母上。心配そうに見守るテオ。あの時、あの場所には確かに幸せがあったのだ。今はもう戻らない、確かな幸せが。