和
少しばかり日も落ち始める時間だろうか、俺たちはとある場所に向かっていた。
歩いて行ける距離ではあるもののずっと相手に俺を運ばせるのも申し訳ないと感じた。
「ごめんね。本当なら隣を歩きたかったんだけど。」
そう言っても相手の表情は見えない。
「ううん、でもまさか会うまでこんな状態とは思わなかったけどね。」
「はは、自業自得って言われたらそこまでなんだけどね。」
「五階から?だっけ。」
「うん、マンションの屋上からだから実質六階からかな。」
「そんな高さで死ねるわけないでしょ。」
「いやいや、打ちどころによると思うよ。死ぬには六階という高さも充分に高いと言える。」
「結果として、足を骨折したと。」
「また、僕は失敗しちゃったんだよね。」
生きることすらもできなければ、死ぬこともできない。
俺は結局どこまでも人生というものが下手くそだった。
歩いていないのにこの話をしてるとまた息が上がってくる。
今度は先ほどよりも酷いという直感。
すぐに薬を取り出そうとする。
先ほど飲んだばかりなのに飲んでもいいのか?みたいなことを考えてすぐにまた過呼吸になる。
まずい、このままだとぶっ倒れる。
相手の手が俺の手を握る。
いつになく真剣な表情をするななんてことを考えてる暇がないほどに息が上がっていた。
「大丈夫だから、大丈夫。」
「どうしよ、どうしよ。俺、死んじゃう?」
「死なないよ、和くん。」
「和くん?って誰だっけ。わかんない。どうしよ、頭が痛い。なんだっけ。どうすればいいんだっけ。」
「あなたは和、十八歳の男の子。今は私と一緒にお散歩してるの。少ししんどくなったみたいだけど、すぐ良くなるからね。死なないよ。大丈夫。」
数十分ほどで落ち着いた。
「ごめんね…普段は…人といる時は…ここまで…パニック…にならないんだけど。」
「ううん、大丈夫だから。ゆっくりと進み始めるけど大丈夫?」
「うん、ありがとう。」
相手が見てない隙に薬を飲む。
落ち着いてきた。これでまた話せる。
「僕の命についての話を聞いてくれる?」
「うん。聞かせて。」
初めて死にたいと思ったのは五歳の頃だった。
友達に「死ね。」と言われて死にたくなった。
たったそれだけの理由で死にたいと思った。
普通の人なら頭がおかしいと感じるかもしれない。
でも、彼は親友だった。
彼と出会いずっと家で一人で遊んでいた僕は彼とずっと一緒にいたいと思った。
たくさん遊んで、一緒の小学校に行って、大人になって。一緒に生きていく友達だと思ってた。
たった、一つの些細な喧嘩だった。
喧嘩と言えるかも分からない。
彼がなぜ僕をあそこまで嫌うようになったのかはわからない。
でも僕は五歳で親友を失った。
二回目に死にたいと思ったのは小学二年生の頃だった。
同じ登校班の六年生に毎朝帽子を奪われては道路の真ん中に投げられた。
何度も轢かれそうになりながら僕は大切な帽子を小学二年生にとっては戦地とも言えるような場所に取りに行った。
ある日、僕は帽子を奪われた瞬間に相手の足を蹴って相手をコンクリートのアスファルトに倒れさせた。
「てめぇ、クソが。」と言われたけどただひたすらに睨み返した。
それ以来帽子を奪われなくなった。
代わりに登校班の人間全員に避けられるようになった。
死にたくなった。
小学校六年生の頃、新しい親友に出会った。
何日も一緒に遊んだ。
彼に性的な暴行をされた。
死にたくなった。
中学生の頃、勉強をひたすらに頑張っていた。
部活動で後輩に暴力を振るわれながらも部活を頑張った。
生徒会のメンバーとして学校での活動に力を入れた。
学校に行けなくなった。
突然だった。
母親に相談すると「気の持ちよう。」
たった一言だけ返ってきた。
死にたくなった。
高校一年生の頃…ごめんあまり覚えてない。
二年生の頃のことも。
高校三年生になった。
気づいたら腕に傷があった。
初めて腕を切ったのは高校生の時だった。
腕を切って始めに浮かんできた感情は痛みでも恐怖でもなく安堵だった。
「これでやっと、辛いってことがわかってもらえる。やっと気づいてもらえる。」
周りの人たちは僕ではなく僕の傷を見た。
「痛そう。」「そんなことやめな。」「意味ない。」
ありったけの言葉で傷つけた後僕から離れていく。
死にたくすらならなかった。
人生そのものに絶望した。
初めて会った時、僕の傷を見て彼女は何一つ顔色を変えず僕の傷を見ていた。
「自分で切ったの?」
「うん。」
「そうなんだ。ところでさ…」
「え。」
最初はびっくりしたっけな。
人の腕の傷を見た後に平気で自分の話をし始めるもんだから一連の会話が僕の妄想だったんじゃないかななんて思ったよ。
「傷、引かないの?」
「うーん、よくないとは思うけど別にそこまでどうとも思わないかな。それのおかげで生きていれるなら。第一!傷一つで関わるか関わらないかなんて決めないよ。」
初めて僕を見てくれた人だった。
付き合った後、彼女は僕の自傷行為を嫌がった。
「どれだけ苦しくても、あなたには私がいる。傷がなんかなくてもちゃんと見てるから。これ以上傷つかなくていいんだよ。」
「うん。」
そうやって頷いた。
僕はどれだけ辛くても腕を切ることを辞めた。
でも腕を切るという依存先がなくなると次第に彼女に依存するようになった。
何度も死にたいと嘆いては彼女に痛みを教えてもらい生きようとした。
彼女はだんだんと疲弊していった。
僕を抱えきれなくなったのだ。
別れ話が終わり僕は死のうとした。
深夜、精神安定剤を飲みながら手首を何度も切り刻んで死のうとした。
親に心配をかけてはいけないから外に出ていた。
でも死にたくなかった。
彼女とまだ一緒に生きたいと思ってしまった。
彼女に連絡した。
会いにきてくれた。
初めてだった、あんなに泣く彼女を見たのは。
「もう、あの頃のようには愛し合えなくても一緒に生きていこう。」
「君は、この傷を見て一生苦しむことになるよ。」
「うん。」
「俺はきっと君を傷つける。」
「うん。」
「俺といても幸せになれないよ。」
「わかってる。でも決めたから。」
「俺のこと怖い?」
「怖いよ。」
「ならどうして。」
「あなただから。」
それからただひたすらに彼女と愛し合った。
彼女は僕の薬指に噛み跡をつけた。
あなたが私のことを忘れないようにって。
痛かった。
でも嬉しかった。
壊れていく自分たちを誤魔化した。
いや、彼女も壊れていってたんだ。
後になって気づいたんだ。
あの頃の彼女は髪も少し寝癖があって、顔色も悪く、疲れた目をしていた。
僕たちはただひたすらに目を瞑った。
見ないようにした。
聞かないようにした。
気づかないようにした。
笑顔であり続け、一緒にいれることを喜んだ。
結果として彼女をまた傷つけた。
言葉にできないくらい酷いことを言った。
嫌われるようなことをたくさんした。
多分きっと怖かったんだと思う。
壊れていって彼女に捨てられるのが。
壊れる前に死のうとした。
嫌われたかった。
僕が死んだ後、彼女が僕のことを忘れられるようにって。
それでも彼女は「あなたを嫌いになれない。」と言った。
彼女は僕の前から消えた。
一言も残さずにね。
「ごめんね。暗い話をして。」
「いや…そうだね。でも話してくれてありがとう。」
「いえいえ。」
「今も、まだ傷がある?」
「ううん、もうないよ。」
腕を捲って見せる。
そこにあるのは古い傷跡だけ。
「そうなんだ。よかった。」
そんな相手の言葉を振り切るかのように俺の頭の中で言葉が生まれてくる。
何度も、自分を傷つけようとした。彼女がくれた痛みを上書きしようとした。でも痛みを感じなかった。手首をいくら切っても、何粒の薬を飲んでも、どれだけ自分のことを殴っても。上書きなんてできなかった。指に残る彼女がくれた痛みが唯一残された愛だと気づいた。
「なんで死のうとしたの。」
「僕が生きてると幸せになれない人のため。」
「そんなんで自分の人生を棒に振るの?」
「タイミングが今ってだけだよ。元々僕はあの時死ぬべきだった。それなのに生きたいと思ってしまった。今の苦しみはきっとその罰だよ。」




