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Fランクおっさん荷物持ち、無自覚ワンパン配信で世界最強に成り上がる  作者: 伊達ジン


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第1話 最弱の荷物持ちと傲慢な勇者

 地下30階層。ここは探索者たちの間でも『死の境界線』と呼ばれる中層の最深部だ。

 光の届かないはずの空間は、壁面に自生する発光苔と、岩肌に埋もれた魔石の淡い青光によって、不気味に照らし出されている。苔の放つ光はどこか病的な色を帯びており、迷宮の岩肌に蠢く影を一層禍々しいものに見せていた。

 ひんやりとした湿った空気が、肺の奥を撫でる。粘り気のあるその空気は、まるで巨大な生き物の内臓を歩いているような錯覚を起こさせる。腐敗した土と、微かな血の匂いが混ざり合ったダンジョン特有の悪臭が鼻を突き、初心者の探索者であればこの空気を吸い込んだだけで嘔吐してしまうほどの瘴気を孕んでいた。


 田中ドク、32歳。職業、荷物持ち。ランクは最低のF。

 彼は今、自身の体重の倍はあろうかという巨大なバックパックを背負い、岩肌の露出した迷宮の通路を、音を立てないように慎重に歩いていた。


 バックパックの総重量は軽く100キロを超えている。中には予備の武器、防具、大量のポーション、数日分の食糧や野営具が詰め込まれていた。肩紐は容赦なく鎖骨に食い込み、一歩踏み出すたびに膝の軟骨が悲鳴を上げる。本来ならドクの細身に見える身体では一歩も動けない重さだが、歩くための無駄のない体重移動と、歯を食いしばる気力によって、なんとか這うように進んでいた。

 その身体は、度重なる酷使により彫刻のように無駄なく引き締まっているが、汗と土埃にまみれ、無精髭を伸ばしきったその顔と、重さで丸まった背中のせいで、周囲からは単なる「くたびれた冴えないおっさん」にしか見えなかった。

 呼吸を乱すことすら許されない。荒い息遣いは迷宮に潜むモンスターの耳を引くからだ。


「おい、ドク。歩くのが遅えぞ。俺たちのペースに合わせろっていつも言ってるだろうが」


 前方を歩く金髪の青年が、振り返りもせずに忌々しげに言い放つ。モデルのように整った顔立ちには、隠しきれない傲慢さが滲み出ている。長身に特注の真紅の鎧を纏った彼こそが、このAランクパーティ『紅蓮の剣』のリーダーであり、若くしてSランク到達も近いと目されている凄腕の魔法剣士、レオだ。その鎧は、ダンジョンの薄暗がりの中でも自己主張するように鈍く光り、彼が歩くたびに金属同士が擦れる高い音が響いていた。


「すみません、レオさん。すぐ追いつきます」


 ドクは息を整えながら、重い足を引きずって小走りで距離を詰める。バックパックの中で、ポーションの瓶や機材がガチャガチャと鳴るのを極力抑えながら。太ももの筋肉が熱を持ち、焼き切れるような痛みを訴えてくるが、表情には出さない。

 ドクのステータスは、探索者の中でも最底辺だ。筋力も、俊敏性も、魔力もない。ただ一つ、初期から持っていた『収納』というスキルだけが頼りの綱だった。しかし、それも「アイテムを数個しか収納できないハズレ枠」だとドク自身が思い込んでいるため、入りきらない大半の物資はこうして物理的に背負うしかなかった。


「ったく。これだから底辺のオッサンは。ちょっと荷物持たせただけでこれだぜ? 足手まといにも程がある」


 レオは隣を歩く女性に同意を求めるように鼻を鳴らした。


「仕方ありませんよ、レオ。彼は私たちとは根本的に造りが違うんですから。……ドクさん、あまり息を荒くしないでください。不快ですし、モンスターを引き寄せてしまいます」


 レオの隣を歩く、艶やかなブロンドの髪を揺らす女性が同意するように微笑んだ。純白の神官服に身を包んだ聖女マリア。人形のように美しく可憐な顔立ちに、慈愛に満ちた笑みを浮かべてそう言った。血と泥にまみれたダンジョンにおいて、彼女の存在だけが異物のように清潔さを保っている。言葉の表面こそ丁寧だが、その目には明確な侮蔑と嫌悪が混じっている。汚れた野良犬を見るような目だ。


「申し訳ありません、マリアさん。気をつけます」


 ドクは深く頭を下げる。

 理不尽な扱いには、とうの昔に慣れっこだった。

 32歳。探索者としては完全にとうの立った年齢で、強力な戦闘スキルもない。若く、才能に溢れ、巨万の富と名声を得ている彼らから見れば、自分などただの使い捨ての駒でしかないことは痛いほど理解している。

 日当は相場の半分以下。危険手当も出ない。それでも、この日雇いの仕事をクビになれば、明日の生活すら危うくなる。アパートの家賃、水道代、そして生きるためのわずかな食費。だから、どれほど蔑まれようと、人間扱いされなかろうと、耐えるしかなかった。


(俺は底辺だからな。使ってもらえるだけありがたいと思わなきゃ。俺みたいな無能が、この歳で生きていくには、こうやって泥をすするしかないんだ)


 額に浮かんだ脂汗を拭い、肩紐を握り直す。手のひらには、無数のタコと古傷が刻まれている。痛覚すらも麻痺しつつあるその手で、自らの運命の重さを支え続ける。


 その時、前方を歩いていたレオが急に立ち止まり、腰に差した豪奢な剣の柄に手をかけた。チャキッ、と鋭い金属音が静寂を切り裂く。


「……来るぞ」


 通路の奥の深い闇から、複数の低い唸り声が響く。地響きのような足音が、ズン、ズンと規則的に近づいてくる。空気が微かに震え、カビ臭い風が吹き抜けた。

 現れたのは、中層の厄介なモンスター『ブラックオーガ』の群れだった。筋骨隆々の巨体に、漆黒の皮膚。その数は5体。大柄な個体は天井に頭がつかえそうなほどであり、手には血に塗れた粗末な棍棒を握りしめている。


「チッ、雑魚が群れやがって。マリア、バフを頼む」

「はい、レオ。『聖なる加護』」


 マリアが優雅な手つきで杖を振るうと、杖の先端から淡い光が放たれ、レオの鎧と剣を包み込んだ。空気が清浄な魔力で満たされ、レオの身体能力と攻撃力が飛躍的に向上する。

 ドクは慌てて近くの岩陰に身を滑り込ませ、巨大なバックパックを盾にするように身を縮めた。息を殺し、耳を塞ぐ。荷物持ちの鉄則は、戦闘の邪魔にならないこと。そして、自分の身は自分で守ることだ。


「一掃してやる。下がってろ!」


 レオが地を蹴る。Aランクの脚力は凄まじく、残像を残して瞬く間にオーガの懐に飛び込んだ。

 レオが炎を纏った剣を横薙ぎに一閃する。先頭のオーガの太い胴体が豆腐のように両断され、灼熱の炎が周囲に燃え広がる。苦悶の咆哮を上げる間もなく、巨大な肉塊が崩れ落ちた。

 さすがは次期Sランカーと目されるだけはある。その流れるような剣技と破壊力は圧倒的だ。

 しかし、レオは自分の派手な技を誇示することに夢中で、周囲への被害や後方にいるドクの位置など全く考慮していなかった。


「はははっ! 燃えろよゴミ共!」


 残るオーガに向けて、レオはさらに強力な範囲魔法剣を放つ。

 紅蓮の爆炎が通路を駆け抜け、オーガたちを壁ごと吹き飛ばした。轟音が鼓膜を揺らし、迷宮全体が震度3程度の地震のように揺れる。

 だが、その余波は、後方で隠れていたドクのいる岩陰にも容赦なく襲いかかった。


「っ……!」


 咄嗟に腕を交差させて顔を庇う。

 高熱と凄まじい衝撃波が、ドクの身体を打ち据えた。砕け散った岩の破片が散弾のように降り注ぎ、彼の作業着を容赦なく引き裂く。肌を焼くような熱気が迫り、髪の毛がチリチリと焦げる匂いが鼻を突く。

 普通のFランク探索者なら、これだけで全身の骨が砕け、内臓が破裂し、最悪命を落とす威力の余波だった。

 しかし、ドク自身は気づいていない。迫り来る致死の熱と衝撃が、彼の身体に触れた瞬間、まるでブラックホールに吸い込まれるようにすっと消え去ったことに。長年彼が『役立たず』と信じ込んできた収納スキルが、その規格外の余波をすべて無意識のうちに『ストック』してしまったのだということに。


「……ふぅ。終わったぜ。呆気ないもんだ」


 炎と土埃が収まると、レオが剣を鞘に収め、得意げに振り返った。

 そこには、服のあちこちを焦がし、煤だらけになって咳き込むドクが立っていた。


「おいドク、何ボサッとしてんだ。さっさとドロップアイテムを拾え」

「……はい。すぐやります」


 ドクは体に残るわずかな鈍痛を感じながら、黒焦げになったオーガの死骸に近づき、むせ返るような血と焦げた肉の匂いの中で、魔石や素材をナイフで剥ぎ取り始めた。

 ナイフを握る手に力を込め、硬い皮膚を切り裂いていく。幸い、大きな怪我はない。


(昔から、なぜか頑丈なだけが取り柄なんだよな。馬鹿力で生き延びてるようなもんだ)


 彼は本気でそう思っていた。それがAランカーの全力魔法の余波だということも知らずに。


「レオ、あの人また巻き込まれてましたよ。立ち回りが下手すぎるんです。本当に足手まといですね」


 マリアが絹のハンカチで口元を押さえ、血の匂いを嫌悪するように呆れたため息をつく。


「全くだ。治癒魔法をかける魔力ももったいねえ。ほっとけ、どうせあのオッサンはゴキブリみたいにしぶといんだから。痛い目見ないと立ち回りも覚えねえだろ」

「そうですね。私の神聖な魔力を、あんな薄汚れた人に使うのは嫌ですし。それに、傷が残っていた方が彼のような人間にはお似合いです」


 彼らの会話は、素材を剥ぎ取るドクの耳にもはっきりと届いていた。

 血まみれの魔石を握る手に、一瞬だけ力がこもる。魔石の鋭利な角が皮膚に食い込んだ。

 だが、ドクはすぐに表情を消し、無言で作業を続けた。

 反論したところで何になる。自分は金をもらって雇われている底辺の荷物持ち。彼らは探索者協会の看板を背負うトップエクスプローラー。その絶対的な力関係が覆ることはない。言い返せば、さらに理不尽な暴力が飛んでくるだけだ。心を無にして、ただ手を動かす。


「少し休むぞ。未踏エリアに入る前に体力を回復させておく」


 ドロップアイテムの回収を終え、それを麻袋に詰めたところで、レオの号令により短い休息が取られた。

 レオとマリアは、魔法で浄化された清潔なシートの上に座り、高級な携帯食料と魔力回復のポーションを優雅に口にしている。二人の間には、優雅なティータイムのような空気が流れていた。

 一方で、ドクに与えられたのは冷たく硬い黒パンの切れ端と、水筒のぬるい水だけだった。彼はシートに座ることすら許されず、少し離れた岩肌に寄りかかり、立ったままパンを齧る。

 顎が疲れるほどの硬いパンを噛み砕き、水で無理やり胃の奥へと流し込む。何の味もしない、ただ空腹を紛らわすだけの作業だった。ドクは自分の手を見つめた。


(あと半日の我慢だ。この依頼が終われば、来月のアパートの家賃が払える)


 ただ生きるためだけに、プライドも何もかもを捨ててへりくだる日々。

 かつては彼にも、ささやかな夢や希望があったはずだった。誰かを助けたい、立派な探索者になりたいというような、ありふれた若き日の熱。だが、Fランクという才能の壁と、社会の底辺という現実が、長年かけて彼から感情をすり減らしていった。今ではもう、怒りすら湧いてこない。ただ、今日を生き延びるためだけに息をしている。


「おいドク、水が足りねえぞ。俺の水筒を満タンにしとけ」


 レオが空になった水筒をドクの足元に投げ捨てる。金属の音が石畳の上で冷たく響き、乾いた音を立てて転がった。


「……はい」


 ドクはパンをしまい、膝をついて水筒を拾い上げると、急いで自分の水筒からレオの水筒へ水を移し替えた。チョロチョロと水が移る音だけが虚しく響く。自分の取り分がなくなることなど、口に出せるはずもなかった。


「素材の回収と荷物の整理、終わりました」


 ドクが魔石とオーガの角が入った麻袋を差し出すと、立ち上がったレオはそれを見もせずに顎で指示した。


「遅え。お前の収納に入れとけ。……いいかドク、ここから先は『未踏エリア』だ。俺たち『紅蓮の剣』が、この階層の未知のボスを初討伐して名を上げるための重要な局面だ。少しでも俺たちの邪魔をしたら、迷宮の肥やしにしてやるからな。マジで殺すぞ」


 レオの目は笑っていなかった。明確な殺意と見下す色が混じっている。彼は本気で言っているのだ。ドクの命など、その辺の石ころよりも軽く見積もっている。

 その直後、彼らの頭上を静かに飛び回っている小型の配信カメラドローンに気づくと、レオは瞬時に爽やかな笑顔を作った。


「さあ、リスナーの皆! いよいよ未踏エリアへの突入だ! 俺の活躍、絶対に見逃すなよ!」


 ドクは黙ってドローンの赤いランプを見上げた。無機質に点滅するそのレンズの向こうには、数万の視聴者がいる。

 この配信のコメント欄には、きっとレオへの称賛と、足を引っ張る「無能なおっさん」への罵倒が滝のように流れているのだろう。

 ドクは小さく息を吐き、血と煤で汚れた手で、再び100キロを超えるバックパックを背負い直した。関節が悲鳴を上げるが、気力でねじ伏せる。


「……承知しました、レオさん。決して邪魔はしません」


 薄暗い通路の奥は、さらに深い闇へと続いている。

 そこから漂ってくる空気は、中層のそれとは比べ物にならないほど濃密で、肌を刺すような圧倒的な死の気配を孕んでいた。未知の領域。高ランク探索者ですら命を落とす危険地帯。

 その奥で何が待ち受けているのか、ただの荷物持ちであるドクには知る由もない。

 彼はただ、背中にのしかかる重みを堪えながら、黙々とレオたちの背中を追うしかなかった。

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