小学校の時に人工知能が人間を追い抜いてたらしい
俺、伊藤 瑞樹は今年で20歳になる。
2014年7月15日生まれ。今日は2035年1月15日。
世間では「20歳の日」とされる3連休の最終日だ。
そんな中優雅に3連休を満喫出来たらよいのであるが、生憎3連休はすべて勤務で埋まっている。
なぜなら、俺の職業は入国審査官だからだ。
これを読んでいる人たちは、日本って言う国にいるんだっけ。
ここは、陽国。
いつ分かれたかはわからないがパラレルワールドに相当するらしい。
そちらの日本という国と言語も文化もあまり相違がない。
強いて言うなら、2025年に人工知能が人間の知能を超える<シンギュラリティ>が起きたということだ。
それにより、一時期は人間が不要になるんじゃないか、って言われていたがこうしてシンギュラリティが起きてから10年たった俺でもちゃんと仕事がある。
ちなみに、そのAIは国名からYOHっていう風に名付けられた。
そっちの日本って国では20歳で入国審査の最前線に勤務することは論外だと考えられていると思う。
それはコチラも同じでシンギュラリティが起きるまではそう考えられていた。
そして、そちらで主流なAIは大規模言語モデル<Large Langualge Model:通称LLM>と呼ばれるものだろう?こちらの世界でもLLMは2025年1月まではすごく使われていたらしいが今は絶滅危惧種、と言っても過言ではない。
その代わり使われているのは大規模経験モデル<Large Experience Model:通称LEM>というものだ。
詳しい仕組みはわからないが、中学の時に受けた科目:AIで大体の内容は頭に入っている。
LLMには大きな欠点があった。それは、大前提として文字を挟んでいること。チャット型AIなどは大量の文字を学習させて、それを数値化して学習していくスタイル。
詳しくは知らないが、画像もピクセルごとに数値化することで学習、そして生成していたらしい。
だから、それっぽい文章や画像は返せるが何か生成されたものに人間が違和感を持つ。
そんなものだったらしい。
それをこちらの世界では10年前の2025年の陽国首都大学研究チームは数値化をすっ飛ばしたAI、要は人間と同じように経験できる、というものだ。
LLMにも大量のデータを学習させた場合に、ある時から回答精度が格段にUPするという性質があるらしいが、YOHはもっと中身がブラックボックスだ。
考えてみてほしい。今、あなたはこのように俺が考えていることを読んでいるが、あなたはその理由は他者に説明できるだろうか?
LLMは数値を挟む。だから時間はかかるかもしれないが、アルゴリズムでここまでのデータを見つけ、読んでいることが説明できるかもしれない。
だが、YOHは違う。もはや人間に近い性能を持っている。
なぜそうなったのか。
それを説明できないある意味不気味なAIだ。
要は、人類は本当に「寝ない人類」を作り出したといっても過言ではない。
もう1度言う。これが発表されたときには「人間不要論」が一斉に唱えられた。
大企業では一斉早期退職募集というリストラが行われ、失業率は一時期格段に跳ね上がった。
しかし、それは一時的なことに過ぎなかった。
理由としては大きいのは政府に依る法律。
「YOHによって起きた過失は使用者の過失」と定められたからだ。
つまり、仮に何かしらのミスをYOHがしたとしよう。その場合の過失は「人間」ということになる。
幼い子供が起こした失敗に対して親が代わりに頭を下げに行くようなイメージという認識で構わない。
そこで、YOHによってあらゆる「責任を取る必要がある職業」が生成された。
少子高齢化が進んでいたこともあり産業の変革は起きたものの大きな問題ではなかった。
これは、そんな人間とAIが調和を保っている世界、そちらから言うとパラレルワールドでの話だ。




