ミカエルの友人
「お初にお目にかかります。私は王立研究所に勤める歴史学者のアルレインと申します。このように王女様にお目見えでき大変光栄にございます。以後お見知りおきを」
片足を床につき、胸に手を当てた状態でそう挨拶をする目の前の男。長くのばされた茶色の髪は頭の後ろで低く結われており、眼鏡越しに見える緑色の瞳の奥には隠された好奇心が渦巻いてる。
「面を上げてください、アルレイン。ミカエルから貴方のことは聞いています。彼とは古くからの友人だそうですね。とても優秀な学者だと聞いております。ぜひ色々と話を聞かせてください」
「勿体ないお言葉にございます。実は私は以前より王女様にお会いしたいと願い、このミカエルに紹介するよう頼んでいたのです。なかば諦めていたところに、このような長年の念願が叶う機会が訪れようとは…このアルレイン、感無量でございます」
きらきらとした目でそう言いながら私を見つめてくるアルレイン。私は居心地の悪さを感じ、とりあえず用意してあった席へと誘導し座らせた。ここは、王族が個人的に客をもてなすときに使う客間。煌びやかな装飾がほどこされたその部屋の中央には重厚なソファが対面するように並べられ、その間にはガラス製のテーブルが置かれている。部屋には私とアルレインの他に、護衛のミカエルと専属待女が2名いた。ちなみにミカエルは私を守るため、常に背後に控えている。
お互い座ったところで、待女がお茶をテーブルに用意し、私はそれに口をつける。それを確認するとアルレインもお茶に口をつけた。身分の高いものから出されたものに口をつける。それがこの国のしきたりだ。お茶をテーブルに置くと、私は彼に話しかけた。
「…あの、なぜアルレインは私なんかに興味を持ったのです?正直、この国有数の学者である貴方が第三王女の私に興味を持つとは思いもよりませんでした」
私の言葉にアルレインは驚いたように動きを止め、手に持っていたカップを置くと顎に手を当て、少し考えるようなそぶりを見せてから発言した。
「…失礼ですが、アウレイリア様はご自身の価値にお気づきではないのですか?」
「え?…私の価値ですか?」
「ええ」
アルレインにそう言われた私は、自分の価値について考えてみる。そして、思いついたことを挙げてみた。
「んー、珍しい見た目の王女だからそういう趣向の人には人気があるとは聞いたことがあるけれど…、あとは第三王女とはいえ、一応王族だし、政略結婚としての価値はあるわよね…」
「…」
そう独り言のように呟く私を、アルレインは微妙な顔をしながら見つめた。
「なるほど…。王女様がご自分を随分卑下なさっているということがわかりました」
そういうと、アルレインは咳ばらいをしてこちらを見る。眼鏡が光を反射してキラーンと光った。緑色の瞳にはなにやら熱いものが渦巻いていて、私は身の危険を感じる。あれ、もしかしてこれ、なんかスイッチ入れちゃった感じ?
「いいですか、王女様。王女様は素晴らしい方なのです!歴史を見ても王女様のような素晴らしいお方は大変貴重な存在!私は王女様という素晴らしい方がいらっしゃる時代に、こうして生まれ、更にはこのように面と向かってお話ができるということを大変感謝しております。それはもう今すぐ神に感謝の意をささげたいくらいには。ええ。それでですね、まず王女様の何が素晴らしいのかと申しますと、王族という最高位の立場にあるお方にも関わらず、民と直接触れ合われ、民の悩みに心を傾け、民のためにと行動なさるその行動力!このように親身になって民に心を砕かれる王女様のお姿はまさに聖女そのもの!民から寄付金をふんどって我が物顔をするどこぞの聖職者よりもよっぽど神に仕えるのに相応しいお方が王女様なのです!さらには、私たち学者がうなされるほどの聡明さ!幅広い知識と、それを利用して様々問題を解決へと導く発想力。誰があのように他国の作物を育て、貧困の危機を脱し、あのような珍しい商品を生み出し、この国の経済を発展させることなどできましたでしょうか?いいえ、王女様以外でそのようなことをできたものなどおりません!更に、平民のための学校!あれも素晴らしい!平民の識字率があがるということ、それはすなわちこの国も文明の発展!王女様はこの国の歴史に大きな発展をもたらしたのです。それから、王女様の容姿につきましても…」
やはり、私は彼のスイッチを入れたらしい。学者というのは一旦スイッチが入ると話が止まらなくなる者が多いイメージだが、彼もその類の人間のようだ。最初は話に耳を傾けていたがだんだん面倒になってきたので私は適当に相槌を打ち、静かにお茶を飲みながら話が終わるのを待った。
1杯目の紅茶が飲み終わり2杯目の半分くらいを飲み切ったところで、そろそろ終わらないかなと私が思っていると、ミカエルが背後から咳ばらいをし、アルレインの名を呼んだ。それによって漸く彼は我に返り、慌てて咳ばらいをして落ち着きを取り戻した。――ありがとう、ミカエル!
「…失礼しました。というわけで、王女様は素晴らしいお方なのです。もっとご自分に自信をお持ちくださいませ」
「わかりました。そのように私を認めてくれる者がいるというのはとても嬉しいことです。大分買い被りなところはある気もしますが、今はそのようにしておきましょう。…ところで、アルレインはどうして私に会いたがっていたのです?あそこまでミカエルに頼んでいたのですから、何か理由があるのでは?」
私がそう尋ねるとアルレインは突然、かしこまった表情で私に向き合った。
「実はアウレイリア様にお願いがあって参ったのです」
「…お願いですか?」
その言葉に私は思わず身構える。アルレインは真剣な面持ちで言葉を放った。
「私にアウレイリア様の研究をさせてください」
「…私の研究、ですか?」
「はい」
何となくミカエルから話を聞いていたから予想はしていたけど、一体私の研究って何をするつもりなんだろう。まさか、本当に人体実験とかじゃないわよね…嫌よ、私、解剖されて死ぬの。
「あの、私の研究とは具体的にはどのような…」
恐る恐る私がそう尋ねると、彼は説明を始めた。
「はい。アウレイリア様のなさっている今の活動やこれからの活動について、事細かに記録し、後世に残す本にまとめたいのです。それから、アウレイリア様のその行いがこの国にどのような影響をもたらしたのか、できればアウレイリア様ご自身の想いとかお考えもその都度記録させていただきたいですね。いつかアウレイリア様の聖女伝説を作り上げて、世に広めるのが私の夢なのです!」
「…」
聖女伝説?なんだそれは私のどこに一体聖女の要素があるのか全く分からない。というか、それ明らかに黒歴史になるようなものだよね。やめてほしい、それだけは切実にやめてほしい!
「せ、聖女伝説ですか?流石にそれは何というか無理があるように思いますが…」
「何をおっしゃいますか。アウレイリア様ほど聖女にふさわしいお方などおられませんよ。よろしければ、もう一度アウレイリア様がどれほど聖女に相応しいお方なのかご説明いたしましょうか?アウレイリア様のことであれば、私はいくらでもお話できますよ?」
自信満々にそう言うアルレインに私は慌てて首を横に振る。あれをもう一度聞くなんてとんでもない。このままではアルレインの話だけで一日が終わりそうだ。
「わかりました。ですが、そのお願いを聞き入れるかどうかは、貴方がこちらからの要望に応じるかどうかで決めます。なお、今から話すことは重要な機密事項。場合によっては貴方の記憶を奪わねばならなくなるほどのものです。…どうしますか?それでもそれを願いますか?」
私がアルレインの目を見つめながら真剣な声でそういうと、アルレインは真剣な表情で私を見つめたままゆっくりと深く頷いた。
「はい。私の気持ちは変わりません。研究のためにはどんな苦労も厭わない。それが学者というものです。それにアウレイリア様からお願いをされるなど、私にとって本望。どうぞご要望をお聞かせください」
彼のその言葉に私は静かに頷き、視線でミカエルに人払いを命じた。側に控えていた待女は静かに出ていき、部屋には私とミカエル、そしてアルレインの三人だけになる。私は目の前の男を見つめた。
さあ、目の前の彼はこれから聞く話に一体どんな反応を示すのだろうか。
私が聖女どころか、毒に染められたこの国を傷つけるような悪女の存在であることを知った時、彼はどう反応するのだろうか。
胸の奥から湧き上がってくる不安を感じながら、私はカップを傾けお茶を流し込んだ。