第五話
約束の日がきた。
部活後、私は一人屋上へと向かった。
扉を開けると冷たい風が吹き抜ける。
「…寒い」
吐いた息が白くほどけて、夜空へと消えていく。
いつものフェンス越しに、空を見上げる。
「……朔、先輩」
呼んでも返事はない。
当然だ。
先輩がいつ帰ってくるのか、私は知らない。
ただの口約束で、流星群のピーク時が見たいと言っていたのを間に受けて、今ここにいる。
手術がちゃんと成功したのかも知らない。
今どこにいるのかも、知らない。
それでも私は、ここに来た。
約束したから。
ただそれだけ。
スマホで時間を確認する。
流星群が見れる時間まで、あと少し。
私はフェンスに凭れて座り、抱えた膝に顔を埋めた。
「………馬鹿だなぁ、私」
待ってる、だなんて言っておきながら。
先輩が来る確証もないのに。
「ほんと、馬鹿みたい」
そう呟いた瞬間だった。
「……誰が馬鹿だって?」
声が、した。
聞き間違えるはずがない。
ゆっくりと立ち上がり、後ろを振り返った。
そこにいたのは--…
フードを被った、あの人だった。
「…え」
言葉が出ない。
先輩は少しだけ、困ったように笑った。
「久しぶり」
「…せ、先輩」
「うん」
以前よりすこし痩せて、線の細くなった身体。
でも、笑い方も、声も、何も変わっていない。
その姿を見た瞬間、胸の中に押さえていたものが一気に溢れ出そうになるが気合いで押し留める。
「…いつ、帰ってきたんですか」
「今日の午前中。許可が出て一番早く乗れる便を選んだんだ」
「…手術は」
「成功したよ」
「……本当に?」
「あぁ。本当だ」
私はもう何も言えなくなった。
安心した。
嬉しい。
でも、それだけじゃない。
色んな感情が一度に押し寄せてきて、目の奥が熱くなる。
「……遅いです」
やっと出た言葉は可愛げのないものだった。
「ごめん」
「…ずっと待ってました」
「うん」
「…毎日、待ってました」
「うん」
「…帰ってくるかも、分からなかったのに」
「…うん」
「…ずるいです」
ただ静かに私を見つめるだけで、先輩は何も言わなかった。
沈黙が落ちる。
先輩は、ぽつりぽつりと口を開いた。
「……俺さ」
「はい?」
「最初は、手術を受ける気なんてなかったんだ」
その言葉に、思わず目を見開いた。
「成功する確率、そこまで高くなかったし」
「……」
「初めて会った時、『死んだ人は、星になる』って話をしてただろ?」
「しま、したね」
母の話をした時のことだ。
その話をしても、先輩は馬鹿にすることはなかった。
「その話を聞いて、不謹慎だけど…君のお母さんが少し羨ましかったんだと思う」
「へ?」
「このまま死ねば、俺も星になれば……君の心に、少しでも残れるかなって…」
私は何も言えなかった。
先輩がそんな事を考えているなんて、全く知らなかった。
「でもさ…」
先輩は空を見上げた。
「君と、ここで会っているうちに…俺の中の考えが変わっていったんだ」
「……どうして?」
「死んで星になるよりも、生きてこの先も君と星を見たい」
そう言って笑う先輩の顔は、いつか見せた優しい微笑みだった。
「一緒に見ることのできなかった夏の星座も秋の星座も…一緒に見たいって思った。流星群だって、これからも一緒に見たいと思った」
先輩は胸元へと手を置く。
「だから、生きたいって思った」
静かで、それでいて力強い声だった。
「この先も君と、星を見たいって思ったから」
押し留めていた私の涙腺は遂に決壊した。
何度も涙が溢れ、頬を伝う。
「君の元に、帰って来れたんだ」
「……朔、先輩」
「うん?」
まず、伝えなければいけない言葉をまだ送っていなかったな。
「……おかえり、なさい」
「…っ、ただいま」
泣いて言葉に詰まりながらも言葉を送る。
返ってきた先輩の声もなんだか震えていたような気がした。
その時。
夜空の向こうで、一筋の光が流れた。
「星が…」
その一筋の光は徐々に数を増す。
私の声に先輩も空を見上げる。
流星群だ。
あの日、約束した。
「間に合って良かった」
「…はい」
幻想的な空間だった。
二人で黙って空を眺めていた。
暫くして、先輩は小さく息を吐いた。
「…なぁ」
「はい?」
「向こうにいる時、ずっと考えていたことがあるんだ」
「何です?」
「君に会ったら、最初になんて言おうかって」
私は目を瞬かせる。
「…なんて、言うつもりだったんですか?」
「それが、決まらなくてさ」
先輩は少し照れたような表情を浮かべた。
それから向き合う形になって、真っ直ぐ私を見てめる。
「だから、今言うね」
とても静かな声だった。
「澪、君のことが好きだ」
思わず、息を呑んだ。
「星が好きだった」
先輩は言葉を続ける。
「今は、それと同じくらい--…いや、それ以上に」
一度だけ言葉を切られる。
「君と見る星が好きだ」
「……先輩」
「君とここで話す時間も、君が楽しそうに星を見る横顔も、くだらない話で笑い合ったことも……、これからはもっと側にいたい」
そして先輩は柔らかく笑う。
「だから、これからも一緒に星を見てほしい」
私は溢れる涙を袖で拭って先輩を見据えた。
「はいっ!」
今度は迷わない。
「私も、先輩と見る星が好きです」
頭上には溢れんばかりの星々が流れていく。
ようやく叶った約束。
私は隣りに座る先輩の耳元にそっと寄る。
「大好きですよ、朔夜先輩」
赤く頬を染める彼を見て、私もきっと同じ顔をしていることだろう。
彼はもうここにいる。
私と同じ空を見上げている。
そしてこれからも…。
一緒に星を見るために、共に生きていく。
冬の夜空には満点の星が煌めき、流星が流れた。
初投稿作品でした。
読んでいただきありがとうございました。




