第一話
放課後の校舎は、すっかり人気もなくなり静かだった。
「天城さん、また明日ね」
「お疲れ様でした」
天文学部の活動を終えて先輩達と別れ、私、天城澪〈あまぎ みお〉は一人で屋上へと向かった。
高校に入学してから二週間が過ぎて、私は真っ先に天文学部への入部を果たした。
ギリギリの部員数で存続している天文学部を選んだ私に、同級生は「昔から星が好きだったの?」と口を揃えたように言った。
その度に、私は少しだけ返答に困る。
好きになった理由を、うまく説明できないからだ。
「ただ、夜空を見上げると落ち着くの」
そう答えると深くは聞いてこなかった。
だって正直に言っても、理解してくれるとは思っていないから。
普段は立ち入り禁止の屋上は、天文学部だけ立ち入りを許可されている。
部活後の誰もいない屋上で、ゆっくりと星を眺める時間が好きだった。
屋上の扉を開けた瞬間、少し冷たい風が頬を撫でた。
「……あれ?」
いつもは誰もいないはずの屋上に、先客がいた。フェンスに腕を乗せ、空を見上げているその人は扉が開く音に気付き、こちらを振り向いた。
振り向いたのは男子生徒だ。
制服の上からパーカーを着込んでいたため分かりにくいが、僅かに見えた首元のネクタイの色から三年の先輩だと分かった。
深く被ったパーカーのフードのせいで表情まではよく見えない。
「……ここ、よく来るんですか?」
少しだけ近付いて声をかける。
まさか声をかけられるとは思っていなかったのか、先輩は少し驚いたように目を見開いた。
「…たまに」
夕暮れに照らされた先輩の瞳は、とても綺麗で、何故か強く印象に残った。
「天文学部の幽霊部員?」
「違う」
在籍だけして全く姿を見せない先輩もいるがどうやら違うらしい。
「じゃあ、どうしてここに?」
「星を、見に来ただけ」
あまりに素直に答えられ、私は少しだけ目を瞬いた。
「先輩も、星が好きなんですか?」
「そうだね」
短い返事だった。
でもそのあと先輩が空を見上げながら口にした星座の名前に私は驚いた。
「スピカ」
「……詳しい、ですね?」
「五月の一等星だからね。青白くて、よく見える」
「スピカは有名ですよね」
「今の時期なら北斗七星からアークトゥルス(うしかい座)、スピカ(おとめ座)へと辿る春の大曲線が見えるはず」
先輩が指を伸ばす方へと視線を動かし、空を見上げた。
「春の大曲線、そこからデネボラ(しし座)に続くと春の大三角ですね」
薄っすらと見える星々。
部員ではないらしいが、本当に詳しいな。
「なんで部員より詳しいんですか?」
「そのくらい知ってるだろ?有名だし」
「先輩、本当に天文学部の部員だったりしません?」
「部員じゃないって言ったろ」
「じゃあ何部なんです?」
「秘密」
「秘密って…」
思わず笑ってしまったが、フードの奥で先輩も微かに笑っているのが分かった。
それから暫く、星の話をした。
季節の星座のこと、流星群のこと、彗星のこと。
こんなに長く星の話を誰かとしたのは、初めてだった。いや、母を入れれば二人目か。
「君も、本当に星が好きなんだな。いつから?」
「…最初は、別に好きでもなかったと思うんです」
ここまで星について語っておきながらとでも言いたげな意外そうな顔でこちらを向く先輩に、思わず苦笑をこぼし、ゆっくりと顔を背ける。
「亡くなった母が、星が好きで。よく教えてくれました」
「そっか…」
「『死んだ人は、星になるんだよ』って、母が幼い頃に言ったんです。じゃあ亡くなった母の星は、どれだろう?って、それが最初で。……不純な理由でしょ?」
初対面の、数十分前に会ったばかりの先輩に自分は何を言ってるんだろう。誰にも言ったことないのに。
「いや、十分でしょ」
背けていた顔を向けると、先輩はとても優しい表情で微笑んでいた。
「お母さん、星になって見守っててくれてるんだね。君も、星が瞬く限りずっとお母さんのことを忘れないもんな」
なんでこの人は、私が欲しかった言葉をくれるんだろう。
自然と目が潤んできて、隠すように咄嗟に両手で顔を覆う。
初めて会う人に、恥ずかしいことばっかりだ。
「…君のお母さんが、羨ましいな」
ボソッと呟かれた先輩の言葉は、羞恥でいっぱいの私には届かなかった。それがどんな色を含んでいたのか、どんな想いが込められていたのか、私は知らなかったのだ。
すっかり暗くなってしまい、家路へと急ぐ。
「ただいま」
「おかえり〜」
玄関をくぐると、パタパタと駆け寄ってくる足音が聞こえた。
「おかえり。遅かったね」
「遅くなってごめん。部活のあと、屋上に寄ってたから」
「澪ったら、また星に夢中だったの?」
キッチンから出迎えてくれた叔母は、呆れたように笑った。
「まぁね」
言葉を交わしつつリビングに入れば、ご飯のいい香りが鼻腔を抜ける。
「あんまり星ばっかり見てると、宇宙人に連れてかれるぞ〜」
真面目な顔でおかしなことを真面目に言うのは、リビングの定位置に座る叔父だ。
「…ふふ」
思わず笑いがもれる。
「大真面目に何言ってんの、叔父さん」
「そうよ、お父さん。この間だって星座の本をネットで買って夜中に読んでるくせに〜」
「おい!」
思わぬ暴露に焦る叔父。
「星座の本って?」
「『自分の娘が星の話をしてるのに、星の名前も分からないんじゃな』って、夜な夜な勉強してるのよ」
「へぇ。後で一緒に見ようよ、叔父さん」
「お、おう」
見た目はちょっと厳つい叔父だが、なんだかんだ可愛いところがあるんだよね。
幼い頃に病いで母が亡くなってから、母の妹夫婦である叔母と叔父に引き取られた。子供の出来なかった二人は、私を自分の娘だと思って愛情たっぷり育ててくれた。お母さん、お父さんとはまだ素直に呼べない私のことも、母のことも、星のことも、全て理解してくれて見守ってくれている。
ただ「おかえり」と温かく迎えてくれる、くだらないことで言い合い笑い合う、今のこの三人の時間が嫌いではない。むしろ好きだ。
「学校はどうだった?」
箸を手に持ちながら言う叔父。
「別に普通だけど」
「高校一年生の言う『普通』ってのは何かしらあったって事だな」
「いやいや、何その持論」
思わず笑ってしまう。
「…あー」
「なになに?」
「屋上で先輩に会った」
「先輩?天文学部の?」
「いや。部員じゃないらしい。フード被ってた男の先輩」
そこまで言うと二人の顔色が変わる。
「怪しい!」
「ちょっと〜、大丈夫なの?」
「星が、好きなんだって」
「星好きだって、怪しすぎるだろ!」
まぁ叔父の反応は正しいと思う。
学校の屋上で素顔を隠すようにフードを被っていて素性もわからないんだもん。いや、私も名乗りはしなかったけどさ。
「でも、星の話をしたんだ。いっぱい。母の話も笑わないで聞いてくれた」
「そう」
叔母の声が少しだけ柔らかくなった。
「だがな〜…」
叔父はまだ渋るが、叔母は逆にキラキラした目でこちらを見てくる。
「なんだかドラマみたいじゃない?」
「か、母さん?」
「だって、屋上で出会った男の先輩と話が盛り上がったんでしょ?まるでドラマの冒頭みたい!」
「いい歳してテレビの見過ぎだ!」
「ここから恋が始まったりして〜」
「二人して何言ってんの」
私は夕飯のお味噌汁を一口啜る。
あぁ、美味しい。
「…星の話、楽しかったな」
ボソッと呟いた私の言葉を聞いていたのか、二人は顔を見合わせた。
「青春だなぁ」
「よっぽど楽しかったのね」
「…そうかも」
ニコニコと笑う二人を視界の端に留めながら夕食をせっせと口に運ぶ。
また、会えるかな。
放課後がもっと待ち遠しくなったのは、私だけの秘密だ。




