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92.戦場

 剣を振るうたびに、心地よいほど体が動く。

 鋭く踏み込み、敵兵の太刀筋をかわし、確実に急所を狙う。

 ヴェルデン領でのトレーニングの成果を、今ほど実感したことはない。

「くそっ、こいつらなんでこんなに動けるんだ!」

 目の前のスタンダル帝国兵が驚愕の声を上げた。

 その隙を逃さず、俺は剣を振り下ろす。鈍い音とともに、敵兵が地面に倒れた。

(昔の俺なら、今頃地面に転がってただろうな)


 かつての俺の戦い方は、根性と力任せだった。体が重いのも、動きが鈍いのも「そんなもんだ」と思い込んでいた。

 だが、エレオノーラお嬢様がヴェルデン領にもたらしたトレーニング方法は、そんな考えを根本から覆した。

 それまでとは全然違う考え方のストレッチで体が驚くほど使いやすくなり、ゴムベルトを使った骨格矯正で体幹が安定した。そして、ビジョントレーニングで早い動きが見えるようになっただけでなく、視野も拡大した。


「もっと早く知りたかったぜ……」

 俺は心の中で呟きながら、次の敵に向かった。

 敵兵の剣が迫る。刃が陽光を反射して、きらりと光った。

 だが、焦ることはない。

(見える、見えるぞ……!!)

 敵の動きが手に取るようにわかる。剣を振り上げる瞬間の肩の動き、体重移動のタイミング。全てが読める。

 これもエレオノーラお嬢様がもたらしたものだ。

 剣を振るいながら、横から迫る敵の存在にもすぐに気づく。即座に体を捻り、剣を横に払った。

 金属がぶつかる甲高い音が響く。

 次の動きを予測しながら立ち回れるのは、まさにこの訓練のおかげだった。

「ジャン、右だ!」

 仲間の声に反応し、即座に剣を構える。

 スタンダル帝国兵が右から斬りかかってくる。俺はその太刀筋を見極め、一瞬の隙をついて攻撃した。

「チッ……! 出来損ないの集まりのくせに……!」

 敵兵が苛立ちの声を上げた。

(俺たちは負けない……いや、負けられない)


 周囲を見渡す。仲間たちも善戦している。剣と剣がぶつかる音、怒号、悲鳴。戦場の喧騒が耳を打つ。

 スタンダル帝国の兵の数は圧倒的に多い。だが、それでも俺たちは食らいついていた。

 ヴェルデン領での訓練は、単なる個人の強化にとどまらない。連携の練習も徹底していた。レイモンド領主代行の指示で、隊単位での戦い方を磨き上げていたのだ。


 しかし、それでも押し寄せる敵の勢いは止まらない。

 波のように、次から次へと敵兵が現れる。倒しても、倒しても、終わらない。

(どこまで耐えられる……?)

 体に疲労がたまっているのがわかる。呼吸が荒い。腕が重い。

 仲間たちも同様だ。動きが鈍ってきている者もいる。

 汗が目に入った。視界がにじむ。


 それに――おかしい。

(王による結界は、どうなっているんだ?)

 本当なら、魔法結界が効いて、ダイバーレス王国を攻めることなんてできないはずだ。

 なのに、こうして大軍が押し寄せてきている。

(一体、いつまで戦えばいいんだ……?)

 不安が胸の奥で膨らむ。

 だが、立ち止まるわけにはいかない。

 俺は、不安な気持ちをかき消すように、敵兵に向かっていった。


-----


 私はアッシュクロフト公爵領騎士団を率い、戦地へ向かって疾走していた。

 馬の蹄が地面を蹴る音が、規則正しく響く。風が顔を叩き、高い位置でまとめたプラチナブロンドの髪が後ろになびく。

 燃え上がるような決意が、胸の奥で渦巻いていた。

(アンドリアン……!)

 思わず奥歯を噛みしめる。


 かつて、王国の学び舎で共に過ごした因縁の男。

 彼とは最初から相容れなかった。アンドリアンは、いつも周囲を見下すような態度を取り、スタンダル帝国の価値観を一方的に押し付けてきた。

 何度か注意したこともある。だが、彼はそのたびに冷ややかな目を向けてきたものだ。


 更に、思い出したくもない忌まわしい出来事がある。

 あれは、王立学校を卒業する間際のことだった。

 アンドリアンは、なぜか私に求婚してきた。

「貴女と結婚したい」

 何の感情もこもらない声に、私は呆気にとられた。

「……冗談だろう?」

「いや、本気だ」

 アンドリアンは真顔で続けた。

「私と貴女の知性があれば、この停滞した王国を救うことができるだろう。我々こそが、真の王国の柱となるべきだ」

 何の感情も浮かばない漆黒の瞳が、じっと私を見つめている。

「信じられないな」

 私は首を横に振った。

「それに、私には既に婚約者がいる。其方も知っているだろう?」

「あんな無能を婿に迎えて、一体何の役に立つというんだ」


 その言葉に、私は怒りが込み上げた。

「無能とはアランに失礼じゃないか」

 語気を強めて言う。

「アランは私の癒しだ。誰も彼にかわることなんてできない」

 そして、私は続けた。

「私がどれほど其方を嫌っているか、其方が一番知っているだろう。……この話は聞かなかったことにする」


 その後、彼は宰相となった。

 ダイバーレス王国で権力を握ると、私の領地に対して細かな嫌がらせを仕掛けてくるようになった。

 先日の、スタンダル帝国への小麦の輸出量が減ったのも、どうせアンドリアンの仕業だろう。ヴェルデン公爵のおかげで解決してよかったが。


 彼は証拠を残さない。完璧な作戦を練り、まるで偶然が重なったかのように見せかける。そして、王からの絶対的な信頼を得ている以上、簡単には追い詰められない。

(しかし、こんな戦争を引き起こすつもりだったなら、もっと早く手を打つべきだった……!)


 ヴェルデン公爵領にたどり着いたのは、開戦後の朝だった。

 先にヴェルデン領に向かわせていた使者がこちらに戻ってきて報告した内容によると、スタンダル帝国軍艦隊は昨日の日没後にヴェルデン公爵領の船団をあっさりと沈め、ダイバーレス王国に上陸したという。


 丘の上から戦場を見下ろした。

 戦場の空気は、血の匂いと鉄の響きに満ちていた。

 ヴェルデン領の騎士団が奮闘している。


 彼らの戦いぶりに、私は思わず目を見張った。

(……驚いたな。洗練されている)

 戦場を支配するような、統率の取れた動き。帝国軍の猛攻に対して、一歩も譲らず耐えている。

 陣形が崩れなく連携が取れていることで、どれほど鍛え上げられた騎士団なのか、一目でわかる。


 だが、感心している場合ではない。我がアッシュクロフト公爵領の騎士団も、エレオノーラ嬢に教えてもらったというトレーニングを積み重ねてきたのだ。王国最強の騎士団の名に恥じぬ闘いで、スタンダル帝国軍を圧倒してみせよう。


「全軍、突撃!」


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