91.アッシュクロフト公爵家の覚悟
「まあ、なんてこと!」
フランソワが椅子から勢いよく立ち上がった。
俺も驚きを隠せず、義父の方を見つめた。
「すでにヴェルデン公爵領が、スタンダル帝国に攻め込まれているということですか?」
「あぁ」
アランは深く息を吐いた。
「ヒューゴ……」
フランソワが俺の手に手を重ねた。震えているのを感じて、俺はその手を握りしめた。
俺たちは今、アッシュクロフト公爵家の執務室にいる。先ほど王城から帰宅したばかりのアラン・アッシュクロフト公爵に呼び出されたのだ。
「今日の会議の議題は、ヴェルデン公爵家からの支援要請についてだったよ。王であるハーマン陛下は、魔法結界の対応で席にいなかった。そして……」
アランはそこで言葉を切った。視線を落とし、机の上で指を組む。
「アンドリアン宰相の姿も見えなかったんだ」
その言葉に、俺は息を呑んだ。
「……やっぱり」
俺は低く呟いた。
フランソワと目が合う。彼女も同じことを考えているようだった。小さく頷き合う。
俺たちはこれまで、ヴェルデン公爵家でアンドリアン宰相に関する不審な話をフィリップ第二王子たちから聞いていた。だが、確証がなかったため、家族には話していなかった。
しかし、この状況を考えれば、アンドリアンが無関係とは到底思えない。
「やっぱり、とはどういうことだい?」
アランが尋ねてきた。眉をひそめ、俺たちを見つめている。
俺はフランソワと顔を見合わせてから、口を開いた。
「実は、以前からアンドリアン宰相について不審な点がいくつかありまして……」
俺たちは、アンドリアンについての疑いを話した。フィリップ殿下から聞いた話、アンドリアンがスタンダル帝国と繋がっている可能性、彼の不可解な行動。
アランは腕を組み、黙って聞いていた。
話が終わると、彼は静かに言った。
「……そうか。僕は、アメリアから三公爵会議でも同じ話が出ていたのを聞いていたんだ」
暖炉の火が燃える音が部屋に響く。
「スタンダル帝国の侵攻に、アンドリアンが関わっている可能性は高いだろうな」
重い沈黙が部屋を満たした。
それぞれに考え込む。時計の針が進む音だけが、やけに大きく聞こえた。
その静寂を破ったのは、フランソワだった。
「お父さま、のんびりしている場合ではありませんわ!」
彼女は机に手をついて、身を乗り出した。
「すぐにアッシュクロフト家の騎士団をヴェルデン公爵領へ向かわせるべきですわ!」
その強い言葉に、アランは肩をすくめた。
「国王からの指示が無い以上、うちの領の私的な軍を動かすのは……」
「甘いことを言っている場合ではありませんわ!」
フランソワは机を叩いた。パンッという音が響く。
「まさか、デモの時と同じように、食料だけ担えばいいと思っていたのではないですわよね?」
アランはうつむいた。その肩が小さく震えている。
「だって、会議では物資と食料の担当しか求められていなかったんだぞ? 騎士団を派遣したら、ちょっとやりすぎじゃないのか?」
(お義父さん……)
俺は内心でため息をついた。
(仮にも公爵なら、もうちょっと危機感を持ってもいいんじゃないか?)
俺の気持ちが伝わったのか、フランソワも全く同じことを叫んだ。
「お父さまったら、全く危機感がありませんわ!」
フランソワが声を荒げた。
「ヴェルデン領が落ちたら、次は王都ですわよ!? ダイバーレス王国そのものが危ないのですわ!!」
俺は冷静な声で言葉を継いだ。
「フランソワの言う通りです」
アランが顔を上げる。俺は義父のアーモンドのような茶色の瞳をまっすぐ見つめた。
「この国全体がスタンダル帝国の支配下に置かれることになれば、貴族も平民も関係なく、誰もが支配を受けることになると思いますよ」
その言葉に、アランは顔を青ざめた。
「そ、それは……確かに……」
(会議の中で当然わかっているべきことなのに、実感が無かったんだろうな)
俺は、深く息を吐いた。こんなにのほほんと生きていて、よく今までこのアッシュクロフト公爵家を維持できたもんだ。
(まぁ、お義父さんも入り婿だから、仕方ないと言えば仕方ないんだけど……。アメリア夫人が強烈にできた人だからなぁ)
その時、執務室の扉が開いた。
「フランソワ、ヒューゴ、お前たちの言う通りだ。だが、声が大きい。部屋の外まで聞こえていた」
フランソワの母、アメリア・アッシュクロフトが騎士の装束で入ってきた。高い位置でまとめてあるプラチナブロンドの髪と同じ色の胸当てが、鈍く光を放っていた。
(お義母さん、もう準備万端じゃないか)
俺は笑みを浮かべた。さすがだ。
「アラン、今すぐ指示を出すんだ」
アメリアの声には、有無を言わさぬ迫力がある。
「ダイバーレス王国そのものが危ういのだ。アッシュクロフト家も動かねば」
アランはたじろぎながらも、こくりと頷いた。
「わ、分かった……。というか、アメリア、その服は……」
「食料や薬の物資支援については、私とヒューゴで対応いたしますわ」
フランソワは毅然とした態度で申し出た。背筋を伸ばし、母を見つめる。
「ヴェルデン公爵領へ物資を迅速に送れるよう、必要なものをまとめます。輸送手段についても、最短ルートを確保しますわ」
「助かる。さすがフランソワだ」
アメリアが微笑んだ。そして、力強く宣言した。
「騎士団は私に任せるんだ。私が率いて戦地に赴く」
俺とフランソワは顔を見合わせ、やっぱりそうかと思ってうなずいた。
「その代わり、お前たちに後方支援を任せる」
アメリアは腰に下げた剣に手を置いた。
「我が領の騎士団は私の指揮で戦うことに慣れているのだから、私が行かないと」
「さすが、お母さまですわ!」
フランソワは感嘆の表情を浮かべた。その目が輝いている。
「このアッシュクロフト家の誇りにかけて、ダイバーレス王国を守るんだ!」
アメリアが拳を握りしめる。その姿は、まるで女神のようだった。
こうして、アッシュクロフト公爵家はヴェルデン公爵家の援護のため、戦地へ向けて動き始めた。




