4.びっくりするほど酷い
侍女のマリーに手伝ってもらって着替えを済ませ、炭水化物を控えめにして野菜とタンパク質をたっぷりと摂る健康的な朝食を終えた後、エレオノーラは自分の部屋に戻った。
最初に確認したいのは、この体がどれだけ思った通りに動くのかということだった。
「とりあえず、しゃがむことから始めてみよう……!?おっとっと!」
エレオノーラは恐る恐る膝をゆっくりと曲げてみたが、まだ途中の段階でバランスを崩しそうになり、慌てて立ち上がった。かかとをしっかりとつけたまましゃがむ基本的な運動テストをするつもりだったのだが、膝を少し折るだけでも太ももやふくらはぎ、そして脛の筋肉が痛みの悲鳴を上げているようだった。足首や足の甲までもが、まるで無理やり引っ張られているように痛んだ。エレオノーラは、痛む足をさすりながら考えた。
(これだけ足が動かなかったら、ダンスが苦手なのも当然よね……。ハーマンに愚鈍だと言われても、本当に仕方がないわ。)
次に、エレオノーラは両腕を天井に向けてまっすぐ上げてみることにした。しかし、肩の関節に鈍くて重い痛みが走り、腕が途中でぴたりと止まってしまった。ぎりぎりまで無理をして上げてみても、まっすぐ天井を指すことは到底できない。
(まさかの18歳で四十肩!?こんな簡単な動きさえもできないなんて……。)
前世で真央が学んだアナトミートレインという理論によると、筋膜は全身に複雑につながっているので、体のどこか一か所でも硬直していると、その影響は体の他の部分にも確実に波及していくのだという。足や肩がこれだけ動かないということは、きっと他の部分の筋肉や関節も相当硬くなってしまっているのだろう。
エレオノーラは、自分の体がここまで硬く、不自由で動かしにくいものであることに改めて深いショックを受けた。また、ほんのちょっとしか動いていないにも関わらず、額や背中に玉のような汗が流れるのを感じたエレオノーラは、思わず自分の体をうらめしく思った。
エレオノーラは深いため息をついたが、いつまでも落ち込んでいても何も始まらない。真央が長年かけて学んだ操体法による体のケアを思い出した今、少しでも使いやすくて動かしやすい体にしていくしかないと前向きに考えた。
まずは、最も簡単にできて効果的だと言われている足首回しから始めることにした。操体法では、ゆっくりと動かしやすい方向にたくさん回し、その後で逆方向にほんの少しだけ回すのが基本だった。そうすることで、緊張してこわばっていた筋肉が自然に緩み、筋肉が緩むと骨が本来あるべき正しい場所に戻ろうとするのだ。
エレオノーラは、両足を伸ばして床に座り、体の感覚に集中するために静かに目を閉じた。手を使うと力を入れすぎてしまうので、自分のケアをするときには真央は手をあまり使わなかった。
エレオノーラは、両足を同時に回そうとしたが、全然うまくできない。仕方がないので、まずは右足から丁寧に始めることにした。利き足である左足の方がより固まってしまっているため、明らかに動かしにくかったからだ。少しでも動きやすい方向を慎重に探しながら回し、そしてすね、膝、太もも、脚の付け根、腰へとつながっていく筋肉の動きを感じるように、本当にゆっくりゆっくりと回していく。
児童デイサービスで働いていた時には、子どもたちに筋膜の繋がりを楽しく意識してもらうために、よくこの運動を一緒にしていた。
「高橋さん、全然動かないよ!」と困ったように訴える子や、足首が動かなくて膝ごと回して「動いた!」と喜ぶ無邪気な子もいた。
エレオノーラは、どんなに一生懸命集中しても、太ももの筋肉が少し動いているのを感じるのが精一杯だった。真央の体では、足首を回すだけで頭のてっぺんまでの全身のつながりがはっきりとわかったのに。ある程度しっかりと回したら、今度は逆方向に5回だけ回し、左足も同じように丁寧に回した。
次にエレオノーラは、首を小さく、本当にゆっくりと回してみた。頭の表面の皮膚や筋肉がつられて動くのは、エレオノーラにもなんとかわかった。頭の表面が動いて引っ張られるような感じがすっかりなくなるまで、本当にゆっくり、ゆっくりと首を回し続ける。
すると、首からシャリシャリという小さな音が鳴り始めた。これは、骨が正しい場所に戻ろうとする時に自然に鳴る音だった。真央の体でもよくこの音が鳴っていたのを覚えている。時にはバキ!とかゴリ!とかいうような、より大きな音が鳴ることもある。自分で無理やりバキボキと音を鳴らすのは筋肉や関節を痛めるだけだから絶対にダメだけれど、自然に鳴ってしまうのは全く問題ないと、操体法を教えてくれた助産師さんが言っていた。満足するまでしっかりと回したら、最後に逆方向に5回だけ回した。終わったあと、頭が少し軽くなったような気がした。
体のバランスを整えるには、一部分の筋膜をゆるめるだけでは不十分だ。体全体の使い方が変わらないと、またすぐ戻ってしまう。
しかし、ゆるめた時に、筋膜でつながっている他の部分も「本来の位置」に戻ろうとする力を利用して丁寧にゆるめることを根気よく繰り返すと、体は最も安定した自然な状態にゆっくりと落ち着いていく。
真央も、腰の痛みが無くなったら肩が痛くなり、肩の痛みが無くなったら足の痛みが気になって……と、痛いところが次々と移っていった。
これだけ体がうまく使えていない状態なら、正しい使い方ができるようになるまでにはかなりの時間がかかるだろう。途方もなく長い道のりに思えるけれど、毎日しっかりと真面目に取り組んで、少しずつ丁寧にほぐしていくしかない。
そして、もしもこの大きな体の原因が体の歪みによるものなのであれば、体を正しく使えるようになったら、ある程度は自然に健康的に痩せていくはずだ。
「いつまでも、愚鈍な残念令嬢ではいられないもの。頑張るしかないわ!」
汗でびっしょりになってしまったエレオノーラは、これから毎日欠かさずトレーニングを続けていくことを心の奥底から固く決意した。
そうは言っても、一人で毎日続けるのは難しいですよね。
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