3.異世界の体と前世の記憶
朝の優しい光がレースのカーテン越しに差し込んでいる中、エレオノーラは目を覚ました。瞼をゆっくりと開けると、頭が痛く、体は鉛のように重い。絶不調なのに、更に昨夜の出来事が脳裏をよぎって、エレオノーラは深いため息をついた。
いつものようにベッドから起き上がろうとする。でも重たい気持ち以上に、体が本当に重くてなかなか起き上がれない。
「よいしょっと……」
何度も体をねじって起きようととするが、それでも思うようにいかない。こんなふうになかなか起き上がれないのも、もはや日常茶飯事になってしまっていることに気づいて、また深くため息をついた。
(本気で重い。一体何キロあるんだろう……。)
真央は前世で子どもを出産したあと、あるきっかけがあって痩せることができた。平均よりはちょっとぽっちゃりしてはいたが、それ以上は太らなかった。
その体の記憶が、今のエレオノーラを苦しめる。
(あの頃の体の感覚を思い出してしまったら、もうこの体の重さに耐えられない……)
記憶の中の軽い体と、現実の重い体。その差があまりにも大きくて、心が折れそうになる。たぶん、まだ早い時間なのだろう。侍女のマリーが表れる様子も無いので、自力で起きるしかない。
エレオノーラは歯を食いしばって腕に力を入れて、なんとか体を起こした。
やっとの思いで起き上がったエレオノーラは、部屋の隅にあった大きな姿見に向かった。
顔のパーツだけを見れば、美しい。意思の強そうな大きくて釣り目がちな青い瞳が印象的だ。
でも、きれいなウェーブのかかったブロンドの髪を跳ねよけるくらいパンパンに膨らんだ頬。肩から二の腕にかけてのラインも迫力がある。寝間着越しでもお腹の膨らみは目立ち、さらにその下には象のような太い脚が続く。そして、お腹に負けない存在感を誇るメロンのような大きな胸。
「身長は170センチぐらいかしら……」
背が高いぶん、真央が前世で太っていた頃を上回る巨体に見える。その圧倒的な迫力に、エレオノーラは逆に感心してしまった。
「ある意味、すごいわね……」
それにしても、こんなに巨体になるには何か原因があるはずだ。
エレオノーラの記憶を辿ってみる。小さい頃から、そんなに大食いだった記憶はない。
(でも、砂糖菓子は好きだったし、パンも好きだったし……あれ?)
はっと気づく。
(炭水化物の摂取量が多かったのかも)
真央の知識が蘇る。炭水化物は血糖値を上げるので、少しでも食べすぎると太りやすくなる。
「これからは食生活にも気をつけなくちゃ」
(でも、ちょっと待って。食生活だけでこんなに太るもの?)
エレオノーラは首をかしげる。絶え間なくずっと間食しているわけではない。普通に食事の時間に食べているだけだ。
しかも、確かに炭水化物の量は多めではあるものの、家族と同じメニューを食べている。なのにこんな巨体に育ったのはエレオノーラだけ。両親は普通の体型だし、兄も太っているわけではない。
(どうして私だけ……?)
そのとき、真央の記憶が鮮明に蘇った。
児童デイサービスで働いていたとき、体の使い方に偏りや歪みがある子どもには、肥満体型になる子がたまに見られた。
逆に、どれだけ食べても太ることができず、筋肉すら増えずひょろひょろの子も同じように見られた。
どちらも、体の偏りや歪みによって代謝が悪くなることが原因だと考えられる。
そして真央は、肥満体型になる方だった。
真央の体に歪みがあったことがわかったのは、子どもを出産して2か月頃のことだった。
真央の息子は、とても手に余る赤ちゃんだった。
ネットで「ディフィカルト・ベイビー」という表現を目にしたことがある。まさに、その名の通りの難しい赤ちゃんだった。
眠らない。眠ってもすぐに目を覚ます。そして目が覚めて30分以内に泣き始める。抱っこしても泣き止まない。そのうち、怒ったように泣き出す。
母乳が足りていないわけでもなく、飲ませすぎると吐いてしまう。
あまり泣かせておいても虐待を疑われて通報されたら困るので、抱っこして、寝かしつけての繰り返し。ついに腕が腱鞘炎になってしまった。
「この子、どう考えてもおかしい……」
でも病院や巡回の保健師に相談しても、決まって同じ答えが返ってくる。
「そういう赤ちゃんもいるよ。がんばって!」
誰も真剣に取り合ってくれない。真央は孤独感に苛まれていた。
ある夜、息子が珍しく長く眠っている時間があった。
真央は疲れ果ててはいるものの、頭が冴えてしまって眠ることもできない。仕方なく、スマホでSNSの子育て情報ページを読んでいた。
そのとき、目に飛び込んできた新着情報がある。
「赤ちゃんの困りごとについての相談に乗ってくれる助産師が、体のケアをしてくれます」
藁にもすがる思いで、その助産師に予約を取った。
助産師に診てもらって分かったのは、衝撃的な事実だった。
真央の体がゆがんでいたこと。
ゆがんでいる真央の体では子宮が丸くならず、息子は狭い子宮の中に無理やり体を押し込めていたこと。
足を伸ばしたまま子宮に入っていたので、このまま育つと股関節脱臼と診断されるかもしれないこと。
今泣きっぱなしなのは、体がつらいから泣いているだけだということ。
体を楽にしてあげると、ゆっくり眠れるということ。
そして、これから子どもをたくさん抱っこしなくてはいけない母親である真央の体も、ちゃんと整えて大事にしなくてはいけないということ。
「全部、体の歪みが原因だったのね……」
そこで習ったのは、バキボキ鳴らすような整体ではなく、「操体法」という方法だった。
操体法は、身体に負担をかけずゆっくりと優しく身体を動かして、歪みを整え、自然治癒力を高めることを目的とした身体操作法だった。
息子の体のほぐし方と自分の体のほぐし方を学んだ真央。さらに自分でも体のしくみについて色々学び、自分や息子の体で検証した。
その知識を児童デイサービスの所長に伝えると、サービスの一環として取り入れてもらえることになった。
結果、多くの成果を上げて、近隣でも人気の施設になった。
真央は体が整うとともに、無駄な肉が自然に落ちて痩せていった。そして平均よりちょっとぽっちゃりしている程度の体型になった。
息子はケアをし始めてからちゃんと眠れるようになり、少し自閉傾向があったけれど、日常生活に支障は無く順調に育った。
「あの時、あの助産師に出会い、操体法を学ぶことができて本当に良かった……」
前世で思い残すことは、せいぜい孫の顔が見られなかったことぐらいだった。
息子の結婚相手の親御さんもとてもいい人たちで、安心して息子を任せられると思った。
仕事も、今ではシステムが整っているので真央がいなくてもどうにでもなるだろう。
デイサービスの子どもたちは寂しがるかもしれないが、別れるのがちょっと早くなっただけだ。
「戻れないかもしれない前世のことを考えるよりも、とりあえず今の状況の中で自分にできることを考えなくちゃ」
エレオノーラはそう自分に言い聞かせた。
鏡の中の自分を見つめながら、真央の記憶と知識を総動員して考える。
(エレオノーラも真央と同じように、体の歪みから太ってしまっているのかもしれないね)
そう結論づけたエレオノーラは、まず自分の体の状況をチェックしてみることを決めた。
「よし、まずは自分の体がどうなっているのか、しっかり調べてみるか」
今日はここまでです。
このあと、エレオノーラの体のしんどさが明らかに……。
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