12.新たな疑問
「最近は朝の目覚めがとっても楽になりましたの!腰の痛みもほとんどなくなって!」
トレーニングを始めて1か月。いつものトレーニングの最後のメニューのウォーキングが終わって、3人が汗を拭きながら一休みしているときに、フランソワが輝く笑顔で嬉しそうに言った。
そのフランソワのぽっちゃりとした体つきは少しすっきりとし、笑顔もより一層明るく愛らしくなっていた。
「俺やエレンも、そんなに息切れしないでウォーキングできるようになったよな!」
ヒューゴも満足そうな笑顔で言う。
「そうそう!最初はちょっと歩いただけで、全然息が続かなかったのにね!」
とエレオノーラが明るく笑いながら応える。
「まさか俺がここまで続けられるとは……」
ヒューゴは照れくさそうに頭をぽりぽりとかきながら苦笑いを浮かべた。
「エレンのおかげだな。本当にありがとう」
彼の体も、着実に引き締まってきている。肩もがっしりと逞しく見えるようになった。
「そういえば、」とフランソワは言葉を続けた。
「なんだか最近、目の前のことがうまく見えるようになって、刺繍のスピードが上がったのですわ!」
「やるな!」とヒューゴも乗ってきた。
「俺もな、書類の字を見間違えることがほとんどなくなったんだよ。集中できる時間も長くなってきた気がするし、なんか目と頭が連携取れてる感じがするんだよな」
ヒューゴはにやりと笑って言った。
「これって、やっぱり、ビジョントレーニングのおかげだよな!」
「役に立ててよかった!私もね、左を見てもそんなに辛くなくなったのよ!」
エレオノーラは青い瞳を光らせて、にっこりと笑って言った。
「でも、やっぱりエレンが一番変わったよな!」
ヒューゴがエレオノーラの方をじっと見て言った。
「その運動着、ウエストがだいぶ緩くなってるんじゃないのか?」
フランソワも目をキラキラと輝かせながら、
「エレンの体の動きも、前よりしなやかになりましたわ!」
と柔らかな笑顔で伝える。
その通り、最もめざましい変化を遂げたのはエレオノーラ自身だった。王太子妃教育からの解放と謹慎生活のおかげで、特にやらなければならないことも無く、社交の必要も無い。時間があればトレーニングに励んでいたため、10㎏近くは減ったと思われる。
エレオノーラは2人の賞賛に頬を染めながら、打ち明けた。
「しかもね、ちょっと不思議なことがあるの」
ヒューゴとフランソワは、なんだろうと思いながら聞いた。
「最近、前みたいにイライラしなくなったのよ。昔の私って、すぐに癇癪を起こしていたじゃない?どうしてあんなに怒ってばかりだったのかって、今では信じられないくらい」
ヒューゴが、きょとんとした顔で言った。
「そりゃ、前みたいにハーマンと話すことも無いし、王太子妃教育もしていないし、イライラするようなことが無いからなんじゃないのか?」
「それもあるけどね」
エレオノーラは首を振った。
「ハーマンと婚約する前だって、私は癇癪を起こしていたじゃない。覚えていないの?」
それを聞いたフランソワが、「そういえば!」と目の前で手を叩いて話し始めた。
「ねえ、覚えていまして?エレンがリボンを無くしたって言って、お部屋で大暴れしたときのこと」
すると、ヒューゴが思わず吹き出した。
「覚えてるどころか、俺の額にリボンの束が直撃したのを、まだ忘れられないよ」
「だって、あの時はお気に入りのリボンが無い!っていうことで完全にパニックになっていたんだもん」
エレオノーラが肩をすくめながら言うと、フランソワは苦笑いを浮かべた。
「しかも、私のせいにされそうになりましたのよ?『あんたが隠したんでしょ!』って決めつけられて、びっくりしましたわ!」
「結局、エレン自身がポケットに入れたまま、すっかり忘れてたんだよな。なのに、すごかったよな、いつもの『怒りモード』に入ったエレンは」
ヒューゴが苦笑しながら言う。
「ヒューゴは、『誰もリボンなんていじっていないぞ』って言っただけだったのですわ。それなのに、リボンの束を投げつけられて。そして、地団太を踏んで泣き叫ぶエレン……」
フランソワが遠い目をしながらそう言うと、エレオノーラは、気まずい顔をしながら言った。
「本当に、今思えば2人とも、よく私と友達でいてくれたわね……ありがとう」
3人は顔を見合わせて、楽しそうに笑った。
そして、エレオノーラはさっきの話の続きを話し始めた。
「まぁ、その、なんていうか、毎日、自分の中にたまってたものが少しずつ流れていってる感じなの。感情って心だけじゃなくて、体とちゃんとつながってるんだって実感してるんだ」
フランソワがうんうんと大きくうなずきながら言った。
「体を動かしていると、心もすっきりしていく感じ、私もよくわかりますわ!」
フランソワは目を輝かせて続ける。
「最近、私も自分のことがコントロールできている気がしますの。やりたいことが、ちゃんと思ったようにできている感じがするのですわ」
「俺も、書類仕事のストレスがあまりたまらなくなったな」
その日は3人でお互いの頑張りと変化を称え合った。
ある日の夕食の席で、父リカルドがエレオノーラにたずねた。
「お前は、舞踏室や屋敷の周りで、いったい何をしているんだ?」
「体を鍛えているんです」
と、エレオノーラは背筋をぴんと伸ばして自信たっぷりに答えた。
「鍛える? 何のために?」
リカルドの眉がわずかに動く。
「自分に自信を持つためです。今まで私は自分の体から目を逸らしてきました。でも、もっと前向きに、胸を張って生きていきたいんです」
「エレンちゃん、最近痩せて更に可愛くなったわ~。頑張っているのね。偉いわ!」
クレメンティアが優しい笑顔でエレオノーラの努力を称えた。
エレオノーラをじっと見つめた後、リカルドは小さくうなずいた。
「そうか。人に迷惑をかけないなら、好きにするがいい」
と短く告げた。
日々の変化を感じながら、エレオノーラは着実に前に進んでいた。しかし、ふと疑問が芽生えた。
(真央と同じように、私たち3人が太っていたのも、やはり体の歪みが原因だったのかしら……)
厳しい制限も辛い運動もなく、それでも着実に変化していく体。出産後のケアで自然と痩せていった真央の経験と、どこか似ているところがあった。きっと代謝の改善が、体の変化をもたらしているのだろう。
真央の体の歪みは、幼い頃の出来事に始まっていたと考えている。アルバムを開くと、当時のことがわかった。お腹の中で綺麗に丸く育った赤ちゃんは、背中がCカーブを描き、両足がM字に曲がるのが自然だ。なのに、産まれたばかりの真央の写真では、本来曲げているはずの足がしっかりと伸び、体が不自然な角度に歪んでいた。母の子宮が真央が自分の子どもを妊娠していたときと同じように狭かったからか、それとも帝王切開の時に体を無理な方向に曲げていたからなのかはわからない。
また、別の写真では、まだ自分で歩くには早すぎる時期に歩行器を使って歩く練習をしているものもあった。もともと歪んでいただろう体で、本来ならハイハイで必要な筋肉を育ててから自然に歩き始めるはずなのに、歩行器によって無理な動きを強いられてしまった。その結果、股関節に負担がかかり、歪んだ体で、うまく歩けない子どもに育っていたらしい。
「もしかしたら……」
エレオノーラは思わずぽつりと呟いた。
ハーマンやヒューゴ、フランソワを含め同世代の若者やそれより若い子どもたちには、不自然なほど太っていたり、極端に痩せていたりする様子が目立つ。でも、エレオノーラの兄を含め、5歳以上上の世代にはそんな傾向は見られない。
「この世代に共通する何かがあるのかもしれないわ。上の世代には無くて、私たちの世代にはあるもの……?」
母の体は歪んでいるように見えないし、この国には帝王切開の技術は無かった。この歪みは産まれたあとの育児の過程で生じたものだと考えた。
(もう少し詳しく調べてみたいな。まずはヒューゴとフランソワにも話を聞いてみよう!)
エレオノーラの瞳が好奇心で輝いた。
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