第一話 わたくしの加護は、羊でした
精霊の加護を授かる日というのは、王立学園に通う貴族の子女にとって、人生で一度きりの晴れ舞台である。
少なくとも、わたくしはそう信じて疑っていなかった。
「オデット、顔が怖いぞ」
儀式の間へと続く回廊で、隣を歩くアルフレッド殿下が笑いを噛み殺しながらそう言った。
エルステリア王国の王太子にして、わたくしの幼馴染。
陽の光をそのまま溶かし込んだような金の髪に、晴れた日の湖みたいな青い瞳。物心ついた頃から見慣れているはずの顔なのに、こうして横から見上げるたびに胸の奥が少しだけ騒がしくなるのは、たぶん一生治らない持病のようなものだと思う。
「怖くなどありませんわ。緊張しているだけです」
「同じことだろう」
「全然違います。淑女の緊張というのは、もっとこう、可憐なものですのよ」
「可憐な人間は、そんなに眉間に皺を寄せない」
反対側から、呆れたような声が降ってきた。
バスティアン・グレイヴス。グレイヴス辺境伯家の次男で、殿下の側近候補。
そして困ったことに、こちらもわたくしの幼馴染である。黒髪に灰色の目をした彼は、殿下とは正反対に愛想というものを生まれたときにどこかへ置き忘れてきたような顔をしているくせに、口を開けば余計なことばかり言うのだ。
「バスティアン、あなたは黙っていてくださる?」
「事実を言っただけだ」
「事実だからこそ黙っていてほしいのです」
殿下が声を上げて笑い、バスティアンは小さく肩をすくめた。
三人揃うといつもこうなる。子どもの頃から、何ひとつ変わらない。
とはいえ、わたくしが緊張しているのには、ちゃんとした理由がある。
精霊の加護は、その人の資質や魂の在り方に応じて授けられると言われている。
アーデンフェルト公爵家は代々、立派な精霊に恵まれてきた家系だった。お父様は大地の精霊、お母様は光の精霊。お祖母様に至っては、王宮の庭園ひとつを一晩で花で埋め尽くしたという伝説の、花の精霊の加護持ちである。
その娘であるわたくしが、どんな精霊を授かるのか。
口にこそ出されないけれど、屋敷中の期待がこの肩にずっしりと乗っている。
朝、見送りに出てきた侍女たちの目があまりにきらきらしていたものだから、わたくしは馬車の中でずっと胃のあたりを押さえていた。
儀式の間は、白い石で造られた円形の広間。
床には大きな魔法陣が刻まれ、天井のステンドグラスから落ちる光が、その上に色とりどりの模様を描いている。
「では、名前を呼ばれた者から前へ」
儀式を執り行う教師の声に、生徒たちの背筋が一斉に伸びた。
最初に呼ばれた男子生徒の前には、羽を持った小さな妖精が現れた。
風の精霊だ。くるくると彼の周りを飛び回り、前髪をふわりと持ち上げていく。
次の女子生徒には、赤い毛並みの狐が現れた。尾の先が小さな炎になって揺れている。
そして。
「リリアーナ・ベルモンド」
わたくしの親友が、静かに魔法陣の中央へ進み出た。
リリアーナは、ベルモンド侯爵家のご令嬢。
亜麻色の髪をゆるく編んだ、おっとりとした優しい子で、幼い頃からの付き合いになる。
わたくしが癇癪を起こしたときも、刺繍の図案に悩んでいたときも、いつも隣で「大丈夫よ、オデット」と笑ってくれた。
その彼女の前に、水面のように揺らめく光が集まっていく。
やがて姿を現したのは、透き通った青い髪を持つ、息を呑むほど美しい女性の姿をした水の精霊。
彼女はリリアーナの頬にそっと手を添え、慈しむように微笑むと、広間のあちこちからため息が漏れる。
「……さすがリリアーナですわ」
「ああ」
わたくしが小声で呟くと、殿下も頷く。
その横顔がほんの少しだけ柔らかかったのは、たぶん気のせいだと思う。
続いて呼ばれた殿下の前には、全身に黄金の炎をまとった獅子が現れた。
獅子がひとたび咆哮すると、広間の空気がびりびりと震える。
誰からともなく拍手が起き、殿下は照れくさそうに片手を挙げてそれに応えた。王太子に相応しい、堂々たる炎の精霊である。
バスティアンの前には、雪のように白い狼が現れた。
狼は一度だけ彼を見上げると、当然のような顔でその足元に座り込む。飼い主に似て愛想がない、と思ったけれど、さすがに口には出さなかった。
そして、とうとう。
「オデット・アーデンフェルト」
名前を呼ばれた瞬間、わたくしは背筋を伸ばし、公爵令嬢として恥ずかしくない歩き方を必死に意識しながら魔法陣の中央へ進んだ。
広間中の視線が集まるのがわかる。
殿下が、リリアーナが、そしてたぶんバスティアンも、こちらを見ている。
魔法陣が淡く光りはじめ、足元から白い光の粒がふわふわと立ちのぼってくる。
光は次第に集まり、丸く、丸く、どんどん丸くなって、ひとつの形を結んでいき――
ぽすん。
そんな気の抜けた音がした気がした。
わたくしの足元に座っていたのは、ころころとした真っ白な毛玉だった。
いや、毛玉ではない。
よく見れば、短い脚が四本ある。つぶらな黒い目が二つある。くるんと巻いた小さな角が、頭の両側にちょこんとついている。
「……羊?」
「めぇ」
返事をされてしまった。
広間が、しんと静まり返る。
先ほどまでの感嘆のため息も、拍手も、何もない。あるのは、どう反応していいかわからないという、大変に気まずい沈黙だけ。
先生が慌てて分厚い精霊図鑑をめくり、眼鏡の位置を直しながら、あるページで指を止めた。
「ええと……これは、糸の精霊ですね」
「糸?」
「はい。非常に珍しい精霊です。記録がほとんど残っていないので、詳しいことはわかりませんが……」
糸……
光でも、花でも、炎でも、水でもなく、糸。
わたくしが言葉を失っていると、生徒たちの間からひそひそとした声が聞こえてきた。
「オデット様って、刺繍がとてもお上手なのよね」
「ああ、去年の刺繍展で最優秀をお取りになった……」
「なるほど」
「なるほどね」
なるほど、ではありません。
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