白銀の王の国④
朝食前に宿の中庭に呼び出したリオンには、特に不機嫌な様子はなかった。夕べのことを根に持っているのではという懸念は当たらなかったらしい。
彼はけろりとした顔で、いつもどおり間合いをとって軽く身構えた。
ここ数日、組手に付き合わせていた。
朝の鍛錬を怠けがちになっていたこともあるし、何より、最初に相手をさせたときから、リオンの動きが全く、なっていなかったからだ。
リオンはまるきり戦闘の訓練を受けていないようだった。
珍しいことだった。貧しい境遇に生まれたブロンズクラスというならともかく、一握りしかいないシルバークラスの上位、養育者も存在したらしいのに。
ナンバー14の身体能力があれば下位の者にはたやすく勝てるだろうが、訓練された直下のシルバークラスとなると話は変わる。
それでも最終的な勝敗がランクを逆転することはめったにないが、いたずらに長引かせ、要らぬダメージを負うことにもなるだろう。効率が悪すぎる。
最初は軽く、ごく軽い打ち合いからだ。お互い片手でガードして痛くもない程度。
目は良い。
視力ももちろんだが、視野が広く、相手……つまり私の、動き全体をよくとらえている。
少しずつ、集中が高まっていくのがわかる。
幾度めかに打ち出した正突きを、彼はぎりぎりまで引きつけわずかに体をひいた。
誘われていると直感的に感じたが、どう捌くつもりか興味が湧いて、私はそのまま踏み込んだ。
彼の右手が手首を巻き込むようにして、私の右の突きの軌道をそらした。そのまま開いた懐に左で踏み込み、喉元を狙ってくる。
「!」
難なく避けることはできたものの、少し驚いた。
リオンの動きの基本は素人のケンカのようなもので、打ってきたら避けるかガードし、打ち込める隙があれば拳を突き出すか蹴り上げる、その程度だ。
効率の良い体の移動、力の流れを研究した武術の形などというものはない。少なくとも、基本はそうだ。
にも関わらず、頻繁にこういうことが起こる。
今日に限らず、明らかに素人ではありえない身のこなしを見せる瞬間がある。断続的で、それも一つ一つは一貫した一種の武術の形ではなく、複数の組み合わせだ。
前日に私の見せた形だったこともあった。いや、こうして相手をさせ始めてからは毎日のようにそれがある。
特に教えるまでもなく、彼は一度見た形をそのままトレースしては実戦に使っている。私の知っている形であることも、見たこともない動きであることもあった。彼が見たり、拳をまじえてきた相手の技術なのだろう。
そのことに、彼自身が自覚的であるかどうかは怪しかった。
どんなに勘が良くても、知らない形を一目見ただけで完璧に真似できるものではない。
だがリオンは、少なくとも外見という点では完璧にうつしているように見えた。本来なら師に直されてしかるべき、個人の癖とおぼしいゆらぎまでも忠実に再現している。
「クリス」
地面すれすれまで沈んで足払いをかける。飛びすさって避けながらリオンが名を呼んだ。
「ん? なんだ?」
動きは止めず、攻勢にうつりながら応じる。リオンはガードしながらどこかあきれたような調子で言った。
「楽しそうですね」
「そうか?」
「だって笑ってる……っと、うわっ!」
リオンが半ば体を退きながら不用意に突き出した腕を私はとらえて、踏み込みざまひねりあげた。
「いててて降参、降参!」
情けない声が上がる。すぐに放してやると、彼は大げさに腕を振って痛みをアピールして見せた。
ほぼ毎朝の日課となった一連のやりとりに、自然と笑みが浮かんでいた。
「なってないな」
「はいはい先生」
すねたようなリオンの態度も可笑しかった。
楽しそうに見えるというリオンの言葉は正しい。
彼が毎朝見せる様々な武術の形や、それらを応用する彼自身の対応力を見るのは楽しかった。先が読めない驚きや瞬間の緊張が、私は嫌いではないのだ。
「クリスって……もしかして、こっちのが得意?」
リオンが少し考え込むようなそぶりをしたかと思うと、唐突にそんなことを聞いてきた。
「こっち?」
「でかい剣振り回すよりか、こういう、徒手での格闘戦みたいな」
こういう、と言いながら彼は妙な身振りをまじえて補足した。
「今頃気付いたのか?」
何を今さら、と私はあきれた。
「こんな重いだけの武器が『得意』な人間はそうはいない」
リオンは拍子抜けしたような顔をした。
「じゃあ何で」
「何で得物にしているか? そうだな」
深く考えたことはなかったが、答えは私の中ではっきりしていた。
「適当に振り回して、当たれば相手を戦闘不能にできるからな。便利だ」
「そういうもん?」
「だと思うがな」
リオンは不可解そうに首をかしげた。
「ええと、じゃあ小さいころからそれ使ってた?」
質問の意図のわからないまま、私は簡単に答えた。
「そうだな。五年ほど前からになるか。子供のころは、お前の言う徒手での格闘技を習っていた」
他の武器についても、ひと通り扱い方の基礎は学んだが、どれが際立って得意・好みというほどには至らなかった。
鉄刀での捕縛術にしても、基本は体術だ。刀剣も他の武器も、私の場合は拳……肉体の延長という認識でしかない。殊に、「斬る」ことに関する私の造詣は、もっと下のナンバーの剣士と比べてもお粗末なものだろう。
「そっか」
何に納得したのか、リオンは深くうなずいた。
「やっぱり教わらないとだめなもんですかね?」
彼は神妙な顔でそう聞いてきた。
「喧嘩の仕方をか? 効率を考えれば我流よりいいだろうが……いいんじゃないか? お前は目が良いみたいだから」
「目?」
「師についても結局やることは見て真似るだけだからな。一見ですぐ写せるならわざわざ教わるのも無駄な時間だ。時間をかけて修得した者を見て盗めばいい。その後は自分次第だ」
「目が良いかはわかりませんけど……クリスの技、真似してりゃいいってこと?」
私はうなずいて見せた。
「私のでも、他の者でもいい。武器を持とうと考えたことはないのか?」
リオンは少し驚いたように目を見開いた。
「いや、俺は……考えたことないかも、そういえば」
彼は考え考え、その理由を言葉にしていった。
「俺の育ったとこって、周りに喧嘩強いやつっていなかったんです。外国出歩くようになって追いはぎ強盗としょっちゅうやりあうようになっても、そんなに強いのと行き会ったことなかった」
リオンは脇に置いた鉄刀をちらりと見た。
「刃物とか、ちょっと切れば死ぬじゃないですか、相手」
それからつと目を泳がせる。
「殴っただけだと打ち所によっちゃまた起きてくるでしょう、相手。それで命がヤバいってほどの修羅場に遭ったことなかったから、わざわざ武器持って楽な喧嘩にしなくてもって」
でも、とリオンは肩をすくめた。
私は彼の言葉を先に言ってやった。
「世間は広いからな」
「……そうそう」
素直にうんうんとうなずくリオンの反応が意外だった。やけに殊勝である。
リオンが暴力の面で、自分が他者より下と感じている素振りなどこれまで一度も見たことがない。ランクが上の私に対してさえもだ。
もっとも、シルバークラスは総人口の0.1パーセントを越えることはなく、十四以上の上位ナンバーとなると人数はさらに減る。町を歩いていて出会う可能性は非常に低い。賞金稼ぎのような荒仕事でもしなければ、シルバークラスに生まれながら自分の弱さを自覚することなど、めったにあるものではないのだ。
「あんたに投げ飛ばされたり蹴られたり関節極められたりばっかりなのも癪だし」
「……」
それ以上に好き放題しているくせに、何たる言いぐさだ。……と思ったが、理性がそれを声にするのを止めた。
「レネーはまだ寝ているのか?」
いつもなら組み手の最中に起きてわざわざ見物に来るレネーが、一向に降りてこないことに私は気づいた。
「さあ。部屋出たときはまだ寝こけてましたけど」
「最近様子はどうだ?」
私が見る限り体調が悪いような様子ではない。ただ、時折ぼんやりしているのをよく見かけるようになった気がする。カナン以前にはなかったことだ。
「様子ねー……別に何もないと思うけど、そうだな。夜中にちょいちょい起き出してるのと、飯の量が減ってるような気はします」
「え」
私は驚いてリオンを振り返った。
「食事の量も?」
「えっ? 気付いてませんでした?」
リオンが、逆に驚いたように聞き返してくる。
「……気付かなかった」
本当に気付いていなかった。
そう聞いて思い起こしてみれば、確かに昨日の夕食も一番少ない量の椀を注文して、しかもそれを持て余していたようだった。
旅の休憩に寄る茶屋や屋台でも、最近は飲み物だけで間食はしていない。
ほんの数週間前までは、リオンと二人して成長期らしい食欲で旅費を圧迫していたのに……
と、そこまで考えて、私ははたと止まった。
「もしかして、」
「食費のことならあいつ気にしてないと思いますよ」
食費のことで二人に一度嫌味を言ったから遠慮しているのでは、という私の考えを、リオンが見事に先読みして否定した。
「今さら遠慮するくらいなら最初からしてますって」
「そ、うかな……」
「食欲落ちてるのは睡眠不足のせいじゃないかな。どっちにしろクリスが気に病むことじゃないです」
笑いながらリオンは、なぜかぽんぽんと私の頭を叩いた。
「……お前はよく気がつくんだな」
「そりゃ一緒の部屋だし?」
そっちの部屋で寝たいのはやまやまだけど、とリオンは小声で付け加えた。
「起こされるこっちが迷惑だっての。あいつ静かにしてるつもりなんだろうけど、ほら俺って繊細だから、部屋ん中ごそごそ動かれると目え覚めちゃうでしょ」
繊細かどうかは別として、ナンバー14ともなると常人より気配に敏いものだ。レネーが気遣って息をひそめていたとしても、気付いてしまうのは事実だろう。
「……だから、あんたが気付かないのは当たり前のことですよ」
リオンは優しい口調で、そう付け加えた。
私は思わず顔を上げた。見上げた先で、リオンはにっこり笑っていた。
彼に何もかも見透かされたような気がして……いや、間違いなく見透かされて、恥ずかしさに顔が熱くなる。
リオンはレネーに対する気遣いなどひとかけらも見せたことはない。その彼でも気付くような変調に気付けなかった。それは私はもともと気遣いのできる方の人間ではないが、リオン以下だという事実をつきつけられては落ち込んでしまうのは仕方ない。
あまつさえその落ち込みを当のリオンに見破られ、私は悪くないとフォローまでされてしまったのだ。
私は頭に置かれたままのリオンの手を払いのけ、思い切り顔をそむけた。
「あれ?」
リオンがなぜか慌てたふうに、そむけた視界に移動してくる。赤くなった顔をこれ以上さらしたくなくて、私は顔を伏せてすたすたと歩を進めた。
「クリス? 怒った? えっ、何で?」
「怒ってない」
「いや絶対怒ってるでしょ、」
リオンはわざわざ小走りで私を追い越し、眼前に立ちふさがった。かまわず身をかわそうとした私の肩をがしりとつかむ。
「放、」
放せと口にするより先に、リオンが身をかがめて、うつむいた顔をのぞき込んできた。
真剣な眼差しに、思わず口ごもって、そのまま何も言えなくなってしまう。
「クリス」
「……あ……」
リオンが何か問おうとするのを止めたくて、言葉の用意もなくただ口を開いた。
そのとき、不機嫌な低い声が横ざまから響いた。私とリオンは弾かれたように、同時にそちらを向いた。
「人が寝てると思って朝っぱらからナニやってんの」
レネーだった。珍しくむくんだ寝起き顔である。
「他の客にいちゃついてるとこ見られるの平気なら何も云わないけどさ」
そう云って、レネーが宿の家屋を顎で示す。
つられて目をやると、宿の従業員の他にも人が動き出している気配があった。奥の棟から食堂に向かう渡り廊下からは、中庭の様子が丸見えだ。
あわててリオンから距離をとる。そのタイミングで、宿の客の一人が渡り廊下に姿を現した。
あくびをかみ殺しながら歩く男は、自然林風に緑豊かにしつらえられた中庭にちらりと目をやってから、食堂のある本棟へと消えていった。
無意識に、ほうっと安堵のため息が漏れる。
リオンが複雑な表情でこちらを見たことに、そのとき私だけが気付かずにいた。




