迷い家④
エマにできることはあまりなかった。
彼は、手錠を外すと、右腕を私の右腋下から通してベッドから引きずり上げた。その手で、喉に短剣を突きつける。
だが、今の私を引きずってリオンから逃げ切るほどの体力は彼にはあるまい。
エマは空いた左手を前に突き出すと、ぐっと握った。
ボッ、と空気を巻き込む音を立てて、エマの拳の周りに炎が浮かんだ。
いや、手自体が発火している。肉を焼くシュウ、という音と、苦痛に耐える低い呻きが耳元で聞こえた。
彼は合図するように手を振り下ろした。
手のひら大の火の玉が、勢いよくリオンに向かって放たれる。
だが、それ自体はナンバー14にとって何の脅威でもない。リオンは軽く身をかわした。
問題はその後だった。
火の玉はリオンの背後の壁にぶつかったかと思うと、ゴウ、と音を立てて燃え上がったのだ。
「!?」
リオンが目を瞠る。
炎の勢いは異常だった。壁に空いた穴を伝って、あっという間に廊下まで燃え広がる。
ツンと鼻を刺す薬品臭が漂ってくる。何か仕掛けがあったのだろう。
エマは、リオンが驚く隙をつこうとした。
短剣を彼に投げつけながら私を突き放し、彼の脇をすり抜けようとしたのだ。
だが、そのときのリオンに、隙などなかった。彼は、これほど短距離から投げつけられた短剣を、易々と素手で弾き飛ばした。そのまま音を立てて踏み込む。
常人には、一瞬で距離をつめられたように見えただろう。リオンは踏み込みと同時に、大剣を下段から振りぬいた。
「くっ」
エマは横に倒れ込むようにして、何とかそれをかわした。
「うおっ?」
リオンが振りぬいた剣の勢いに引っ張られ、体勢を崩す。
だが、エマに反撃の機会を与えるほどの隙ではなかった。彼は、力任せに大剣を引き戻すと、あまり褒められたものではない、崩れたままの姿勢でエマに向かって振り下ろす。
体勢が万全でなくとも、剣の重量が、エマが転がって逃げた後の床を叩き割った。
リオンはそのまま剣を振るってエマを追う。
使い慣れていないせいか、若干振り回されてはいるが、重量自体は苦にならないようだ。
勝負がつくまでに、さほど時間はかからなかった。
エマはたやすく壁に追い詰められ、リオンがその胸部に剣を突き立てた。
終わったとたん、ズ、とリオンは剣を引き抜いて私に駆け寄ってきた。
床に落ちた私を抱き寄せる。
「クリス!」
彼は、血まみれになった胸から慌てて目をそらすと、自分の上着を、包み込むように着せかけてくれた。そうして私の腕を肩に回させ、窓際まで引きずった。
火元である扉側の壁を除いて、石畳の室内はほとんど燃えていない。そういう仕掛けなのだろう。
だが、煙はどうしようもなかった。
リオンの舌打ちが遠く聞こえた。退路を確認しに廊下に出たのだが、
「だめだ、階段まで火の海です」
そう言って、火の粉を払いながら戻ってくる。
「こいつがどうやって逃げるつもりだったか、見ておくべきだったな……」
リオンが私をのぞきこむ。
「クリス?」
答えられなかった。
血を流しすぎたのか、視界が暗くなる。ずる、と落ちる体を、リオンが慌てて支えてくれた。
そのまま横抱きに抱え上げられる。
と思ったと同時に、掻き消えるように唐突に、意識が途切れた。
顔に日が当たっている。
覚醒して最初に考えたのは、そんなことだった。
顔が熱い。閉じた瞼の奥まで、光が赤く透けて見える。まぶしい。
うっすらと目を開けてみる。目の前には見覚えのない天井が広がっていた。窓から陽光が入ってくる。午後の日射し。外は晴れだ。
にじむ視界の片隅に、なじみの少年の姿があった。
「起きたの、クリス?」
レネーの顔がぱっとかがやく。
彼はすぐに、私が身を起こすのに手を貸してくれた。
「ここは?」
「西のふもとの村。あの山の向こうがノボツスクだって」
窓から見える山並みを指してレネーは言った。
「街道を西にずれてたんだね。あいつの言ってたこと、地理に関しちゃ正しかったってわけ」
あいつ。エマ。
レネーの言葉に、私は思わず自分の襟を確認した。白い清潔なシャツを着せられ、少し開いた襟元から包帯がのぞいている。
朦朧とした意識の中でも鮮烈な、おぞましい記憶に私は吐き気を覚えた。
そんな私を、レネーは黙って見ていたが、ふと口を開いた。
「もう大丈夫。忘れて」
レネーは、ひどく優しくそう言うと、私の頭を撫でた。
十四の子供が二十歳の女にするしぐさではないが、拒む気には不思議とならなかった。
自分で思うよりショックが大きかったのかもしれない。気遣いが素直にうれしかった。
「……ありがとうレネー」
「おれに礼はいいよ。それよりか」
レネーがあごをくいと動かした。示されたのは、隣のベッドで眠るリオンだった。
「ほめたげなよ。がんばったんだからさ」
「?」
「リオンのにーちゃん。あんたとそのクソ重い剣かついで、三階から飛び降りたんだよ。そのまま、ここまで走ったし。宿に着いたとたんに、ぶっ倒れて寝っぱなし」
「リオンがそんなことを……」
私はリオンの寝顔を見つめた。
頬に大きな擦過傷があり、きれいな銀髪があちこち焼け焦げている。寝顔が、ひたすら子供のように安らかなので、かえって痛々しく見えた。
胸が熱くなる。
「でもさすがナンバー14だよね。無傷とかありえないでしょ。化け物だね」
「……化け物とか言うな」
ナンバー13の私の前で言う台詞ではない。
レネーはごめんごめんと笑った。
それから彼は、少しだけトーンを落とした。
「……こんだけ強いのって、どんな気分だろって思ってたんだよね。ウルカはナンバー30で、死ぬほど強いってわけじゃないし」
彼が何を言いたいのか分からず、私は首をひねった。
「上位ランカーだったらきっと、生きてくのにいろいろ、やりやすくなるんだろうなって」
ちょっとうらやましかった、とレネーは小声で続けた。
「でもクリスもリオンも、腹減らすし、ケガするし魔法も効くし、わりと大したことないからさ。おれちょっと安心しちゃったよ。エマみたいに、うまくやればどうにでもなるわけじゃん?」
私は顔をしかめた。
「あいつを見習うのは止してくれ」
「見習うってんじゃないよ。ウルカが大きくなったら、おれなんかゴミみたいに見えるんじゃないかって思ってたけど、そんなに悲観することないなー、っていう話」
私は少し呆れてしまった。
レネーがそんなふうに考えていたとは、思いも寄らなかったのだ。
「それはそうだろう。ランカー同士でくっつく方が珍しい」
あくまで統計上なのだが、ランカー、特に上位同士の結婚は、非常に稀なケースとされていた。
「だよね。何でかと思ってたけど、二人見てたらわかった気がする」
「?どういう意味だ?」
聞き捨てならない言葉に、私はそう問い質した。
だがレネーは、含みのある笑みを浮かべただけで、答えようとはしなかった。
エマは、こちら側の村では存在が知られていた。
森に棲む魔法使いが、悪い薬を作って街の悪人に売っている、という噂だ。
本草研究がどうのと言っていたから、大方非合法な魔薬の調合でも請け負っていたのだろう。人気のない場所に、あれだけの規模の館を持てるのも頷ける。
三週間、足止めを食らった。
もっとも、本来ならばその倍は必要な傷だった。
私の……ナンバー13の体力、回復力が一般より抜けていたのと、もしかしたら、レネーの魔法が効いたのかもしれない。そのあたりは推測するしかない。
抜糸し、体力も回復したところで、私たちは旅程を再開した。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次回から新章が始まります。
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