出会い①
「――一生、こうして一人なのだろうか」
ナンバー13。
この数字だけが私の墓標になる。
煤けた天井。
街道沿いの宿場町は混み合っていて、表通りに空室のある宿屋はなかった。かろうじてとれた大部屋の簡素なベッドの上で、私は一人、不自由な問いを噛み締めていた。
この数年、立ち寄る街や斬り捨てる賞金首の名は変わっても、隣に誰かの体温を感じる夜など一度もなかった。最強を目指す過程で削ぎ落としてきたのは、贅肉だけでなく、他人と触れ合うための柔らかな感情そのものだったのではないか。
私の歩む先に、平穏という出口はない。そう、諦念に目を閉じた時だった。
「お疲れですか? 良かったら、これ。差し入れです」
唐突に、淀んだ空気に合わない、低く涼しい声が耳元に届いた。
薄く開いた視線の先には、見知らぬ銀髪の青年が、申し訳なさそうに微笑んで座っていた。差し出されているのは、湯気を立てる木製のカップだ。
「……何者だ」
「同じ部屋に詰め込まれた被害者仲間、ですよ。リオン、と言います」
リオンと名乗った青年は、驚くほど整った容貌をしていた。短い銀の髪は光を弾いてさらさらと輝き、深い紅色の瞳は明るく、どこか楽しげだ。
着ているものは着古した平服だ。持ち物は使い込んだ背嚢ひとつ。ごく普通の、何の変哲もない旅人の装い。だが、大部屋にいる他の多くの旅人達と、彼は一線を画して見えた。
顔立ちが良いこと、色彩がこの辺りでは珍しいこと、肌や歯に清潔感があること。確かにそれらも違和感の原因ではある。
だが何よりも、その善良そうな柔らかい笑顔には、私に……“一人旅の若い女”に、男が向ける視線特有の昏さがなかった。
普段の私なら、もう少し警戒しただろう。善人顔と人当たりの良さは、詐欺師の必須技術だ。
けれど今夜の私は……喉に詰まった孤独を潤したくて、差し出された茶を、無意識に受け取ってしまっていた。
翌朝、宿を出るときも、彼は当然のように隣にいた。
「どうせ同じ方向ですし、一緒に行きませんか」
軽い口調だった。
昨夜の少しの会話の中で、彼の旅の目的地が私と同じであることはわかっていた。
旅人は星の数ほど存在し、目的地も同じ数だけある。しかも私の行く先は大陸を越えた遠い国だ。そんな二人が出会うなんて偶然は、本当にありえるのだろうか。
断る理由はいくらでもあったはずだった。ごくわずかな疑念であっても、私にとっては避けるだけの十分な理由だ。だが、そのどれもが口に出る前に消えた。
私は頷いた。
街道は穏やかだった。
昼の光の下では、昨夜の喧騒が嘘のように静かだ。舗装の甘い道に、馬車の轍が幾筋も刻まれている。行き交う旅人も少なくない。
二人で歩く道中は、思いがけないことに……楽しかった。
リオンは話し上手で、こちらが答えやすいように言葉を選ぶ。無理に踏み込まず、それでいて距離を詰めるのが巧い。
気づけば、必要以上に口を開いていた。
「じゃあ、賞金稼ぎって四六時中賞金首を追っかけてるわけじゃないんだ?」
「選ぶ仕事のランクにもよるだろう。賞金額の低い首ばかり追うなら、継続的に数をこなす必要がある。旅費も装備費もただじゃないからな」
「あー、そうですよね。ってことはクリスは、結構な高ランクの賞金稼ぎってことだ?」
クリス、と。
ごく自然に名を口にされて、ひどくくすぐったい気持ちになった。
いつの間にか彼は私の名を覚えて呼び捨てするようになっていた。友も仲間も親しい者もいない私にとって、フルネームでも職業でもなく、上の名を呼ばれる機会などめったにあるものではない。
馴れ馴れしい、そう思ってもよさそうな場面なのに、リオンの低く柔らかい声に呼ばれるのは、なぜか少しも不快ではなかった。
「クリス?」
リオンが怪訝そうに背をかがめてこちらをのぞきこんでくる。紅い目と目があって、私は慌てて顔をそらした。
「……なんでもない。私は別に高ランクというほどじゃないぞ」
「いやいやそんなことないでしょ」
そう言いながら、彼は私に――私の右肩からのぞく大剣の柄に視線を送った。背に吊られ、金具で固定された、身長を超える長さの剣だ。
これが、さして大柄でもない女の身で、一人旅などしていられる理由だった。
一目見ればこの大剣がまともな重量でないことはわかる。剣そのものが、持ち主がそれを扱えることの……ナンバー制度の上位に位置する人間であることの、証明となっていた。
ナンバー制度。
人の資質を、戦闘能力という一点で序列化した、百年ほど前に制定された制度だ。幼少期に行われる適性測定の結果に応じて、一から順に番号が与えられる。
一桁台はゴールドクラス。各ナンバーに一人ずつ、つまりこの世に十人しかいない規格外の存在。十番台はシルバークラス、二十番台以下はブロンズクラスと呼ばれ、こちらは同じナンバーを持つ者が何人もいる。数字が大きくなるほど凡庸へと近づいていく。
ナンバーは三十番まで。三十番に至らない大多数の常人達がランキング外と呼ばれ、ナンバーを与えられた強者が自由に闘争を楽しむための踏み台として存在していた。
与えられた番号は、そのまま生涯の評価であり、枷であり、そして――時に、命の値段だった。
ナンバー13。
それが、私のすべてだった。
「結構な上位ナンバー……たぶん、シルバークラス。でしょ? その剣を見りゃ分かる」
リオンは私の肯定も否定も待たず、軽い調子で続けた。
「俺、田舎の出なもんで。シルバークラスの女の人って初めて会いました。もっとたくましいんだと思ってたけど」
リオンの視線が、大剣から私の顔へ、それから素早く足先まで落ちる。
体格を確認したのだ。そうはっきり認識するより先に、彼は顔を上げて、なぜかにこりと笑った。
「想像してたのと全然違った。あんたみたいな人もいるんですね」
普段なら、ここで顔をしかめていただろう。
言いたいことは分かる。大剣を見てもなお、体格や顔つきで私の力を見誤る連中と、彼は同じことを言っている。
それなのに、なぜか今までに感じたような不快感は、いつまでたっても浮かんで来なかった。
かわりに、私は自分の視線がリオンから……目を細めて楽しげに歯をのぞかせた、子供っぽくすら見える笑顔から離れようとしないことに唐突に気付いた。
彫刻めいた造形に、温度のない銀の髪。なのに少しも冷たさがないのは、くるくると変化する柔らかい表情のせいだろう。
その変化を追ううちに、覚えるべき感情が薄れて別のものに入れ替わっている。微笑ましいような、面映ゆいような。
つまり……顔か?
その考えに至った瞬間、自分がひどく浅い人間に思えて、私はそっとリオンの横顔から視線を外した。
彼はまだ、益体もないことをぶつぶつと呟いている。
「それとも逆か? シルバークラスならわざわざ筋肉鍛えなくても強いから、みんなあんたみたいに……どうしました?」
突然歩みを止めた私を、リオンは数歩行き過ぎてから訝しそうに振り返った。
「クリス?」
問いに答えずに耳を澄ます。
リオンには聞こえなかったようだが、私の耳は木立の奥から響く不審な音を捉えていた。そして、こちらを窺う視線。
折り悪く、街道上は人通りが途切れている。
油断していた。私は内心で舌を打った。そうしている間に前後を塞がれる。
数は五、いや、木陰にもう一人潜んでいる。粗末な装備だが、足運びに無駄がない。間合いの詰め方も揃っている。
――ただの野盗ではない。
私の大剣を見ていながら、勝ち筋があると判断して出てきたのだ。少なくともブロンズクラスが複数いる。特に正面の一人、大柄な男の威圧感。シルバークラスの下位ナンバーである可能性。
じっと私を見据えるその男の視線が、つと横に逸れた。私の右隣に立つ、リオンへ。それが合図のように背後の二人が動く気配があった。
……そういうつもりか。
私を牽制しながら、リオンを押さえようとしている。彼を人質にして私の動きを縛る算段だろう。シルバークラスの私と正面から闘わないための、合理的な判断。
私は男から目を離さないまま、背中の大剣に手をかけた。手を背中に回す過程で肩と胴当てに仕込んだフックのレバーを倒す。
カシャン、と吊り具の外れる音とともに大剣の重みが背中から右手に移る。
「リオン――」
呼びかけるより早く、背後の二人と右前方の一人が同時に動いた。
三人が一直線に、彼へと踏み込む。リオンは振り返らない。背後の二人に気付いていないのか。それとも――
次の瞬間、鈍い衝撃音が響いた。
掴みかかろうとした前方の男の身体が、横殴りに吹き飛んだ。激しく地面に叩きつけられたその体を、遠慮もなく足で踏みにじったのは、リオンだった。
後方から二人が彼を羽交い締めにしようと飛びかかる。
私は手前の、リオンの死角から近づく一人に狙いを定めて、腕だけで大剣を振り抜いた。ゴウ、と風を割る音。重い手応えと共に男の体が宙を舞う。そのまま男は石礫のように幾度か地を跳ねて、動かなくなった。
もう一人が襲ってくる間、リオンは構えなかった。間合いを取りもしなかった。
ただ伸ばされた腕を払い落とし、そのまま体ごとぶつかった。弾かれて吹き飛びかけた男の首を正面から掴み引き寄せる。
ごきり、と骨の砕ける音が鈍く響いた。
びくびくと痙攣する体を無造作に投げ捨てて、リオンは私の前に飛び出した。
シルバークラスとおぼしき正面の男に、雑な構えで殴りかかる。男はわずかに怯んだようだった。
……何だ、こいつは。
男の唇がそう動いたのが見えた。無理もない、合理的だったはずの算段が、またたく間に崩れ落ちたのだ。
リオンは止まらなかった。男が体勢を整える隙を与えず、振りかぶった拳を突き出し、避けられたら蹴りを試みる。
相手が繰り出した短剣を体を捻って避け、逆に手首を掴もうと前に踏み込む。
また避けられた。今度は相手の短剣が喉元をかすめる。
全然なっていない。
私は軽く苛立ちを覚えた。リオンは相手の動きをしっかり目で追えている。攻撃を余裕を持ってかわしている。それなのに、そのアドバンテージをまったく活かしていない。
私なら、ここで相手のつま先を狙う。動きの起点を制して崩す。それで終わりだ。無駄に揉み合いなどしない……私なら。
背後で動く気配がした。最初に叩き伏せられた男が、ふらつきながらも起き上がっていた。
血に濡れた顔で歯を食いしばり、短剣を握り直す。がら空きの私を見もしない。男の視線は憎しみの色をたたえて、殴り合っているリオンの背中に注がれていた。
リオンは振り返らない。目の前の闘争に集中しているように見えた。意外に、と言うべきか、動きの荒々しさとは対照的に表情は冷静だ。
リオンが正面の男の隙を狙って拳を振りかぶる。その背中に短剣の男が追いすがり、刃を立てて突き出す。
切っ先が届く前に、私は踏み込んだ。大剣を横薙ぎに振り払う。
男の身体が弾け飛んだ。木立へ叩きつけられるのを見届けず、剣を払った姿勢のまま、私は視線をリオンに戻した。
「背中が空きすぎだ」
言い捨てて、腰に差した捕縛具である短い鉄刀を鞘ごと外す。
「使え」
外した鉄刀を投げると、リオンは手だけを伸ばしてそれを受け取った。
――わずかに、間があった。
本来なら、もう次を叩き伏せているはずの位置だ。だがその一拍だけ、動きが遅れる。
紅い目が、こちらを見ていた。
……何だ?
だが、違和感が形になるほどの間はなかった。次の瞬間には、リオンは何事もなかったかのように顔を前へ向けて、水を差された闘争へと戻っていった。鉄刀を使う様子はない。ただ正面の男を叩き伏せて、次へと向かう。
それからの展開は早かった。
気づけば、立っているのはリオンだけだった。地面には、動かない身体が転がっている。
リオンは最後の一人の襟を離して地面に落とすと、軽く息を吐いて、こちらを振り返った。
「大丈夫ですか?」
「……ああ」
先ほどまでの暴れようが嘘のように、リオンの表情は穏やかだった。
戸惑いを覚えつつ頷くと、彼は手にした鉄刀を一度見て、こちらへ差し出した。
「これ、返します」
私は首を振った。
「いい。持っていろ。怪我をされると面倒だ」
リオンは一瞬だけ目を細め、それから軽く肩をすくめた。
「それじゃ、遠慮なく」
そう言って、鉄刀をそのままベルトにねじ込む。
「闘い方が荒すぎる。どんな師に習ったんだ」
「田舎の出なもんで。そんな立派な人、近くの村にもいませんでしたよ」
説明になっていない。
「……シルバークラス、なんだろう?」
速さ、反応、膂力。どれをとっても疑う余地はなかった。それなのに疑問符がついてしまったのは、彼があまりにも、戦士としてお粗末だったからだ。
そんなことはあり得ないのだ。シルバークラスはナンバーが確定した瞬間から、闘争に生きるために育てられるのだから。
彼はこともなげに頷いた。
「ナンバー14です」
ナンバー14。私の一つ下位ではあるが、十五より上のナンバーは希少な存在のはずだ。そこに転がっている野盗のリーダーらしき男も、おそらく十六位より下だっただろう。
賞金稼ぎや傭兵。あるいは盗賊。あるいは軍人。私が出会ったことのあるシルバークラスの上位ナンバーはみな暴力と闘争を生業としていた。だがリオンはどれにも見えない。
そのどれでもない存在と、偶然出会い、偶然宿が同じになって、偶然目的地が同じで?
――偶然、なのか?
不審は間違いなくあった。それなのに……なぜなのか自分でもわからない。私は奇妙な感覚にとらわれていた。変わる展望のまるでなかった日常が、がらりと変わるかもしれない。そんな、期待感。
私は湧き上がる高揚のようなその感覚を持て余しながら、不思議そうにのぞきこんでくるリオンから顔をそらした。




