貴様らはここで御魂の供物となってしまえ
崇峻天皇――諱は泊瀬部。古事記では、長谷部若雀天皇とも呼ばれている。日本書紀によると、崇峻天皇5年|(西暦592年)に暗殺されている。暗殺されたその日のうちに倉梯岡陵に葬られたという。
ここは異世界、歴史はほぼ並行である。おそらく、そのように暗殺された皇帝|(我々の世界で言うところの天皇)もいただろう。ところがオビトの時代|(我々の世界では西暦709年頃)には、皇帝暗殺の事実は記録になく、人々の記憶からもほとんど忘れ去られていた。
だがオビトは――その記憶を持っていた。
クラハシの丘の古墳を目指していたオビトとヒロヨの前に、オッグ=アイランダーと名乗る男が現れて、紫色の勇者『覇王の長子』と呼ぶ守護霊を操って、突然襲ってきた。
これにヒロヨが、守護霊、輝ける闘士『太陽の法衣』を召喚して対抗する。戦闘力に差があるとみて、オビトの力を借りようとすると、そこにいる筈のオビトがいなかった。
逃げた!
ヒロヨはそう思ったが、オビトは逃げたのではなかった。古墳の主が眠るその場所を、先回りして押さえようとしたのだ。
見るからに、守護霊の戦闘力は『覇王の長子』が圧倒している。これに対抗するには、古墳の主の御魂の力を借りるしかないと思ったからだ。
守護霊や御魂は、その真名を唱えられると霊力を失う。術者のいない御魂ならば、その真名を唱えた者により支配することも可能となる。
オビト
「着いた! そして間違いない! この霊気! 古墳の主の御魂はこの下だ!」
地面に、半ばだけ埋まる巨石。その下からあふれ出る膨大な霊気。これが、古墳の主の封印石であることは明らかだ。
ヒロヨ
「オビト! 逃げたのではなかったの?」
オビト
「僕たちの霊力では、その男の守護霊に勝てません! だから、今から古墳の主の封印を解きます!」
オッグ
「ヌゥゥ! 貴様、いつの間に!」
ヒロヨ
「危険よ! 迂闊に封印を解いては、かえってオビトが古墳の主の御魂に襲われるかもしれない!」
オビト
「それでも今は、やるしかない! ヒロヨ様! 任せてください! 私はこの古墳の主の真名に心当たりがあります!」
古墳の主の御魂は、真名を唱えられると霊力を押さえられ、その力を借りることができる。オビトはそれをやろうとしている。
オッグ
「させるか!」
せっかく組み伏せたヒロヨの守護霊、『太陽の法衣』を投げ捨てて、古墳の主の封印石に向かって走り出す。
その封印石には、既にオビトが手をかけている。
オビト
「今こそこの封印を解きます。 力を貸してください! あなたの名前は『ハツセベ』です!」
オビトは、倉梯岡陵に眠っているであろう、崇峻天皇の諱を唱えた。
封印石が弾け飛ぶ。
あわせてオビトも吹っ飛ばされる。
オビト
「ウワァー!」
オッグ
「迂闊! 貴様! 真名を間違えたな! 御魂は、誤った名前を唱えられると、霊気を増すのだ! 否、暴走するのだ!」
ヒロヨ
「オビトッ! 何やってるのっ!」
オッグ
「クッ! 恐ろしいほどの霊圧! 愚図愚図していては、こちらも危ない! ええい! 貴様らは、ここで御魂の供物となってしまえ! 俺は逃げる!」
いったん、オビトを取り押さえようとしたオッグだったが、そう言い捨てて反転、飛ぶように姿を消してしまった。
吹き飛んだ封印石の下から、大きな真黒い手のようなものが現れる。おそらく、古墳の主の御魂の一部だろう。
封印石の粉砕にまきこまれ吹っ飛ばされたオビトは、真名を間違って、おそろしい古墳の主の霊気を増強してしまったと自覚し、畏れ、慄いている。
恐怖に自縛されているのはヒロヨも同じである。
声だ。
声を出さなければならない。
声を出さなければ、このまま身体を動かせず、古墳の主に魂を喰らわれるのみである。
出来る事は、声を出すことのみ。
ヒロヨは、ありったけの気力で古墳の主の畏怖に抗い、叫んだ。
この声で、我に返るオビトだった。
圧倒的な霊気。立ち上がることができない。霊気を制御する陰劍と陽劍を握りしめていなければ、圧死してしまいそうだ。素早く真名を唱え、その霊気を押さえなければならない。
オビト
「そうだ! 真名だ! 正しい真名を唱えなければ! 諱の『ハツセベ』が真名ではないのか?」
ヒロヨ
「しっかりして! オビト! 今からでも真名を言い当てれば、御魂を鎮めることができるはずよ!」
オビト
「真名! 真名! 真名! そうだ、『ハツセベ』、最後の『ベ』というのは部曲の『部』。 すると『ハツセ』というのは、単なる所領の名前に過ぎない!」
ヒロヨ
「訳の分からないことを言ってないで、早く真名を唱えて!」
オビト
「コジキによれば、スシュンテンノウの名は、確か『ハツセベノワカササギノスメラミコト』、このうち『ハツセベ』が所領の名で、『スメラミコト』はテンノウのこと。そうだとすると」
真黒い霧に覆われた、巨人のような霊体が、地面の底から現れる。間もなく、古墳の主の全貌が明らかになる。
ヒロヨ
「何でも良いからッ! 早く唱えてッ!」
オビト
「分かりました! 古墳の主! あなたの真名は『ワカササギ』です!」