砂漠に潜むもの(1)
オアシスで水浴びをし、軽く(?)食事を摂った後、本来の目的である次元の穴の
あるらしい砂漠に向かう『白い騎士団』一行である。
ぎらぎらと照りつける日差しは変わらずであったが、それまでの砂漠と違い、
オアシスから近いせいか、背の高い植物や岩などの日を避けられるものがあり、
通行人にとっては非常に有り難い。
ある程度日が落ちるまで、一行は木陰で休憩することにした。
影になっているとはいえ、気温は高い。ごろごろと岩が転がっている岩は、冷たく
とまではいかないが、座ることは出来る。
岩の上に俯せていたカイルが、何やらごそごそとやり始めた。
そうして、白いベストのポケットから取り出したものをしゃぶる。オアシスで見つ
けた干物や、果物の皮を乾燥させたものだ。
紙巻き煙草は、とうに尽きてしまったので、口が淋しくなると、そのようなものを
かじるのだった。
「それ、なあに? 」
ミュミュが目敏く見付けると、カイルにぱたぱたと寄っていった。
「シッ! オアシスで、こっそり買っといたんだよ。みんなには内緒だぞ」
彼は、周りに気付かれないよう、そっとミュミュに、萎れた木の皮を手渡し
た。
両手でそれを受け取ったミュミュは、その茶色く干涸びたシワシワの物を、じーっ
と見ていたかと思うと、思い切って、カプッと噛み付いた。
「にがーい! 」
「お子様には、わかんねえ味なんだよ。いらないんなら返せよ」
伸ばしてきたカイルの手の甲をペチッとはたいて、『皮』を口にくわえたまま、
ミュミュはふーっと飛んで行き、内緒だと言われたばかりにも関わらず、ヴァルド
リューズにそれを見せていた。
「ねえ、ヴァル、次元の穴って、どの辺なの? 」
赤い東方系の衣装の上から白い甲冑を着たマリスが、岩の上に腰掛けたまま、
顔だけヴァルドリューズを向いた。
「この辺りにあったのだが――おかしなことに、消えている」
「ええっ!? 」
何事かと、皆も一斉に二人に注目する。
「消えてるって……どういうことよ!? 」
「先日見た時は、確かにこの辺りにあったのだが、……消えているとしか言いようが
ないのだ」
ヴァルドリューズの静かな碧眼は、暑さの中でさえ、涼しげに語る。
「本当だよ。ミュミュも、この間は確かに見たけど、もうなくなっちゃってるんだよ」
萎びた木の皮をしゃぶりながら、ミュミュがヴァルドリューズの肩に止まる。
皆で、顔を見合わせる。
「なくなったって――次元の穴って、移動したり、消えたりするものなのか? 」
と、不思議そうなケイン。
「……なんとも言い切れないわね。今までは、そういうものではないと思っていたけ
れど……」
マリスも首を傾げる。
「……ただ――」
ヴァルドリューズは言いかけるが、すぐに口を噤んだ。
「ただ――なに? 」
マリスが、慎重な面持ちになる。
「……『魔』の気配はずっとしている。……用心に越したことはないだろう」
「『魔』の気配――! 」
クレアが真剣な表情で耳を澄ませる。
「私には、よくわかりませんが……」
「見えるところではなく、『見えないところを探って視る』のだ」
無表情な碧眼がクレアを見下ろす。
彼女は、再び精神を集中させた。
「……今度は、感じるわ。どこかで……魔物というよりは、……なんていうのかしら、
うまく言えないけど……とにかく、異様な気配を感じるわ。近くなったり、遠くなっ
たり――どういうことなのかしら? 」
クレアは言葉を一旦区切ってから、さらに慎重な様子で続けた。
「『ここ』のようで、『ここ』ではないどこか――それに、この感じは、なんだか
――」
言いかけて、突然ふらっと倒れかけたクレアの身体を、とっさにヴァルドリューズ
が受け止めた。
「無理をするな。まだ体力が完全に回復していないのだ」
「す、すみません……」
オアシスを出て以来、クレアの体調は良くない。顔色も悪かった。
「一足先に、クレアを連れて、この先の村に行こうと思うのだが」
ヴァルドリューズが、クレアを抱きとめたまま、マリスに言った。
「その方がいいみたいね」
「そんな……! 私だけ、そういうわけにはいかないわ! それに、そんなことを
したら、ヴァルドリューズさんの魔力の消耗が激しくなるばかりです! 」
「ミュミュに回復してもらうから、大丈夫だ」
「で、でも……! 」
ヴァルドリューズがクレアを抱き上げると、皆の目の前から二人の姿は、ふっと
消えた。
「……行っちゃったぜ? 」
放心したように、カイルが、二人のいた場所を見る。
「ミュミュがクレアを回復してあげれば良かったんじゃないか? 」
宙にぷわぷわ浮かんでいるミュミュに、ケインは言った。
「やったよ。魔力も体力も復活させたけど、クレアの調子はよくならなかったんだよ」
「……大丈夫なのかな? 」
「大丈夫だと思うわ」
ケインが呟いたのを受けて、マリスが答えた。
「多分、クレアの調子が悪いのは――」
「ああ、そうか! そういうことか! 」
マリスが言いかけるのを、カイルが、ぽんと手を打って遮った。
「なに? なんだって? 」
カイルは、ケインに得意気な顔になってみせた。
「鈍いなあ、ケインは。『月の物』が来たんだよ。前に聞いたことがあるんだけど、
女の魔道士は、そういう時、魔力が一時的に弱まるらしいんだ。女って大変だよな」
それを聞いて、ケインも、魔道士だった女の子から、そのような話を聞いたことが
あったような気がした。
「なんだか大変なんだな、女の人って」
「そういう時に、普段以上のパワーを発揮する人も、稀にいるらしいわよ」
「お前なんか、そうなんじゃないの? 」カイルがマリスをからかった。
「そうかも知れないわね」マリスも笑う。
「ほんとに大丈夫なのか? クレア」
しばらくして戻ったクレアは、幾分顔色が良くなっていて、元気も少しは戻ったよ
うだった。
「村で薬を飲ませてもらったら、すぐによくなったわ。『砂漠病』といって、貧血に
似たような症状で、砂漠ではよくかかる病気なんですって」
「……誰だよ、月の物なんて言ったのは? 」
ケインが小声で言うが、カイルもマリスも、素知らぬ顔をしている。
「薬はしばらく必要なんだけど、魔物をバシバシやっつけるために、早く治すよう
頑張るわ! 」
ピンクのワンピースを着て、長い髪を下ろした彼女の、フェミニンな出で立ちには
似つかわしくないセリフであった。それが微笑ましく、皆は思わず笑う。
「男ばっかの傭兵団と違って、女の子がいると、場が華やかになっていいよな」
カイルが、にこにこして言う。
「あら、今までだって、一緒だったじゃない」
そう言ったマリスに、カイルが指を立て、「ちっちっ」と舌を鳴らしてみせた。
「甲冑着て少年騎士振る舞ったヤツと、かしこまった神官服の巫女さんよりも、東方
から来た謎めいた美少女戦士二人組の方が、神秘的でカッコいいじゃないか! これ
で、やっと、このメンバーにも色気が加わったぜ! 」
喜んでいるカイルを、クレアは複雑な表情で睨んでいたのだが、美少女と言われた
手前、怒るに怒れないでいた。
マリスの甲冑姿や、クレアの神官服も好感を持っていたケインも、今のマリスの
赤いパンツスタイル(上に甲冑を着てしまってはいるが)や、クレアのピンクのワン
ピース姿は、確かに目の保養になると思った。
「それで、さっき言ってた『魔』の気配っていうのは、近くに魔物の存在があるって
ことなの? 」
マリスが、ヴァルドリューズに尋ねる。
「『魔』と言っても、魔物の発するものとは、また違うようにも取れる。だが、明ら
かに、『魔』の存在も感じられる」
いつもの無表情で、彼は返していた。
「どういう意味なのか、はっきり言ってくんない? 」
ヴァルドリューズを見るアメジストの瞳が、いくらか歪められた。
「悪いが、そのようにしか言いようがないのだ」
「じゃあ、魔物の気配と、それとは別の得体の知れない気配の二つが、感じ取れるっ
てわけね?
「大きく言えば、そういうことだ」
少しの間、マリスは腕を組んで考えていた。
「……今までになかったケースね。もしかしたら、……ちょっと厄介なことになるか
も知れないわね……」
マリスとヴァルドリューズ以外、様子のわからないケインたちは顔を見合わせてい
た。
皆、彼女の次の言葉を、聞き漏らすまいと待つ。
いつもの大胆不敵な笑みが、彼女の顔に浮かぶ。
「いるには、いるのだったら、誘き出してやりましょうか。ヴァル、『サンダ
ガー』よ」
「ええっ!? こんなところで!? 」
ヴァルドリューズ以外、一斉に青ざめていた。
「何も現れていないのにか――? 」
ヴァルドリューズでさえ、いくらか呆気に取られているような反応だったが、マリ
スは人差し指を立て、片目を瞑ってみせた。
「何も見えないからこそ、『サンダガー』で『あさる』のよ。そこらへんを、手当た
り次第ね」
誰一人、二の句が告げられずにいた。
「幸い、砂漠で、辺りには壊れるようなものは何もないわけだし、ここんとこ呼び出
してやってないから、『あいつ』もストレス溜まってるだろうし、小出しにしてやら
ないと制御のコツも忘れちゃうかも知れないし――ね? 」
「それって、『サンダガーで暴れ回る』――ってこと? 」
マリスは、にっこりとケインを見た。
「さすが、ケイン。察しがいいじゃない」
「……なんて大雑把な……! 」
ケインとクレアは、頭痛を覚える。
単に彼女が暴れたいだけのようにも見えるが、万が一、本当に、獣神サンダガーの
召喚魔法で、『彼』を操るコツを忘れられてはかなわない。彼女が制御に失敗すれば、
この世は、サンダガーの暴走により、どのようなことになってしまうものやら。
そう考えると、誰も、真っ向から否定も出来なかった。
「なるほど。悪くはない」
「でしょう? 」
沈黙の中での、ヴァルドリューズとマリスの会話であった。
「おいおい、お前らさあ――! 」
カイルが言いかけるが、ヴァルドリューズが構わず続けた。
「だが、それならば、サンダガーを召喚するよりも、もっと簡単な手がある」
ヴァルドリューズが、改めてマリスを見て、一言、発した。
「脱げ」
驚いたのは、皆の方であった。
ケインとクレアは思わず、冷静なヴァルドリューズと、そのようなことを言われて
も、平然としているマリスとを見比べていた。
カイルなどは目を輝かせている。
(おい、お前は、何を期待してるんだ? )
ケインが、カイルの隣で横目になる。
「……なるほどね」
マリスは納得すると、何気なく、甲冑を脱ぎ始めた。
「カイル、俺たちは席を外そうぜ」
カイルの首に腕を回し、ケインはマリスから背を向けるが、カイルは思いっきり
仏頂面になる。
「なんでだよ? 」
「……そこで、そういう言葉が出ること自体、おかしいだろ? マリスは、仮にも、
ベアトリクスの王――」
言いかけて、ケインは留まった。マリスの身分のことは、彼らは知らないのだと
思い出したのだ。
「ベアトリクスの王――何だって? 」
カイルが怪訝そうな顔になる。
(まずい! )
ケインは、慌てて取り繕う。
「……だから、その……『ベアトリクスの王太子付きの護衛』だったんだしさ、
それに、彼女は貴族だろ? あんなんでも、一応は『姫』なんだからさ、その……」
カイルの眉が、への字に寄っていく。
「それがどうしたんだよ? 護衛だったんなら、とりわけ身分の高い貴族ってわけ
じゃないんだし、見ちゃいけないなんて、誰が決めたんだよ」
「だって、紳士は、そんなことするもんじゃないじゃないか! 」
「俺は別に紳士じゃねーもん! 」
「お前ってヤツは――! 」
「見るなって言われてもいないんだから、いーじゃねえか! 」
「わー! バカ! 見るなー! 」
ケインの腕を振り解いたカイルが、マリスを振り返った。
が、そこには、もう彼女の姿はなく、白い鎧だけが地面に転がっていた。
「何してるのよ、二人とも。マリスなら、もう行っちゃったわよ」
クレアが言った。
「魔力を抑えていた甲冑を外すことによって、魔物に、マリスの魔力を探知させ易く
したのよ。そうやって魔物を誘き出したところで、『サンダガー』を呼び出す――
そういう作戦だそうよ」
クレアが説明した。
「それならそうと言ってくれよ。紛らわしい言い方しやがって……! 」
カイルが、ヴァルドリューズに横目で文句を言うが、彼の方は全く取り合わず、
そっぽを向いている。
「なにかんちがいしてんの? バカじゃないの? きゃははは! 」
ミュミュがケインとカイルの頭の上を笑いながら、ぐるぐる回っている。ケインは
羞恥心に顔を赤らめて下を向き、カイルは特に取り繕おうともしなかった。
「……ちょっと待て、じゃあ、今マリスは甲冑も着けずに、ひとりで砂漠をうろつい
てるってのか!? 剣もまだないのに? 」
「そう言えば、そうだわ」
ケインの疑問に、クレアが頷く。
「ここの砂漠では魔力を読み取りにくいって、言ってたよな? もし、マリスが魔獣
に出会っても、居場所を突き止めるのに時間がかかるんじゃないのか? いくらマリ
スが鍛えてるからって、素手で魔獣と向かい合うことにでもなったら――! 」
ヴァルドリューズは、そう言うケインを、いつものように静かに見下ろす。
「たかが偵察だ」
「魔物が姿を表すのを、待てばいいじゃないか! 」
「いつ現れるかわからない魔物を、ただじっと張ってるだけじゃあ、それこそ能が
ないじゃないか。また食料や水が尽きちゃうかも知れないんだしさ」
ヴァルドリューズの代わりに、ケインにはカイルが答えていた。
「だったら、せめて、ヴァルがマリスの近くで見張ってるとか……。魔物が現れたら、
すぐに出て行けるように、魔力の届く範囲で、援護してやれば」
ケインは、以前、アストーレの山でもそうだったように、ヴァルドリューズに対し
ての視線が、徐々に睨むように変わっていくのが、自分でもわかった。それと同時に、
彼に対する、疑いに近い思いも、徐々に顔を出す。
だが、それには介さず、ヴァルドリューズは続けた。
「もう少し、クレアの回復を待った方がいいだろう。薬が効くまでは、彼女をやたら
に動かさない方がいい。さきほども言ったが、マリスは単に偵察に行っただけなのだ
から」
ヴァルドリューズは、心配そうに彼を見上げるクレアに、静かに頷いていた。
(いつも慎重なヴァルが、なんで今は……? ホントに心配いらないと確信している
のか、それとも、他に理由があるとすれば……)
その先を考えたケインは徐々に胸騒ぎを覚え、いても立ってもいられなくなった。
「マリスは、どっちへ行った? 」
低い声で尋ねたケインに、一瞬ビクッとしたクレアは、マリスの向かって行った
方向を指差す。
「マリスを援護してくる。ヴァルがいなくたって、魔獣くらい俺が倒してやる! 」
ケインは、キッとヴァルドリューズを睨むと、ダグラに飛び乗り、走らせた。
「ケインのヤツ、何ムキになってんだろうな」
僅かに、カイルがそう言っているのが聞き取れたが、その後は、ケインにはダグラ
が砂を蹴る音しか耳に入らなかった。