第19話 死神の足音
その足音は決して急ぐことなく、だが確実な歩みでこちらへと近づいて来ているようだった——
「……っ!おいっ……だれか来てないか?!」
「だっ、大丈夫だよ……この中ならバレないって……たぶん部活の昼練してる人だって……」
俺たちは音を立てないように息を殺し、薄暗い倉庫の中で互いの顔を見つめ合っていた。
得体の知れない嫌な予感が、胃の腑からドロドロと這い上がってくる。
できれば耀の言葉を信じたい。ただの通りすがりの熱心な運動部員であってほしい。
しかし、神様はそんな安直な逃避を許してはくれなかった。これも俺への罰なのだろうか……。
次いで、扉の向こうから聞こえる小さな声。
「……護く〜ん?どこですか〜?遅いから、心配で探しに来ちゃいましたよ〜?」
……おい……この声……。
扉の向こうから響いてきたのは、楚々可憐で澄んだ、そして酷く軽やかな声だった。
まるで、公園で迷子の子猫を探すような優しいトーンのそれ。
だが、その裏にある隠しきれない執着が、密閉された空間にまで冷気となって侵食してくる。
隣の席の聖女様であり、俺の抱えるもう一つの厄介極まりない爆弾——深月さんがすぐそこにいる。
そんな彼女の声に、耀も瞬時に気づいた様子で。
「なっ……なんで百合園さんがここにいるの!?どゆこと?!ココに行くって言った!?」
「いやっ……言うわけないだろ?!」
「じゃ、じゃあなんでっ?!」
「そんなの俺が知るかよ?!」
耀が声帯を震わせないほどの極小のひそひそ声で囁いてくる。
マジで俺だって聞きたい。どうしてよりによってこのタイミングで、しかもこんな学園の端にあるピンポイントな場所に彼女が現れるのかを。
いずれにせよ、今ここで扉を開けられてこの密会を見られたら完全にジ・エンドな事だけはわかる。
深月さんが俺たちの関係を把握して裏切られたとブチギレれば、耀の女優生命は即座に終了し……最悪、二人揃ってこの学園から社会的に抹殺され、学園生活まで完全に崩壊する可能性さえもある。
……マズイマズイマズイ……どうする……どうすればいい?!神様っ……。
そんな極限状態の中、外にいる深月さんの口からサラリと漏れ出した言葉が更に俺達を戦慄させた。
「……おかしいですねぇ……GPSで見るとこのあたりなんですけれど……ただの誤作動でしょうか?」
……は?おい……今、なんて……?GPSって言ったか?今、確実に言ったよな!?嘘じゃん……マジで?!いつの間に?靴の裏か?それともスマホにこっそりアプリでも仕込まれたのか?ってか、今はそんなの特定している場合じゃないんだが……。
外から聞こえた深月さんの物騒すぎる独白に、俺の全身の毛穴から致死量の冷や汗が一気に噴き出す。
それは耀も同じだったようで。
「ねぇ、まっ……まもる……その顔さ……もしかして今言ってたGPS仕掛けられてるの知らなかった?」
「……ああ、全然……」
「あっ、あのさ……ウチが言うのもなんだけど……あの人ヤバくない?」
「……うん、それは知ってる……てか、ヤバいから何も言えないってわかってくれたか?」
「……うん……なんとなく……」
思わず、暗闇の中でお互いに絶望を確認しあう俺達。
耀は今さらながら、俺の置かれている過保護という名の監禁状況を正確に理解してくれたようだ。
でも遅すぎんだよ。こうなる前に感じ取ってほしかったなぁ……。
「あっ♪ふふっ……もしかして、ここにわたくしを誘い出してイケない事しようなんて思ってたりして♡……ああ、でもそれはないですね……そういえば、まだGPSの事伝えていませんし……」
甘く、優しく、それでいて背筋が完全に凍りつくような狂気を纏う声。
まるでホラーゲームの追跡者が、嬉々として鼻歌を歌いながらロッカーに隠れるプレイヤーを探している時と全く同じ絶望感のようだ。
その可憐で凶悪な足音が、さらにこちらへと近づいてくる音がする。
俺は耀に目配せし、『絶対に息を、するな』と必死の形相でジェスチャーを送った。
耀も青ざめた顔でコクリと頷き、少しでも扉から気配を消そうと、積まれたハードルの影へと慎重に後ずさった。
その一歩。 彼女が足を動かしたその時だった。
カツンッ……。
「え……?」
耀の足元で、何かがぶつかる鈍く小さい音が響く。
視線を落とすと、そこにあったのはバランス悪く立てかけられていた古い陸上用のハードル。
それが無情にも耀のつま先に引っ掛かり、ゆっくりと傾いていく……。
まるで映画のスローモーション演出のように、俺の視界の中で鉄の塊がバランスを崩しだし、それに巻き込まれるように高く積まれた何台ものハードルが将棋倒しのようになって耀の華奢な身体に向かって降り注ごうとして——
「耀っ!……危ないっ!」
俺は思考よりも先に、弾かれたように身体を動かしていた。
耀の細い肩をがむしゃら引き寄せ自分の腕の中に閉じ込め、彼女に覆い被さるようにして背中を向けて、迫り来る鉄の雨の盾となった。
「あっ——」
という耀の小さな悲鳴とともに。
ガシャァァァァァンッ!!
複数の鉄パイプが俺の背中に鈍い痛みを残してそのままコンクリートの床に激突し、鼓膜を突き破るような轟音が狭い倉庫内に無慈悲に反響した。
それからすぐに訪れる静寂。
呼吸すら忘れるような、世界が凍りつくような沈黙が落ちる。
俺は耀の上に覆いかぶさり、背中の痛みを堪えながらその場で石像のように固まっていた。
腕の中の耀が小刻みに震えているのが伝わってくる中、俺はどこか諦めの境地に達していて。
……ああ、終わった。うん。これ、完全に終わったわ……でも耀を守れただけでも、十分かもしれない。
「……あら?今の音……倉庫から?」
扉のすぐ向こうから獲物を見つけた死神のような聖女の声が響き、コツコツと歩む規則正しい音がこちらに近づいてくる。
「……そこに誰かいるんですか?……護くん?」
声はついに扉の真正面まで来ていた。
心臓が口から飛び出しそうになる俺を前にして、密室空間に無情な音が落ちる。
カチャ……。
それは、扉が微かに動く音。
刹那、俺たちと外界を隔てていた最後の防壁が打ち破られる、絶望の音が響き渡った——




