第二節 海の帝国(2)
降りしきる雨の合間に、時折晴れ間が覗く。蒸しかえる熱気の中に、若葉は萌える。蒸し暑さの中に、南国らしい芳香が漂っていた。
パガン王国は、これから雨季を迎えようか、という季節であった。アルタイア艦隊がパガンの主要港に入港したのは、そのような時分であった。
アルタイアとしては、この度の入港で、無用な対立を引き起こすような事はしたくはない。そのために、アルタイアは相手国への配慮に苦慮することとなる。なぜなら、アルタイアの船一隻が、他国のどの大型船よりも巨大であり、威圧的に映ることは自明の理であったからだ。
そのために、メインマストに皇帝旗とパガン王国の国旗を掲揚し、艦尾に所属先を示すアルタイア国旗を掲げ、海軍主力艦隊は白旗の掲揚とともに、近海に待機させる、という念の入れようであった。
パガン側の先導により、旗艦「王狼」は静かに入港する。艦隊司令部のみならず、士官はすべて甲板に整列し、兵もまた同様に並んでいる。相手国への敬礼はアルタイア式ではあったが、それが「最敬礼であること」を疑わせはしなかった。礼砲に代えて、汽笛が鳴らされる。
その姿を見ても猶、港に集まる人々の顔に、恐れと不安の表情がありありと見えた。
無理もない。アルタイアの船とパガンの木造船とでは、その大きさが、「島に子犬がじゃれついている」ぐらいの差があったからだ。更に、アルタイアの艦船からは常に大量の煙と、猛獣の咆哮のような動力音、船首が海を切り裂き、波を掻き分けるかのように進む光景を目の当たりにしたのなら。
その一方で、パガン先導船の船長は安堵した表情を浮かべていた。隣接国であるジョンファとの交易の中で、伝統的に「白旗は武力行使の放棄」を意味し、「相手国の国旗を掲げる行為は、相手国の国法を遵守する」という意思表示とされてきた歴史があったこと。
そしてジョンファが、わざわざ陸路で急使をよこし、「アルタイアの艦隊が、六月半ばにパガンに到着予定であること」と、「海上交易の作法に則り、入港する意思があること」をあらかじめ伝えて来たからであった。
さらに「黒旗を掲げない」という行為そのものが、パガン側にとっても好印象だった。黒旗といえばアルタイア軍の象徴だが、海上では「戦闘意思の表明」を意味する。象徴よりも秩序を重んじる点に、長年の船乗りは安心したのだ。
港ではパガン王国の宰相が出迎えに来ており、この地の教団の高僧と思われる人々も、アルタイアの動向を見守っていた。ジェン・ヘがタカネに囁きかける。
「高位高官の方々が港でお待ちです。パガン側の最大限の歓迎です」
その声に、タカネは安堵したかのような表情を浮かべる。
タカネら使節団が招かれたのは、街の中央に位置する石造りの建物であった。
王城である。意匠は上座部仏教の教えに由来すると思われ、アルタイアで親しまれている寺院とは趣が異なる。それらに対し興味深げな視線を向けるタカネだが、立ち止まることは無く、案内人の後方を歩き続ける。
その建物までの道のりも建物自体も、極めて清潔で整っており、町ゆく人々の顔色も良い。こちらを物珍しげに見ることはあっても、大きな反応は無く、子供たちの笑い声も時折聞こえてくる。
豊かな国である。
それがパガンという国の印象であった。
この度の来訪においてアルタイア側が配慮したのは、海上交易での作法のみではない。
アルタイア軍の武官服は既に夏用のものへと切り替わっていたが、タカネ自身は特に極力肌の露出を抑えた武官服を身に纏っている。タカネ自身は、生物学的にも性自認の上でも男性ではあったが、見た目があまりにも中性的であるが故に、相手国の文化に対する特別な配慮が必要なのだ。
「虫が媒介する伝染病もあるらしいし、健康管理と思えば気にならないよね」
下船に先立って儀礼用の武官服に着替えたタカネは、近侍にそう声をかけて微笑んだ、と後世には伝えられている。
タカネ自身が砂漠地帯で学んだ事として、その地域の宗教が人々に肌の露出を禁じているのは、「性差別や身分差別ではなく、砂や日射病から肌や健康を守るためであり、また、昼夜の寒暖差から身を守るためでもある」という実例があったことも、今回の行動の一因であろう。
濃藍色のタカネの長袍には、一切の刺繍は施されていない。傍から見れば質素に見えるその衣装も、タカネが身に纏えばオオルリが人里に迷い込んだかのような雰囲気がある。そして相も変わらず、背に揺れる髪の毛束は若駒の尾のようであった。
タカネ達が通された広間には既に、宴の用意があった。それは入念に準備されたことが想像に難くない歓迎である。食材はこの時期にパガン周辺で食されるものが多いものの、どれも新鮮で上質なものであることが明白であったからだ。淡水魚を用いた酸味スープ、タケノコを用いた料理、そしてマンゴスチンやジャックフルーツなど、季節ならではの味を楽しめる果物の数々。
そして国王自らがタカネらを出迎えたことも、その歓迎ぶりを象徴していた。
そして翌日。
公用暦一一八四年、アルタイア帝国暦元年の六月十四日。パガン王国との会談は始まる。




