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アルタイア興亡記  作者: JAKUSUI
序章 海の帝国
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第二節 海の帝国(1)

 

 白波を割く艦船の色は陽射しの中青く輝き、鋼鉄の力強さと冷ややかさを、ただその身に宿していた。

 この度の遠征には海軍四個艦隊が派遣されている。八十隻の軍用艦の隊列は、野を駆けるハイイロオオカミの群れにもよく似ていた。

 百ウル(百メートル)を優に超える船体は、青灰色の海を掻き分けて東洋海域を南西方向に進んでいる。ヤシマ列島及びジョンファ沿岸はすでに後背の彼方であり、たった今、艦隊はルークー諸島付近を通り過ぎようとしているのだった。


 遠征の第一目標はチェンラ王国。チロク・サムナク海峡を通過するための、外交儀礼が必須であった。

 総旗艦「王狼」の艦橋。その艦隊司令部に彼らは集まっていた。

「遠征最初の目標はチェンラ王国との交渉です。陛下はその理由がお分かりですか?」

 海軍司令長官ジェン・ヘのその問いに、皇帝タカネは「分からない」と頭を振る。

「チェンラとの交渉を行う理由は、海峡通過が海上交易の重要事項だからです。陸と陸との間にあって海が狭くなる要所は、その海域保有国にとって有利になります。チロク・サムナク海峡においては、チェンラ王国がそれに当たります。チェンラが海峡通過を容認すれば、安全に、かつ最短距離で次の海洋へと進出できます」

 その説明にタカネは目を見開いた。

「通過許可を得られなければ、迂回路を探さなければならなくなる、と?」

「そういうことです。この海峡通過、何かに似ていると思いませんか? 遊牧民たる陛下には、馴染み深いものかと思います」

 ジェン・ヘの問いかけに、タカネは考え込み、そして答えた。

「大陸公路のオアシス国家に似ている。水の補給なしに、砂漠は越えられない…」

 ジェン・ヘは大きく頷いた。

「ご理解頂けて何よりです。我らは軍人故、政策の具体的案については発言を差し控えますが、もし今後海上交易を国家戦略に組み込むのであれば、海峡を有する国々との関係を、まず考えた方がよろしいかと」

 その言葉にタカネは頷いた。

「政策実務については宰相と外務尚書にまず任せてみよう。具体的法案については、議会に」

 軍人たちはその皇帝の言葉に肯定も否定もしない。ただ海洋戦略の基本を述べたにとどまる。

 タカネは立ち上がると、艦隊の士官たちに一礼した。

「学びになりました。ありがとう。これからも何かと教えてもらえたら、こちらも助かります」

「御意のままに」



 タカネは建国帝として、また外交使節団の長としてこの度の遠征に同行していたが、遠征自体は海軍の指揮下で行われる。

 その立場故に、艦隊運用に関しては海軍司令長官たるジェン・ヘに一任している。

「素人が口出ししては、上手くいくものも上手くいかなくなるから」

 というのは、タカネの言である。昼に一度艦橋に顔を出し、航海状況の報告を受けるのみであった。

「皇帝臨席の閲兵式だとでも思ってください。やり辛い部分もあるでしょうが、貴官らがいつも通り職務に取り組むことを、私は望みます」

 出航に当たっての、タカネ自らの訓示である。

 それ故にタカネへの敬礼も省略され、タカネ自身、軍の許可なく細部に立ち入ることはしない。一日の大半を士官室の片隅で過ごすのみである。

 タカネ自身の仕事は、この度の遠征で立ち寄る諸国の情報と儀礼作法一覧に、一つずつ目を通すことである。

 建国にあたり、タカネが本来取るべき作法を守らなかったため、後に侍従長と女官長から折檻されたことは公然の秘密であり、国民にとって酒のつまみになるほどの笑い話である。

 もちろん、文化的摩擦が、外交摩擦に発展する懸念を踏まえての対策ということもあり、同行する使節団の人員から、外交作法を学ぶことも忘れてはいない。


「お茶をどうぞ」

 昼下がりのことであった。侍女がタカネに差し出したのは、シナモン茶であった。侍女の祖国の飲み物だという。

「ありがとう、アヌシュカ」

 タカネは微笑とともに、対面の椅子を指し示す。

「お言葉に甘えて」

 侍女アヌシュカとの、二人きりのお茶会であった。

 この度タカネがアヌシュカを伴ったのは、「最低限の侍従は連れてほしい」という宮内省側の要望と、使節団側の「皇帝専属の通訳をつけたい」という思惑に、彼女の能力が合致したからであった。

 そのためか、タカネのアヌシュカとの会話は、各国の文化や言語、風習など多岐にわたる。タカネ自身が知識や経験のある人を呼び寄せて話を聞くことを好んだため、侍従職や侍女職には学識を買われた人物が多い。アヌシュカ自身、タカネの指示で外交官と変わらぬ衣装を着用している。

 半刻ほど話し込んだだろうが。

「楽しい時間をありがとう、アヌシュカ。お茶、美味しかったです」

 タカネは、とても満足げに微笑んでいる。

「またお茶会しようね、陛下」

 アヌシュカもまた微笑み返し、執務に戻る。

 その背を見送り、タカネは窓の外へと視線を向けた。ウルマシー諸島付近に差し掛かった船団は、梅雨の中を進んでいく。

 音もなく窓を叩く雨は、涙の色にもよく似ていた。




 降りしきる雨の合間に、時折晴れ間が覗く。蒸しかえる熱気の中に、若葉は萌える。沸かした湯の側にいるかのような暑さの中に、南国らしい芳香が漂っていた。

 チェンラ王国は、これから雨季を迎えようか、という季節であった。アルタイア艦隊がチェンラの主要港に入港したのは、そのような時分であった。

 アルタイアとしては、この度の入港に際し、無用な対立を引き起こすような事はしたくはない。そのため、アルタイアは相手国への配慮に苦慮することとなる。なぜなら、アルタイアの船一隻が他国のどの大型船よりも巨大であり、威圧的に映ることは自明の理であったからだ。

 故に、メインマストに皇帝旗とチェンラ王国の国旗を掲揚し、艦尾に所属先を示すアルタイア国旗を掲げ、海軍主力艦隊は白旗の掲揚とともに、近海に待機させる、という念の入れようであった。


 チェンラ王国側の先導により、旗艦‘王狼’は静かに入港する。

 艦隊司令部のみならず士官はすべて甲板に整列し、兵もまた同様に並んでいる。相手国への敬礼はアルタイア式ではあったが、それが‘最敬礼であること’を疑わせはしなかった。礼砲に代えて汽笛が鳴らされる。

 その姿を見ても猶、港に集まる人々の顔に恐れと不安の表情がありありと見えた。

 無理もない。アルタイアの船とチェンラの木造船とではその大きさが、島に子犬がじゃれついているほどの差があったからだ。

 さらに、アルタイアの艦船からは常に大量の煙と猛獣の咆哮のような動力音、船首が海を切り裂き、波を割るかのように進む光景を目の当たりにしたのなら。

 その一方で、チェンラ先導船の船長は安堵した表情を浮かべていた。

 隣接国であるジョンファとの交易の中で、伝統的に白旗は武力行使の放棄を意味し、相手国の国旗を掲げる行為は、相手国の国法を遵守するという意思表示とされてきた歴史があったこと。

 そしてジョンファ帝国が、わざわざ陸路で急使を派遣し、アルタイアの艦隊が、六月半ばにチェンラに到着予定であること、そして、海上交易の作法に則り、入港する意思があることを、あらかじめ伝えて来たからであった。

 さらに黒旗を掲げないという行為そのものが、チェンラ側にとっても好印象だった。黒旗といえばアルタイア帝国軍の象徴だが、海上では戦闘意思の表明を意味する。象徴よりも秩序を重んじる点に、長年の船乗りは安心したのだ。



 港ではチェンラ王国の宰相が出迎えに来ており、この地の教団の高僧と思われる人々も、アルタイアの動向を見守っていた。ジェン・ヘがタカネに囁きかける。

「高位高官の方々が港でお待ちです。チェンラ王国側の、最大限の歓迎です」

 その声に、タカネは安堵したかのような表情を浮かべる。


 タカネら使節団が招かれたのは、街の中央に位置する石造りの建物であった。

 宮城である。

 意匠は上座部佛教の教えに由来すると思われ、アルタイアで親しまれている寺院とは趣が異なる。それらに対し興味深げな視線を向けるタカネだが、立ち止まることは無く案内人の後方を歩き続ける。

 その建物までの道のりも、建物自体も極めて清潔で整っており、町ゆく人々の顔色も良い。こちらを物珍しげに見ることはあっても大きな反応はなく、子供たちの笑い声も時折聞こえてくる。

 豊かな国である。

 それがチェンラという国の印象であった。

 この度の来訪においてアルタイア側が配慮したのは、海上交易での作法のみではない。

 アルタイア軍の武官服は既に夏用のものへと切り替わっていたが、タカネ自身は特に極力肌の露出を抑えた武官服を身に纏っている。タカネ自身は男性ではあったが、見た目があまりにも中性的であるが故に、相手国の文化に対する特別な配慮が必要なのだ。

「虫が媒介する伝染病もあるらしいし、健康管理と思えば気にならないよね」

 下船に先立って儀礼用の武官服に着替えたタカネは、近侍にそう声をかけて微笑んだと後世には伝えられている。

 タカネ自身が砂漠地帯で学んだ事として、その地域の宗教が人々に肌の露出を禁じているのは性差別や身分差別ではなく、砂や日射病から肌や健康を守るためであり、また、昼夜の寒暖差から身を守るためでもある、という実例と経験があったことも、今回の行動の一因であろう。

 濃藍色のタカネの長袍には、一切の刺繍は施されていない。傍から見れば質素に見えるその衣装も、タカネが身に纏えばオオルリが人里に迷い込んだかのような雰囲気がある。そして相も変わらず、背に揺れる髪の毛束は若駒の尾のようであった。


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