番外編
【電子書籍 配信記念SS】
死に戻る日々が終わり、新たな生活が始まった。
とはいえ、まだ私もサリュ殿下も王立魔法学園に通っている学生だ。授業には出ねばならないし、課題もこなさなければならない。しかも、サリュ殿下は皇太子になり、私はその婚約者となった。つまり王家の公務も加わっているのだ。
「毎日、忙しくて目がまわりますねぇ」
近々、私達の婚約披露を兼ねた舞踏会が開かれる。今日はその打ち合わせだったが、何とか終わらせてひと休憩。サリュ殿下とお茶を共にしていた。
庭園の東屋で、二人並んでベンチに座る。まわりは花に囲まれ小鳥のさえずりが聞こえるという優雅な場面にもかかわらず、疲労のせいで空気は重い。
「父上も、容赦なくいろいろ振って来るしな」
サリュ殿下も、げんなりとした表情を隠しもしない。
「婚約披露の舞踏会が終われば、少しは落ち着くでしょうか」
「そう願いたいな」
想いが通じ合い、形だけでなく心も伴う形で婚約した。前のシベリウス殿下の時とは全然違う。だから、もっと甘やかな雰囲気を味わえると思っていたのに。やるべきことに忙殺されている。
でも、サリュ殿下が真面目に学業や公務に励んでいるのを見ると、恋人らしい時間が欲しいなど言いにくかった。
「ユスティーナ」
サリュ殿下に呼ばれ、いじけていた表情を慌てて笑みで覆い隠す。
「はい、何でしょう」
「これを。ずっと渡したかったんだ」
殿下が差し出してきたのは、リボンの巻かれた箱。平たくて本くらいの大きさだ。
「何でしょう。あけてもいいですか?」
「もちろんだ」
受け取ってみると、いやに軽かった。箱の形から首飾りだろうかと予想してみたが、重さが違う。
私はあまり装飾品に興味はないし、新たな賢者の石を首飾りにして育て始めているから、もらってもあまり身につけることはない。それをサリュ殿下も知っているから、やはり首飾りの線はなさそうだ。
何が出てくるのだろうかとワクワクしながら、ゆっくりとリボンをほどき、箱を開ける。
すると、真っ白で滑らかな光沢のある絹に、細やかで見事な刺繍が見えた。ものすごく綺麗なうえ高級そうなので、恐々と広げてみる。
「素敵なハンカチだわ」
公爵令嬢なので、持ち物は当然それなりに上質なものを持たされている。だが、ここまで手が込んでいるハンカチは見たことがない。
「前に、ハンカチを貸してくれただろう。それの代わりだ」
「え?」
確かにサリュ殿下にハンカチを貸したことがある。一緒にお昼を食べていたら、口元にソースをつけていたから。
でも、あのハンカチは実用的なもので、はっきり言ってただの布だ。刺繍も入ってないし、何度も洗ってごわついていたはず。とてもじゃないが、このハンカチの代わりにもらうようなものではない。
「気に入らないか?」
私の反応を見た殿下が、悲しそうな目をした。
あぁ、違うのに!
ハンカチを借りたことを律儀に覚えてたことも嬉しいし、私のためにこれを選んでくれた心遣いも嬉しい。それは本心だ。
「お気持ちはとても嬉しいです。ただ、元のハンカチとこちらでは釣り合わなくて、戸惑っているといいますか」
「ユスティーナのために用意したんだ。気にすることなく使ってくれ」
サリュ殿下はこの話は終わりだとばかりに、紅茶のカップに手を伸ばした。
もったいなくて使えないだろうが、婚約者からの贈り物だ。大切に飾っておこうと思った。だが、それはそれとして、もらい過ぎはやはり私の気が済まない。
「逆にお礼をしなければならないですね。何か欲しいものはありませんか」
問いかけると、サリュ殿下は動きを止めた。そして、少し意地悪そうな顔を浮かべた。
「欲しいもの、あるぞ」
「何です? 私に用意できるものでしょうか」
「大丈夫だ。むしろユスティーナでなければ無理だ」
並んで座っていたサリュ殿下が、距離を詰めてきた。先ほどまでは拳3つ分くらいあった距離が、小指一本分だ。もはやゼロ距離に近い。
「あ、あの、少し近いような……」
殿下の身にまとう香水がふわりと風に乗ってくる。視覚だけでなく嗅覚でも近さを実感し、勝手に心臓がどきどきと暴れ出した。
「ユスティーナの、くちづけが欲しい」
サリュ殿下が、私の耳元でささやく。その吐息のくすぐったさにビクリと肩が跳ねる。
「へぁ?」
遅れて、殿下の言葉の意味を理解した途端、変な声が出てしまった。
「お前な、もうちょっと可愛い声だせよ」
口では文句のようなことを言っているが、サリュ殿下はすごく楽しそうだ。
うん、サリュ殿下が楽しいなら何よりです。
ですが、何ですって? 私のくちづけが欲しいって?
「あ、あの、私、その、殿方とくちづけなどしたことがなく、いきなりサリュ殿下にするのは、失敗したら滅相もないというか」
動揺のあまり語彙がめちゃくちゃになっているような気がする。
なんだ、失敗したら滅相もないって。
「……それはそれで、むしろ、良いな」
サリュ殿下はポカンと口を開いたまま固まっていたが、すぐに口を閉じた。しかし、口元がもにょもにょと締まりがない。まるでニヤけるのを我慢しているみたいだった。
サリュ殿下は引く気がないのか、キラキラした瞳で見つめてくる。そして、少し、またほんの少しと、私に体を寄せてきた。気付けば、少しでも動いたら触れてしまいそうなほどだった。
至近距離のサリュ殿下にクラクラしてくる。なめらかな褐色の肌、アメジストのように煌めく瞳、悪戯なことを言いだす唇。どこをとっても殿下は美しい。
細身に見えて実はたくましい腕が、そっと私を囲うように背中に回ってきた。
「ほら、ユスティーナ」
甘やかな響きが、私の思考能力を奪っていく。
三回も死にかけた経験がある癖に、私はキスの経験など一度もないのだ。
だけど、サリュ殿下は困る私を見て、とても嬉しそう。
殿下が喜んでくれるのなら、勇気を出してみようか。
――――ちゅっ。
私は目を瞑ってサリュ殿下に口づける。ただし、頬にだが。
「こ、これでご容赦ください!」
照れくさくて、サリュ殿下の甘い囲いの中から飛び退く。
そして、真っ赤になっているであろう顔を手で隠して、奇声を発しながら逃げるのだった。
***
ユスティーナが正式に俺の婚約者となった。しかもお互いに想い合っての婚約だ。つまり、俺たちは形式的な婚約者ではなくむしろ恋人同士。
ずっと、ずっとずっと夢見ていた。兄上の横で笑っているユスティーナを見て、何度さらってやろうかと思ったことか。そんな我慢を乗り越えて、やっと今がある。
だからこそ、自分から手を伸ばしてしまったら、途中で引けなくなる。そんな予感があって、いつも自分自身を戒めていた。
そんな日々を送っていたが、何か欲しいものはないかと問われ、彼女の唇をいただいてもいいのではないのかと、己の中の悪魔がささやく。ダメだ、彼女を怖がらせてしまうぞと天使が止めてくる。悪魔と天使の勝負は付かず、俺はあることを思いついた。俺からキスをすると危険なら、彼女からキスをしてもらえばいいのだと。
そして結果、俺は走り去るユスティーナを呆然と見送る。
「は? めちゃくちゃ可愛いんだけど」
そりゃ、あわよくばキスしたかった。だが、正直なところ、無理だろうなとも思っていたのだ。何せ俺が少し接近しただけで、いつも挙動不審になるくらい初心だから。口づけの提案も、俺を意識して、照れて困る顔が見られれば良いくらいの気持ちだった。
それなのに、ユスティーナは顔を真っ赤にして俺の頬にキスをした。触れるだけなのに、とても柔らかくて、優しくて。まるで彼女そのもののような、愛しさに満ちたキスだった。
ユスティーナはいつも俺の想像を超えてくる。
本当に敵わない。
俺は一生、彼女に勝てないと思う。
「あぁ、今日は眠れそうにない」
空に向かってぽつりと、幸せに満ちた独り言をこぼすのだった。
『死にたくないので婚約破棄を所望します 四度目の人生、ヤンデレ王子に偏愛されてしまいました』と改題のうえ、シェリーLoveノベルズ様より電子書籍として配信されます。
5月22日から配信開始です!!
https://ohzora.jp/books/1005402/
書籍化にあたり、より読みやすく楽しんでいただけるように改稿もしましたので、他の作品からここに飛んで来てくださった未読の方だけでなく、読んでいただいた方にも満足していただけると思います。
唯奈先生に素敵なカバーを描いていただきました。
ユスティーナの困り顔がキュートで、サリュ殿下のちょっと意地悪そうな笑みが最高なんです。
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