終章(1)
夏休みが明けた。
いろんなことが起きた夏休みだった。
それは私がムハンド王国にさらわれたことだけではない。むしろ帰ってきてからの方が、様々な変化が起こったのだ。
私にとってもサリュ殿下にとっても、国にとっても大きいのではないだろうかという変化のまずは一つ目。
王妃が修道院へと送られたのだ。偶然にも、私が魔物に襲われて命を落とした領地に建つ歴史の古い修道院である。
国同士の戦争が起きるきっかけを作ったのは王妃だ。陛下も長年の王妃の我が儘な振る舞いに頭を悩ませていたため、今回だけでなく今までの反省をも促すために、修道院で自分の行いを見つめ直してくるようにと追放の命が下ったのだ。
王妃は自分の立場を利用して、気に入らない側室や貴族の妻達をいじめ、幼い子供にも容赦なく差別的発言をするような人だった。
王妃たるもの、常に国のための行動を心がけなくてはならないはずだ。もちろん人間だからいつも完璧になど出来ないだろう。だけど、王妃はその考えを持ち合わせてすらいなかったのだから、当然の結果だ。
次に、これもすごく驚いたことだが、第一王子のシベリウス殿下が臣籍に降下となった。もともと人当たりは良いが、王になるには少し頼りないのではという意見はあったのだ。そこに加えて、私との婚約破棄後の浮ついた様子を見て、陛下も重臣達も呆れていたらしい。
決定打は、使節団を招いたときのパーティーで姿が見えなかったこと。陛下はおざなりにすることなく、シベリウス殿下が何をしていたのか調べたそうだ。案の定、エリサ様とごにょごにょなアレをしていたらしく、さすがの陛下も激怒したらしい。国をあげてもてなしている最中に、次の王となるべき人物が何をしているのかと。
婚約者のエリサ様は公爵家の一人娘だったため、将来は婿入りすることになるらしい。シベリウス殿下も大勢の国民の命よりエリサ様を深く愛する人生を送りたい言いだし、もはや進んで皇位継承権を手放した感すらある。
まぁ、もともとの時間軸では駆け落ちして一緒になっていたくらいの二人だ。今回は公爵家としてこの国で過ごしていけるのだから、逆に良かったのかもしれない。
そして最後に、第二王子のサリュ殿下が正式に皇太子になることが決定した。
シベリウス殿下が臣籍におりたから繰り上がっただけとも言えるのだが、陛下はサリュ殿下なら任せられると言い切った。ムハンド王国との和平調停が上手くいったことを高く評価していて、ちゃんと国のことを考えられる人物だと認めて皇太子につけることを決めたのだと。
辛い思いをしてきた分、サリュ殿下は弱い人達の痛みをくみ取ることが出来る。きっと、良い王様になるだろう。
そして私はというと、特に変化も無くただの公爵令嬢のままだ。
「おはよう、ユスティーナ。久しぶりね。噂によるとかなり刺激的なバカンスを楽しんだみたいじゃない?」
イリーナが登校した途端に抱きついて来た。
「わっ、びっくりするじゃない」
教室内はまだ数人しか登校しておらず、登校している数人も窓辺で語らっているので私達の周りは誰もいない。
イリーナを引き剥がしながら席に座ると、イリーナはその横の空いている席に勝手に座った。
「そりゃびっくりさせようと思って抱きついたんだもの。もう、水くさいじゃない。お父様からいきなりユスティーナがムハンド王国に拉致されてたって聞いた私の気持ち分かる? もうびっくりどころじゃないわよ」
イリーナにもかなり心配をかけてしまったらしい。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「ごめんなさい。本当はムハンド王国に行くことをイリーナにも伝えておこうかと思ったのだけど、変に心配掛けたくなくて黙っていたの」
「それだけじゃなくて、私が聞いたら絶対に着いていくって言うと思ったからでしょ?」
「うっ……ソンナコトナイヨ」
当たりだけに思わず視線が明後日の方向へ流れてしまう。
「図星ね」
「だって、危険な旅になると分かっていたんだもの。さすがにあなたを巻き込むわけには行かないわ。だって、大好きな親友なんですもの」
「……はぁ、大好きなら言って欲しかった。でも、まぁ許す。条件付きだけどね」
「条件?」
「これからは、内緒にせずに私にも言うこと」
「ぜ、善処します」
「本当に善処してよね。じゃあさっそく聞きたいことがあるんだけど」
さっそく? これ確信犯で約束させられたんじゃなかろうか。
「ナンデショウ?」
身構えるあまり、片言な発声になってしまう。
「ふふっ、怯えてるユスティーナ可愛い。そんな可愛いユスティーナは、サリュ殿下とどうなってるの?」
満面の笑みでイリーナが詰め寄ってきた。
「サリュ殿下とは、特に何もないです」
「何も? 両思いなのに?」
「えっ、ちがっ、両思い?」
「サリュ殿下がユスティーナを好きなのは当然として、あなたも殿下のこと好きでしょ?」
イリーナが直球で言ってくる。
好き……なのは認めよう。でも、その好きの種類が私にはよく分からないのだ。
これが恋愛の好きなのか、人として好きなだけなのか。
「大切な人で、幸せになって欲しくて、守ってあげたいなって思う。でも、それが恋愛の好きなのか分からないの」
「……はぁ? そこまで気持ちがあって、何故分からない」
「だって、私にとってはイリーナも大切な人で幸せになって欲しくて守りたいって思ってる」
「あ、ありがとう?」
イリーナはちょっと頬を赤くしている。
あれ、もしや照れてる?
「いやいやいや、違う。思わず流されるところだったわ。ならユスティーナ、ちょっといいかしら」
イリーナは私の腕を取って立ち上がらせてきたかと思うと、再びぎゅっと抱きしめてきた。彼女のつけている香水がふわっと甘さを運んでくる。
「どう?」
「どうって……抱きしめられてるなって思うけど」
ついでにイリーナって柔らかいなって思う。私には少々足りない柔らかさがそこにはあった。
「じゃあこれがもしサリュ殿下だったら? この至近距離にあの綺麗なお顔があるって想像してみて」
「えっ……?」
言われたとおりに想像してみる。
サリュ殿下にぎゅっと抱きしめられる。香ってくるのはイリーナの甘い香りじゃなくサリュ殿下の爽やかな香り。そして目の前には長いまつげに縁取られた麗しい紫の瞳、すっと通った鼻の下には憎まれ口を叩く唇――――
「むりぃぃぃぃ! 恥ずかしい、ドキドキしすぎて気絶する」
思わずイリーナを押しのける勢いで離れた。
血が沸騰するんじゃないかってくらい、想像しただけで体が熱くなった。
「ほらぁ、思い浮かべただけでその反応。これでも認めないって言うの?」
これが恋愛の好きなの?
こんな心臓に負担のかかる気持ちが?
シベリウス殿下と婚約していたときには感じたことのない気持ち。
だからこそ、これが恋なのだというなら、なんて大変な気持ちなのだろう。
シベリウス殿下やエリサ様はこんな気持ちを抱いたからこそ、周りに迷惑がかかろうとも駆け落ちしたのか。
サリュ殿下はこんな気持ちを抱いたからこそ、他人の手に私が渡ることをあんなに嫌ったのか。だからといって、殺そうとするのは勘弁願いたかったが。
恋の好きって、なんて強い気持ちなんだろう。
でも、私もサリュ殿下の苦しみを取り除きたくて、ムハンド王国へ行こうとした。命の危険もあったのに、そうしたいと思った。それって、とても強い気持ちなんじゃないだろうか。
「イリーナ、降参よ」
あぁ、ついに気付いてしまった……いや、認めるしかない。
私って、サリュ殿下のことが『好き』なんだって。
「ふふっ、やっと認める気になったのね」
「えぇ。でも認めたからと言って、どうもならないわ。私は廃位されたシベリウス殿下の元婚約者、ケチのついた令嬢よ。未来の国母には到底ふさわしくない」
それに、私が第一王子の婚約者になったのは賢者の石を育てられるからだ。でも、私はせっかく完成間近だったその賢者の石を壊した。このことを王家側は知らない。
両親にはさすがに伝えたが、渋い表情をしていた。そりゃそうだろう。期待をこめて完成間近な祖母の育てた石を私に受け継がせたのだから。
私はこの国が得られるはずだった恩恵を、私の独断で使ってしまった。もちろん、あのときの私は最善だと思って行動したのだけれど。でも、無くなってしまったものは戻らない。
「もう、みんな自分を卑下しすぎなのよ」
イリーナがため息交じりにこぼした。
「みんなって?」
「ほら、ディークシャ様が側室に戻ったでしょ」
そうなのだ。ディークシャ様をムハンド王国にあのまま置いておくわけにはいかない。また何か火種が発生した場合、同じことが起こる可能性があるからというのもある。また、ずっとサリュ殿下と離ればなれだったのだし、親子の時間を少しでも過ごして欲しかったという個人的な思いも。だから一緒に帰ってきた。
「ディークシャ様が新しい王妃になるって話があったけれど、自分じゃふさわしくないって辞退したのよね」
陛下の考えは、政治的な配慮ももちろんあるだろう。ムハンド王国の人を王妃に迎えた、二つの国はより強く結びついたのだというアピールだ。
だけれど、サリュ殿下を授かったり、追放した王妃から守るために母国に返そうとしたのって、ディークシャ様のことを陛下なりに大事にしていたからこそなのでは、と思うのだ。
だから、再び自分の前に戻ってきた大事な人を王妃として迎え直したいって、そう考えていたのでは……と、これはただの私の希望だけれど。でも、そうだったらいいなぁって勝手に思っている。
「卑下する人はまだいるわよ。私は昨日お父様から聞いたんだけど、ユスティーナは何か聞いてない?」
「いえ、特には」
「じゃあ、ちょっと耳を貸して」
イリーナに言われて、耳を寄せる。すると、小さな声でとんでもないことが聞かされた。
『サリュ殿下ね、皇太子を辞退するって言ってるらしいわ』




