16.クラウスの焦り
エリーゼとの仲を深めようと兄夫婦の結婚記念日の祝いを見立ててほしいと約束を取り付けた。もちろんデートの口実だ。ただ夕方からシュナイダー侯爵から会いたいと約束があったのであまりゆっくりもしていられない。話の内容は娘との縁談のことらしいが以前に一度クラウスは手紙で断っている。納得してもらえないので会って断ることにした。
エリーゼとの買い物と食事は最高に楽しかった。
いつもの凛とした姿も綺麗だと思っていたが、今日のエリーゼは髪を下ろして可愛らしい。思わずその髪に触れそうになったがなんとか我慢した。
ガラス工房の責任者は随分とエリーゼに馴れ馴れしく、思わず睨んでしまったがただの友人と知って安堵した。クラウスは自分の心の狭さに驚いた。今まで嫉妬などしたことはなかったからだ。エリーゼといると新しい自分を発見して面映ゆい。強引にだがエリーゼに髪飾りを贈ることができた。アイスブルーの自分の瞳の色の髪飾りだがそのことにエリーゼが気づいていなくても独占欲が満たされる気がした。
食事は予約をしておいて正解なほどの混み具合だった。本当は予約を取るには数週間先になると断られていた。それでは遅すぎるとあらゆる伝手を使って予約を取っていた友人に頼み込んで譲ってもらったのだ。
エリーゼは幸せそうに食事をする。その笑顔を見ているだけでクラウスは幸福を知ることができる。目をキラキラ輝かせ一生懸命咀嚼する姿は愛らしい。そんな幸せな時間はあっという間に過ぎエリーゼを本屋に降ろすとクラウスはシュナイダー侯爵家に向かった。
シュナイダー侯爵令嬢は可愛いとは思うが幼く感じてクラウスには子供にしか見えない。さっさと断り帰りたいのだが侯爵と令嬢と三人でお茶をすることになってしまった。
「シュナイダー侯爵。以前にも手紙で伝えた通りこのお話はお断りします。ご令嬢には私などよりもっと素敵な人を探してください」
「まあ、クラウス様。そんなことおっしゃらないで。いっぱいお話すればきっとカタリーナのことを気に入ってくださいますわ」
「クラウス君。相手を理解しない内に断るのは早計だろう。もう一度よく考えてほしい。婿養子先として我が家は最高の条件だと自負している」
なかなか諦めないシュナイダー侯爵にクラウスは説得を一旦諦め後日改めて断ることにした。公爵邸に帰宅すればドナート伯爵から仕事のことで会いたいと手紙が来ていた。クラウスはイライラとその手紙を机に放った。せっかく今日はエリーゼと楽しく過ごしたのに厄介ごとが続く。ドナート伯爵も娘のアデリアの婿にとクラウスを望んでいる。親子そろってどれだけ断っても諦めない根性を疎ましく思いつつ、一度会ってきっぱり断るために約束を取り付ける手紙を執事に渡した。
その日はエリーゼが図書室に来る日なのに縁談を断るために会えずにガッカリしてしまう。
不満を胸の底に沈めドナート伯爵邸に行けば仕事の話などせずにアデリアとの縁談を勧められた。
「クラウス様。何故私ではいけないのですか? 伯爵家は今抱えている事業も順調で婿としても一族皆で歓迎しますのに」
「私には結婚を考えている人がいます。あなたを受け入れることはありません。今後はこういった話は止めて頂きたい」
アデリアは目を吊り上げた。この令嬢は気が短いなと思う。社交界では致命的だろう。
「……まさか、エリーゼさんですか? 彼女は平民です。クラウス様には不釣り合いですわ。もしかして彼女に付きまとわれているのですか? そうであれば恥知らずにもほど―」
「ドナート伯爵令嬢。これ以上私を煩わせるつもりならヘンケル公爵弟として対応させて頂きます。必ず後悔することになりますよ?」
鋭く睨みつけ怒りを露わにしたクラウスの声にアデリアとドナート伯爵は真っ青になって震えている。クラウスは席を立ちドナート伯爵邸を後にした。
屋敷に帰れば急ぎの仕事が届いていた。かなりの量の書類を隣国語から翻訳しなければならない。最悪なことにいつも依頼している翻訳家がつかまらずクラウスが処理することになる。徹夜で進めたがこのまま一人で訳しても間に合いそうもない。
時計を見ればエリーゼが来る時間だ。彼女は隣国語を完璧にマスターしていた。専門用語は難しくても大まかな訳はできるだろう。彼女の能力の高さは素晴らしい。急なことで申し訳ないと思ったが手伝いを頼むことにした。
玄関で準備をしていればエリーゼが来た。承諾してもらえたので馬車に乗るためにいつものようにエスコートをしようと手を出せば拒まれた。
クラウスはショックを受け激しく混乱したが、とにかく仕事を進めなければならないので冷静を保つ振りをして王宮図書館に向かった。馬車の中でエリーゼは思いつめた顔をしている。クラウスはエリーゼとうまくいっていると思っていたがクラウスが考える以上にエリーゼは平民であることを気にしていた。クラウスにとって身分は問題ではないしすでに解決方法も決まっているがエリーゼにとっては大きな障害だと感じているのだ。慎重に距離を取っていたあまりにエリーゼを不安にさせたままにしたことを激しく後悔した。
とにかく仕事を片付けて挽回しなければと焦る。
図書館に着いて黙々と作業をしたがエリーゼはクラウスの予想以上に優秀だった。翻訳ミスはなく表現も的確で予定よりも早く終えることができた。焦るあまりに休憩もしていない。エリーゼに申し訳ないと食事に誘えば断られる。とにかく話す時間を作らねばと考えていたらノックもなしにシュナイダー侯爵令嬢が部屋に押しかけて来た。
その様子を見てエリーゼは先に帰ってしまった。追いかけたかったがこの令嬢を放置できずに仕方なく食事に同行することになった。
「シュナイダー侯爵。何度言われても私の気持ちは変わりません。正式にお断りします」
「一体、私の娘の何が不満なんだ?」
クラウスは心の中で全部だと毒ついた。この時間を過ごすことにイライラする。何よりもエリーゼが無事に帰れたか心配で落ち着かない。カトラリーに手を出さずさっさと話を終わらせて侯爵邸に向かうつもりだった。
「私には結婚を考えている女性がいます。彼女以外とはありえないのです」
「私の娘よりいいと言うのか?」
シュナイダー侯爵は明らかに不機嫌になった。娘が可愛くて仕方がないのだろう。
「その女性はどこの令嬢ですの? 今までクラウス様のそういった噂は聞いたことがありませんわ」
カタリーナが首を傾げて不思議そうにしている。嘘の可能性も考えているのかもしれない。
「その女性は貴族ではありません。ですが私にとっては大切な人なのです」
クラウスは仕方がないと分かっていても、エリーゼ本人に告白する前に何故この二人に言わなければならないのだと苛立つ。
「クラウス君はうちの娘より平民を望むと言―」
「まあ、素敵ですわ!」
カタリーナが両手を胸元で組み、目をキラキラと輝かせてうっとりと言う。
「身分違いの運命の恋ですわね! 私、クラウス様を応援しますわ! 今流行の恋愛小説の題材は身分差なのです。身近でこんな素晴らしいお話があるなんて感動的です」
カタリーナの反応にクラウスとシュナイダー侯爵は呆気にとられた。
「カタリーナ。お前はクラウス君と結婚したいのではなかったのか?」
「確かにクラウス様は素敵ですけど、その恋を応援する方が大事に決まっていますわ。それに邪魔をしては私は悪役令嬢になってしまいます……そんなの悲しすぎます。だから私との婚約のお話はなかったことにして下さいませ」
「……カタリーナがそういうなら、クラウス君この話はなかったことにしよう」
「はい。ありがとうございます」
「クラウス様。ぜひその方と添い遂げて下さいませ!」
興奮気味に応援されてしまった……。クラウスは拍子抜けしたがそれ以上にほっとした。説得に苦労する覚悟をしていたが思わぬ方向に進み無事に縁談をなくすことができた。カタリーナの反応は予想外だったが純粋に応援していると言われて悪い気はしない。まだ恋に夢を見る年頃なのだろう。心の中で彼女に感謝をして彼女が相応しい男性と巡り合えることを祈った。
その帰りにエリーゼの無事の帰宅を確認したあと侯爵夫妻に面会をお願いした。先触れもなく失礼は承知だったがクラウスは必死だった。侯爵夫妻も快く応じてくれた。
「クラウス様。エリーゼはもう私の娘も同然なのです。必ず幸せにすると誓って下さい」
「はい。必ず幸せにします。結婚の折にはどうか力を貸して下さい。お願いします」
クラウスは真剣に夫妻に頭を下げた。
「もちろんできることは何でもするわ。クリスタにもエリーゼのことは頼まれているのよ」
「義姉上にも……ですか?」
「二人は学園で縁があったのよ。エリーゼがクリスタを助けてくれていたの。だからクリスタの為にも助力は惜しまないわ」
クラウスは侯爵夫妻に深く謝意を表した。なによりもエリーゼとの結婚の障害を無くすことができて満足して帰宅した。それからは仕事に追われ慌ただしくしていたが、エリーゼの公爵邸での仕事の日が来た。
クラウスがいることは侍女に口止めをして、エリーゼの昼食が終わる頃を見計らって話をしに行った。
勢いのままプロポーズをしてしまったがなんとか受け入れてもらえてようやく心から安堵することができた。
エリーゼの初心な反応が可愛くて浮かれていたが、後になって花も指輪も用意せずにプロポーズをしてしまった失態を激しく後悔するのであった。




