第29話 ウォーケン観察日誌②
それはウォーケンを魔将軍へと抜擢したのち、彼の初陣での出来事だった。
「ウォーケン様が⋯⋯敵に捕らわれました!」
ヴェルサリアは内心の動揺を表に出す事なく、部下の報告に耳を傾けた。
敵は魔王ヴェルサリアの暗黒大陸支配体制を不満に思い、蜂起した『魔帝軍』。
大将で、魔帝を僭称するガルバラン率いる一陣に、ウォーケンが単身で乗り込み、魔法を食らい捕らえられてしまったという。
「なぜ、誰も奴を止めなかったのじゃ! そもそも、なぜウォーケンはそんな無茶を!?」
ヴェルサリアの疑問に、伝令は答えた。
「ウォーケン様は⋯⋯魔帝軍が、魔王様の事を次々と口汚く罵る声を聞くや否や、怒りに我を忘れたご様子で飛び出してしまいました⋯⋯」
「⋯⋯そうか」
嬉しい。
メチャクチャ嬉しい。
口元がピクピク震えるのを感じる。
しかし、今はそれどころではない。
ウォーケンが絶対的な防御力を誇るとはいえ、殺す手段がない、とまでは思わない。
もちろん、ヴェルサリア自身がそんな事を試す訳にもいかず、検証などする事はなかったが⋯⋯。
「魔将軍が殺されたとなれば士気に関わる! 救出には妾自ら出陣する! 案内いたせ!」
「はっ!」
(ガルバラン⋯⋯ウォーケンにもしもの事があれば⋯⋯妾がこの世の地獄を見せてやろうぞ⋯⋯)
仄暗い決意を胸にしながら、ヴェルサリアは出陣した。
不思議なことに。
ヴェルサリア率いる一軍は、ウォーケンが捕らわれているというガルバランの城に、何の抵抗もなくたどり着けた。
どうも様子がおかしい。
城内に入ると⋯⋯夥しい死体がヴェルサリアを出迎えた。
その中心で、ウォーケンが眠ったように横たわっている。
どうやら気絶しているようだ。
と、敵軍兵士の一人がウォーケンの前で顔面を蒼白にし、ガタガタと震えていた。
配下の兵に命じ、ウォーケンを確保したのち、ヴェルサリア自ら生存者の尋問を始めた。
「何があったか⋯⋯一部始終話せ」
兵士は相変わらず震えながら、ここで起きた出来事を告白し始めた。
味方の士気を上げるため、ガルバランは気絶したウォーケンを処刑しようとした。
しかし、剣で首を斬ろうとしても、追加で魔法を浴びせようと、ウォーケンは何事もなく、相変わらず気絶し続けるだけ。
業を煮やしたガルバランは、ウォーケンを井戸へと放り投げた。
水で窒息死させようとしたのだろう。
ウォーケンを井戸に投げ入れてしばらくして、井戸から水柱が上がった。
それとともに、ウォーケンが飛び出して来て、まずガルバランの頭を掴み、そのまま地面に押し付けた。
ウォーケンを一回り程度大きくした、ガルバランの巨体は縦に潰され、地面の染みになった。
その後もウォーケンは暴れ回り、周囲の兵士は次々と殺された。
再び気絶させようと、魔法を当てたもののも、ウォーケンは止まる事無く殺戮を続けたという。
「それで、俺の前まで来て、俺は、もうダメだ、そう思ったんだ、でも、ソイツは突然倒れた、倒れる前に俺は見たんだ、ソイツは目を瞑っていた、そう、ソイツは⋯⋯気絶したまま、暴れまわっていたんだ!」
「ふむ」
兵士の話を参考にすると⋯⋯。
気絶したウォーケンを、何らかの方法で殺害しようとすると⋯⋯。
生存本能なのか、闘争本能なのかわからないが、どうやら自分の周囲の、自分に対して害意を持つ人物を自動的に攻撃する、といったところだろうか。
この兵士は、迫り来るウォーケンを目の前にして、恐れから害意を失い助かった、ということだろう。
そして気絶中のウォーケンには、魔法は無意味。
つまり⋯⋯ウォーケンは殺せない。
殺そうとすれば、殺される、という事だ。
「ははは、思わぬ大収穫じゃ」
「そうですね、まさかこんなにあっさりと魔帝の軍を壊滅させられるなど」
部下の追従は間違えていたが、あえて訂正しなかった。
ウォーケンは殺せない。
大収穫だ。
「納得⋯⋯いきません!」
御前試合の直後、ヴェルサリアの元に魔将軍筆頭のグルゲニカが詰め寄って来た。
グルゲニカ対ウォーケンの試合は、ウォーケンの降参によって幕が下りた。
だが、グルゲニカが何を言いたいのかわかる。
あの試合は、ウォーケンの勝ちだった。
ウォーケンの速度に、グルゲニカはついて行けていなかった。
いや、グルゲニカだけではない。
他の魔将軍も、1対1ではウォーケンには敵わないだろう。
間合い外で事前に準備するならともかく、魔法の有効範囲内にいるウォーケンに、固有行動を間に合わせて魔法を行使できるものは魔将軍の中にはいない。
辛うじてヴェルサリアのみが、その魔法の範囲と固有行動の速度で対抗できるくらいだ。
今回の試合でウォーケンが降参したのは、ただ固有行動が間に合わなかったというだけのグルゲニカが、手加減して「わざと」魔法を発動しなかった、と勘違いしたせいだ。
「といっても、降参によって勝負が決するのはルールじゃからのう」
ヴェルサリアが言うと、グルゲニカは拳を震わせながら答えた。
「この私が⋯⋯勝ちを譲られるなど⋯⋯!」
「まあ、譲られたとしても勝ちは勝ち。もしそれで悔しいと思うのなら、修練しないのが格好良いなどと変なこだわりは捨てて、今後は励むことじゃな」
「くっ⋯⋯!」
この日より、グルゲニカは誰よりも訓練を積み始めた。
ウォーケンがもたらした、良い変化の一つだ。
その後も、躾と称してウォーケンに痛みへの耐性を持って貰うため、ヴェルサリアは彼に魔法を放ち続けた。
が、ウォーケンが痛みへの耐性を得る前に、予想もしない事が起きた。
ウォーケンの素行が、格段に良くなったのだ。
今ではケーキをわざと戸棚に置くなど、ヴェルサリアが知恵を絞らないと躾の機会がない。
その頻度は、月に一度あるかないか、というところまで落ち込んだ。
じゃあ、ウォーケンに真実を話し、魔法を浴びせ続け、耐性を獲得させるか?
いや、そんな事はできない。
なぜなら、ウォーケンの弱点克服に、自分が積極的になる。
それはつまり、ウォーケンがヴェルサリアを我が物にしたいと知っているにもかかわらず、それに協力する、ということだ。
となると、それは⋯⋯。
「妾はお主に抱かれたい、そう告白するも同然じゃ!」
じいやに
「正直に話して、弱点克服の協力を申し出ればよろしいのでは?」
と質問されたとき、ヴェルサリアはそのように答えた。
ヴェルサリアの答えに、じいやは少し首を傾げたあと、さらに質問してきた。
「それは、何か問題でも? だって、真実ではありませんか」
「いやじゃ! そんなの恥ずかしすぎる! 妾はあくまで、ウォーケンから迫られたいのじゃ! いい女は、自分から『抱いて』などと言わんのじゃ!」
そう。
「ニアのヒミツノート♡」にも書いていたではないか。
「しつこく迫られたから、仕方なく」
それがウォーケンを虜にする手段!
ヴェルサリアは信じて疑わなかった。
ヴェルサリアは確信していた。
ウォーケンこそ、魔族における「勇者」だと。
そのウォーケンを人間の住む大陸に派遣し、戦闘の中で痛みへの耐性を獲得させ、魔族にとっての勇者として覚醒して貰う。
それが、ヴェルサリアの思惑。
「勇者を探して来い」
それは魔王ヴェルサリアにとって、二重の意味を持つ。
そして。
「しばらく会えなくなるとわかってそのような決断⋯⋯ああ、なんと妾は健気なのじゃ⋯⋯」
そんな自分に、ちょっと酔っていた。




