71、楓の気持ち
「楓?」
腕の中にあった温もりが、存在していた重みが消えていた。掌におしゃぶりだけが残っている。頭の中が真っ白になった。
「楓ちゃん?」
バーナデットが楓の名前を呼ぶ。光る粒子は消えていてメイの歌声が止まる。レーテルが微笑んでいた。
「おめでとうございます。神子様は無事に主の元とお送りすることが出来ました」
「アナタがやったのか!?」
「仮の父としてのお勤めご苦労様でした」
レーテルの用済みと見るような、見下した視線に頭が沸騰しそうになる。
「楓をどこにやった?」
「レーテル様!これは一体!?」
ユキエが血相を変えて近寄ってくる。メイが顔色を真っ青にして狼狽えていた。僕はレーテルに一歩詰め寄る。
「全てアナタの仕業か?」
「お静かに。神の御前ですよ」
「楓をどこにやった?楓を返せ」
「神子様は在るべき所に帰りました。貴方の役目は終わったのです」
「在るべき所とはどこだ?役目とは何だ?」
「在るべき所とは尊ぶ場所。役目とは母なるダンジョンより、神子様をお連れしたこと」
「なんだそれは?楓を返せ!」
「貴方の元に帰ることは、ありません」
レーテルとほ会話が成り立っているようで成り立っていない。
「帰る帰らないじゃない。返せと言っているんだ」
「神の元に帰ったのです。人の手にはどうしようもありません」
「神だと?アナタが楓を攫ったんじゃないのか?」
「私は神の手助けをしたまでです」
「神とはダンジョンの神か?」
「私がそれ以外のものを神と崇めると?」
「アナタは楓を攫った神と話が出来ると言うことだな?楓を返すように言え」
「私から話しかけるなど、烏滸がましい。主は語り掛けてくださるのです」
「随分一方的な関係だな」
「主を信仰せぬ者には分かりますまい。何十年と尊びやっとお声をかけて頂いたこの栄誉を」
「便利な使い物となってもまだ、へいつくばった考えなんてヘドが出る。アンタの主と話をするにはどうすれば良いんだ?」
「悔い改めて、私のように何十年と信仰すればでしょうか」
「今すぐの話をしている」
「聞こえませんでしたか?何十年という信仰が大事なのです」
「付き合いきれないな。力づくで返して貰うと言ったら?」
「神に背く事は認めません」
「僕から奪っておいて、奪われる事は認めないと言うのか?」
「人の分際で神と同等の場所にいるとお思いですか?」
「そもそも神を高みに置くことが間違いなんだよ。神は意外と身近なものだ。それに予想以上フレンドリーだぜ」
「貴方は自らを神と同等置き、剰え貶める不届き者のようですね。神子様の仮の父であったとしても、もうこの場にいる事さえ相応しくありません。退去を命じます」
「嫌だね。何で同じ人間のアンタの言うこと聞かなきゃならないんだ?僕は楓を取り返すまで出て行くつもりはない」
「ユキエ。神官騎士をここへ。神の名を汚すこの者を連れ出しなさい」
「ですがレーテル様?何がどうなっているのか」
「ユキエ様。そいつは神を敬い過ぎて、頭がおかしくなってしまってるんですよ」
「マジク様!そのような汚い言葉を!」
「僕の大事なものを奪った奴に使う敬語なんて知らないね」
「レーテル様!流石に黙って居れませんぞ!これは何が起きたのか説明を求めます!」
ライオネスが加勢に入ってくれる。ライオネスから見ても、レーテルは尊重すべき相手なのだろう。今まで会話の流れを読み取って加勢するべきか迷っていたようだ。
「貴方方の婚姻の儀を勤めたことは誇りと思っています。今の言葉は聞かなかったことに致します」
「レーテル様!私は楓ちゃんを娘同様に思っております!なにとぞ!」
スカーレットがレーテルに願いを聞き留めてくれるように声を大きく上げる。レーテルがスカーレットを見つめて一度瞳を閉じて頷いた。
「仕方ありませんね。五日前になります。主から神子様をこの場にお連れするようにと啓示を頂いたのです。あの感動を私は忘れないでしょう」
「この場に案内したのも、何日も前に僕と楓を神殿に連れ出そうとしてたのも、このためだったと言うことだな?」
「私にも深く繋がりのあるペラム家だったのです。私も出来ればペラム家とは切り離して今日を迎えたかったのですよ。さあ話は済みました。ユキエお帰り頂きなさい」
「マジク様………私こんなことになるなんて、知らなくて」
ユキエが狼狽えていた。
「組織とは時にはあてにならないものですね。神の名の下に力を」
レーテルの装飾が光り、長尺の錫杖が手元に現れた。
「ガルドーさん!」
反応良くガルドーがバーナデットを抱えてレーテルの前から遠ざかる。僕はレクナハルバートを展開して、バーナデットを含めたスカーレットとライオネス達を背後に庇う。
レーテルが床を錫杖で叩くと、 シャンっと輪状の遊環が鳴り響き波動が扇状に吹き荒れた。メイとユキエが悲鳴を上げで吹き飛ばされる。僕はレクナハルバートを数度振り波動を斬った。
「神の御前に無粋なものを持ち込むなど、恥じを知りなさい」
レーテルはレクナハルバートの存在がお気に召さないようだ。軽く踊るように錫杖を振り回して来た。予備動作がゆっくりとしていたのにインパクトの瞬間は、錫杖を見失いかけるほどのスピードで避ける余裕もなくレクナハルバートで受ける。受けた時に鳴った遊環音が波動となって、体が仰け反るほどの衝撃を体に受けた。レクナハルバートから伝わってくる力の大きさに年配の女性の身でこれ程の攻撃を受けると思わなかった。
「あら、この錫杖シグリアルを受け切りますか……その剣同位ですか?これは驚きました。ですが神より与えられしこの錫杖の前には全ては無力です」
レクナハルバートで受けたにも関わらず、錫杖に傷一つ見当たらない。レーテルの言っている意味が分かる。最高位の<杖術能力>者が目の前に敵意を持って立っている。
「皆さん!外へ!」
レクナハルバートを両腕で構える。片手で対処できるような甘い相手ではない。僕も細身で何だが、高位の能力者に与えられる肉体的な補正は凄まじものがあるのが分かった。
「貴方も出てお行きなさい」
錫杖が振る舞われる度にレクナハルバートで受けると、遊環が鳴って波動が体を襲う。楓を取り戻すまではこの場から去るつもりはない。だがどうやって楓を取り戻すかがわからない。怪しいのは光の粒子を発していた異様な壁だ。レーテルを排して壁を調べる必要があった。
「楓を返して貰えないのであれば加減はしない」
「神を恐れぬ痴れ者よ。神の前から排除しましょう」
レーテルが振り回してくる錫杖に構わず、思いっきり踏み込む。レクナハルバートを思いっきり錫杖に叩きつける。レーテルは長い得物を使っているのにも関わらず近い間合いにも対応してきた。鋭い錫杖による突きが頬を抉り、熱いものが顎を伝う。遊環が鳴る度に体が受けるダメージが蓄積して行く。レクナハルバートを強く握る手に思いを込める。
楓を見た時は、とんでもないものを背負い込んでしまったと思った。
離れるのを嫌がって、泣きじゃくり、行動の自由を奪う問題児だった。
何でも僕の真似をしたがって、アキちゃんと何かと張り合うこともした。
あまり笑わない分、笑った時の可愛さは別格だった。
神が楓を奪った真意は知らない。
白い世界で笑う楓を何者かが抱いていた風景に胸が苦しくなる。あの場所に楓の幸せがあるとしても、こんな別れは嫌だった。頭に来ていた。僕が納得するまでは、楓のいる場所は今も僕のすぐ側のはずだ。
頭がきりきりして来る。もし神が邪魔しようとしていても僕は引かない決意を込める。レーテルを叩きのめすには、彼女自体をどうするよりも彼女が依存するものを斬り伏せることだと考える。レーテルが扱う錫杖を破壊することに全霊をかける。
もっと早く、もっと正確に。レクナハルバートに強く思いを伝える。
レーテルの錫杖が、あの神の与えしものなら、それを超えて、楓を攫ったダンジョンの神とやらに力を示す!
無謀な行為を咎めるように頭の奥に痛みが激しく広がって行く。神の錫杖を斬ることだけを考える。超えてみせる。その先に楓に会える機会を得るために。
何度か攻防を繰り返して頭の中が破裂したような感覚の後に、レクナハルバートが錫杖に弾かれることなく振り抜けた。意識が朦朧とするが、目の前の風景が先ほどの真っ白な世界になっていことに気付く。
「あぅあー」
楓が首を傾げて僕を見上げいた。早く抱いてと両手を伸ばして来る。
「楓…………」
「あーうぅ」
楓を抱き上げると、楓が僕の頬を触れて来た。錫杖に抉られた所だ。回復している余裕などなかった。
「痛いんだぞ?」
「うぅーあー」
「楓を連れて行かれるのですか?」
先ほどの楓を抱いていた女性がいた。困ったように悲しい顔をしている。
「はい………」
「どうしてですか?」
「この子を不憫に思いました」
「それは僕が能力を解放しなかったからですか?」
「そうです」
楓を見つめる。不憫に思えるという事は、楓はやっぱり能力を解放を願っているのだろう。
「それでも、この子は貴方が好きなようですね。貴方を心配して貴方の助けになりたくて、能力の解放を願っています」
「僕は楓の力に頼りたくない。僕と同じように傷付いて欲しくない」
「大事に思う気持ちがこの子に伝わっているからこそ、この子も能力の解放を願い苦しむのでしょうね」
「僕は楓を苦しませていたのですね………」
怒っている様に眉を寄せる楓を見つめる。
「不甲斐なくてゴメンな」
「うぅーあーうー」
「それでも、こんなお別れは嫌だよ」
楓を抱き締める。
「あーうーあー!うーあーうー!」
楓が大きな声を上げた。
「………それでいいのですか?」
楓と女性が見つめ合う。
「良い名前を授けてもらいましたね。楓」
「あぁー!!」
楓が僕の顔をぺしぺし叩く。
「もう暫く、この子を貴方に預けましょう。今回のように貴方が今以上に力を付けることで、この子が心配しない様になるかも知れません。全ては貴方次第です」
楓が女性を見て微笑む。女性の楓を見つめる表情には、確かな愛を感じた。
「貴女は楓の母親なのですか?」
「そうですね。この子は私であり、母でもあります」
ん?ちんぷんかんぷんだ?
「一つ頼みがあります。代わりに役立つ一つの能力を授けましょう」
真っ白な世界から、風景が変わり大聖堂に戻って来た。柄の真ん中で真っ二つになった錫杖を呆然と眺めるレーテルがいて、腕の中には楓のぬくもりと重みが感じられる。
「神子様をどうやって!」
レーテルが血相変えて、突っかかって来る。
「猶予を頂きました」
「馬鹿な!ダンジョンの神にお会いしたとでも言うつもりですか!?」
「あの方が、ダンジョンの神かは分からないけど」
「私たちが会いたくてやまない存在だと言うのに!」
「僕は言いましたよね身近なものだと。貴方は尊ぶことで、自分から遠ざけているのですよ」
ぷっぷぅ~♪
「さあ、帰ろう楓。約束するよ、君が安心していられるほど僕は強くなって見せるよ」
愕然とした表情で僕たちを見るレーテルを置き去りにして、僕は選択されて薄暗くなったウィンドウの中に変化した<剣術能力10+Ω>と新しい選択枠にて決定された<フィルター>を見て、楓に誓った。
次話 「兄としての尊厳」




