1-5
ハカセとカウガールは自宅に戻り、少女をベットに横たえた。ハカセは二人分のコーヒーを淹れ、とりあえず息をついた。いつもより濃い目に淹れたコーヒーで喉を潤しながら、二人は少女の寝顔を横目に思考を巡らせていた。沈黙が、部屋に沈殿していた。
「……鎖、外してあげないのか?」
沈黙を破ったのはカウガール。彼女は少女の首に巻かれたままの鎖を指差し、心配そうな表情を見せた。少女の首には依然幾重にも太い鉄鎖が巻かれたままになっていた。部屋の明かりを吸収する黒のそれは、少女の真っ白な肌に相対してとても存在感がある。ハカセはカウガールの言葉に、首を横に振った。
「私も最初は除去しようと考えたが、それは難しいと思う。ここに来るまでにじっくりと観察してみたんだが、この鎖はまるで彼女の体の一部の様にすっかり皮膚にめり込んでいる。下手に外そうと負荷をかければ、彼女を傷つけることになると思う」
「おいおいおい。そんな状態だったら、なおの事さっさと外してあげた方がいいんじゃないか? 早くしないと窒息してしまうぞ!」
おちおちしてはいられないと急ぐカウガールをハカセは落ち付かせた。怪訝な顔をする友人に、ハカセは言った。
「この鎖は、彼女にとって特に脅威になる様な物ではないと考えている」
「なんだよそれ、なんか根拠でもあるのか?」
「忘れたのかい? 私と彼女は先ほど言葉を交わしたんだぞ? この状態で」
そこまで聞いて、カウガールは「あっ」と声を上げた。
「この鎖は彼女の首にかなり強くめり込んでいる。こんなもやしみたいに細い娘じゃあ、首の骨がポッキリ折れてしまうくらいに強くね。だけど現にこうして彼女の首は折れていないし、あまつさえ言葉を発して微笑みかけてきたんだよ? 鎖で首を絞められている少女がそんな事できるかね?」
「……できないな、そりゃ」
カウガールはとりあえず納得した意思を見せたが、まだ腑に落ちていない様子だった。腕を組み、大きく息を吐いた。
「鎖で首を吊っても話す事ができて、その上脈は止まっていて呼吸も無いんだろ? 訳が分からんな。結局のところ、その子は生きてるのか? 死んでるのか? 仮に生きていたとしたら、なんで拍動も呼吸も無いんだ? もし死んでいたとしたら、なんで話せる? アンデットか何か?」
「うーん、アンデットではないと思うよ?」
ハカセは生身の左手で、少女の頬に触れた。薄紅色の頬は年相応の少女の柔らかさと弾力があり、人間の生身の暖かさが確かにあった。
「私も最初はアンデットではないかと疑った。でも、私は未だかつてこんなに綺麗で、気色がいいアンデットを見た事がない。もしこの子がアンデットだとしたら、作った人はとんでもない悪趣味だ。断言しよう」
少女から手を離し、ハカセはその手でカップを持ってコーヒーをすすった。カウガールは余計に頭が混乱したと、カボチャ頭をガリガリと掻いた。彼女はしばしば思考が行き詰った時に頭をガリガリとやるのだが、カボチャを指で引っ掻いて果たして意味があるのだろうかとハカセは常々不思議でならなかった。
「ううん、分からん! アンデットでもない、生きているのか死んでいるのかそれすら不確かで、ダストホールから鎖で吊り下げられた少女! こいつは何者なんだ!? ハカセはどう思っているんだ!?」
椅子から身を乗り出し、混迷と興奮で息巻くカウガールにハカセは目を丸くし、あははと声を上げて笑った。
「それが分かったら、誰もこんなに頭を悩ませたりはしないよ」
あっけらかんとしたその態度に、カウガールは開いた口が塞がらない。再び腰を下ろした彼女は、目の前の友人がこういう性格だった事を思い出し、そんな相手に独りで興奮していた事を恥じた。
毒気を抜かれてすっかり肩を落としたカウガールに、「ただし」と前置きをしてハカセは言葉を放った。
「一つだけ、一つだけ確かな事がある」
「……なんだよそれ。この子の性別は女の子なのです! とか言い出すなよ」
「ここが、ゴミ箱の底だってことだ」
その声音には、達観していて、しかしどこか悲しみを含んでいた。眉尻を下げた笑っている様な、泣いている様な表情のハカセを見て、カウガールは皮肉を言った口を閉口した。
「ここはゴミ箱だ。ここにやってくる物は、ただ一つの例外もなくゴミなんだ、要らなくなった物なんだ。この世界には大切な物や、必要な物や、愛されているモノは何一つない。ここは望んで来れる様な場所じゃない、誰かに、何かに捨てられなければここに来れない。彼女は――」
ため息を、一つ挟む。コーヒーで唇を湿らせて、ハカセは言葉を続けた。
「彼女は、生も、死すらも与えられずに捨てられた。元の世界から、鎖で吊るされてね。どういう経緯でそうなったか、現段階では分からない。分からないが、私は彼女に同情を禁じ得ない。生死もないなんて、あまりに残酷じゃないか」
生死もない、その言葉にカウガールはゴミ山にうず高く積まれた死体を思い出した。死んでいるはずに、どれもこれも綺麗な体で、顔には微笑みすら浮かべていた。まるで、まだ生きているかのようだ。もしかしたら、村の人々が今まで焼き払っていた死体の中に、目の前の少女の様に脈も呼吸もないのに動き、話せる者が居たのかもしれないという想像が彼女に去来した。頭を過ったその可能性に、カウガールは肩を震わせた。
そんな友人の様子を見たハカセは、「ふう」と息を吐いて、カウガールに笑顔を見せた。
「……まあ、ここでどんなに逡巡していてもそのどれもが憶測と妄想でしかない。私達にはこの問題を解決に導くための知識も、経験も無いのだからね。思い悩むだけエネルギーの無駄というものだ」
「……あんたなぁ。それを言ってしまったら身も蓋も無いじゃないか」
「ははは。コッチは可能性の話をしているのに、目の前で君が沈痛な顔をしていたら、そういう事も言いたくなるさ」
気を使われた。カウガールはそれに気付いて、恥ずかしさから頬が熱くなるのを感じた。自分がカボチャ頭で良かった、赤面した顔を見られる事は無いから。しかし、それすらもこの目の前であっけらかんと笑っている悪友には見抜かれているのだろうと、カウガールは思った。コーヒーのおかわりは? とハカセに尋ねられ、カウガールはカップを差し出した。
と、
「……う、うん……」
少女が小さくうめき声を上げた。
「目覚めたのか!?」
駆け寄ろうとするカウガールをハカセは手で制した。ハカセは椅子をベットに向けて腰を下ろした。それから少女がすっかり目を開けるまで、静かに待った。少女は眠りから覚めた様に目を擦り、上体をゆっくりと起こした。体の動きに合わせて鎖がジャラジャラと音を立てたが、少女は意に介していない様子だった。寝ぼけているのか、見慣れない部屋に戸惑っているのか、辺りを忙しなくキョロキョロと見渡している。
やがて、ハカセとカッチリと視線が合った。
少女は目を細めてハカセの顔をしげしげと観察して、思い出したように口を開いた。
「……えっと、ハカセ、さん?」
「はい、正解。おはよう、お嬢さん」
「……おはようございます」
少女は丁寧にお辞儀をした。その仕草にハカセはふっと笑みを漏らした。
「私達は今コーヒータイムだったんだ。君も飲むかい?」
ハカセの問いかけに少女は眠気眼を擦りながら答えた。
「……はい。クリームと、お砂糖タップリでお願いします」
ブラックじゃないのか。聞こえないように呟きながら、ハカセは席を立って、流し台へと向かった。




