第1章 海月精霊は誘う。①
海神の恩恵を詠われるアル=アインの王都は、このところ、二つの話題でもちきりだった。。
一つは、子どもたちに人気の海月精霊の噂。
そしてもう一つは近隣諸国でも有数の富豪にして臨卓議会の一角を占めるアル=ナシーム家の「不夜祭」が、間もなく開かれるという話だ。
その噂は、王太孫ナーディルの耳にも届いた。
ナーディルには二歳離れた姉王女がいる。
彼がまだ物心つく前、王太子夫妻であった両親は、相次いで流行り病に倒れた。
ナーディルは事情も理解できぬまま、王太孫となった。
現在のところ有力な対抗馬はおらず、国の最高議会である臨卓議会の賛同を得られれば、成人を迎える頃には、正式な王太子として擁立される――それが王宮内の暗黙の了解であった。
権力の中枢に生まれながら、両親の庇護をもたない幼子の立場は危うかった。
様々な思惑による忖度――それは過干渉であることもあれば、放置であることもあった。
そのなかで、姉弟は互いを支えにして育ってきた。
むしろ、ナーディルは姉によって育てられたといっても過言ではない。
たえず穏やかな微笑を浮かべた姉はなにかを望むことの少ない少女だった。
実の弟から見ても、姉王女は常に我慢強く、年の近い姫君たちの中でも抜きんでて大人びていた。
そんな姉が、海月精霊の噂を耳にしたらしい。
いや、正しくは、目にした。
侍女が流行りの海月精霊の飾りをつけていたのだ。
王宮の使用人は、品位を保つことを求められる立場にある。
その制約の中で、彼女たちはそれぞれが装いに意匠を凝らしているという。
姉王女は、自身の装いは古参の侍女に任せ、主張をすることがあまりない。
強いていえば、あまり華美な装いは、と慎ましく口にするくらいだが、若い侍女たちのお洒落はほほえましく眺めているらしい。
――若いのですもの、ささやかな楽しみぐらい、あってもいいでしょう、と。
わが姉ながら、本当に嫁入り前の乙女かとナーディルも疑いたくなる。慈母を通り越して、まるで枯れた老女のようではないか。
そんな姉王女が、きらきらと光る海月の飾り物に目を瞠り、入手先を持ち主に尋ねたというのだ。
尋ねられた侍女は、鼻高々と、市井で評判の流行物なのだと奏上したらしい。姉王女は、ひどく感心していた。
そこで、では誰か、我に献上せよ――などと戯れにでも口にする気性ではない。
弟ナーディルの前でも、口の端にすらのぼらなかった。
それでも、仲睦まじい姉弟の様子を知る使用人が、そっと弟の耳に囁いた――という次第である。
件の侍女の入手先である港町の市場に足を運ぶことを決め、ナーディルは素早く用意を整えた。
王太孫の市井訪問などと仰々しいことをする気は、毛頭ない。
そっと王城を抜け出て市場まで赴き、さっと目当ての海月精霊の品を見つけて手に入れる。
何食わぬ顔で戻り、姉王女にさりげなく手渡せばよい。
脳内での計画は完璧だった。
どこにも問題はない、筈だ。




